ゆらゆら荘にて

このごろ読んだ面白い本

日本人の恋びと

2018-04-30 | 読書日記
モクレンもサクラもコブシも
一度に咲いています。

「日本人の恋びと」(イザベル・アジェンデ 2018年2月刊)を読みました。




(筆者のアジェンデは
チリの故アジェンデ大統領の一族)

アルマは82才
バークリー郊外の老人施設ラークハウスに住んでいる。
数年前、突然
アルマは家族の住むベラスコ家の屋敷を出て
ラークハウスに移ってきた。
(なぜ?)
「ネコ」という日本語名を持つ猫と
小さな車と
テキスタイル(絹の布に絵を描いている)の仕事道具を持って。

アルマには
秘密がある
とイリーナは思う。

銀のフォトフレームの写真の日本人イチメイに関わることに違いない
と思うけれど
アルマは何も言わない。

アルマには時おり手紙と3本のクチナシの花が届く。
(誰から?)
そして
アルマは時々旅に出る。
(誰と?)

イチメイはベラスコ家の庭師の息子だった。
(緑の指を持つイチメイは
戦時中にいた砂漠の中の日本人収容所でさえも
植物を育てていた)

イチメイの父は日本から「来た」人だった。

アルマも少女の頃に
たった一人でポーランドからベラスコ家に引き取られて「来た」人だった。

ラークハウスで働きながら
アルマの個人的な仕事をしている
(スピード違反の罰金を払いに行ったり
映画に付き添ったり)イリーナにも秘密がある。
イリーナも少女の時にモルドバから「来た」人だった。

アルマの秘密が解き明かされていくと同時に
イリーナの秘密も明らかになっていく
・・・・

ほどよい温度のお湯に浸かっているようで
いつまでも作品の世界から出たくない
ような気持ちになりました。










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本のエンドロール

2018-04-25 | 読書日記
雨が降っています。

「本のエンドロール」(安藤祐介 2018年3月刊)を読みました。




浦本学は豊澄印刷の営業をしている。
一時は電子書籍に取って代わられるのではないかと言われたこともある
「紙の本」をつくるという
決して未来の明るくない仕事だ。

工場で印刷をしている野末は
理想を語る浦本が苦手だ。

とここまでで10頁
浦本にも野末にも
何だか好感が持てないなぁ
この本はご縁がなかったのかもしれない
と思ったけれど
とりあえずもう少し読むことにした。

野末は少ない収入の中から妻の弟の療養費を出している。
弟は売れない役者だった。
だから余計に夢を語る人間が嫌なのかもしれない。

浦本の婚約者の由香利は
菓子メーカーの宣伝部に勤めている。
「やれるところまでやってダメなら私が養う」といつも言ってくれる奇特な人だ。

データ制作の福原笑美
デザイナーの臼田
インキを混ぜて色をつくる職人のジロさん
慶談社の編集者の奥平
使われていない印刷機を丁寧に手入れしているキュウさん

名前を与えられた人物たちが
立ち上がってくる。

第1章は「スロウスタート」
(作家にはこの本をどうしても5月31日に出したい理由があった)

第3章は「ペーパーバック・ライター」
(ペーパーバックのような装丁の本を出版するという取り組み)

第4章は「サイバー・ドラック」
(豊澄印刷にも電子書籍問題が押し寄せる)

どの章でも
様々な困難が押し寄せて
この本は無事に出来上がるのか
とハラハラさせられる。

そして
第5章は「本の宝箱」
ベストセラー作家の一条早智子が工場見学に訪れるという話の中で
印刷から製本までが
細かに描かれる。
(ようやく)
奥平は言う。
「作家とって本は我が子のようなものでしょう。
ところが、本が作られる現場をその目で見たことのある作家って
ほとんどいないんですよ。
自分の本が真摯に誠実に作られているところを目に焼き付けてもらえば
きっと信頼度は上がる」


最後のページには
さながらエンドロールのように
「本のエンドロール」に関わった人たちの名前が書かれています。





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カラヴァル 深紅色の少女

2018-04-22 | 読書日記
道すがら
いつも見ていた桜が
あっという間に満開になってしまいました。

「カラヴァル 深紅色の少女」(ガーバー 2017年8月刊)を読みました。
(本屋大賞の翻訳部門大賞)




スカーレットはトリスダ島の総督の娘で
1才下の妹テラと
厳しい父に怯えながら暮らしている。
母のパロマがいなくなった日から
父は変わってしまった。

物語の中で
スカーレットは
いつも選択に迫られる。

会ったこともない伯爵と結婚して島を出るのか
それとも島にとどまるのか・・・
(結婚式は間近に迫っている)

そんなある日
長いこと憧れていたカラヴァルのレジェンドからの招待状が届く。
(カラヴァル=テーマパークのようなもの)
応じたらいいのか
応じない方がいいのか・・・
(結婚式までに帰って来れなかったらどうしよう)

島で知り合った船乗りのジュリアンに導かれて
(スカーレット(緋色)をクリムゾン(深紅色)と呼ぶジュリアン)
スカーレットはカラヴァルが行われているという島に渡る。
(なぜかテラの姿は消えていた)

カラヴァルの入り口に着くと
そこには金色と青色の灯が灯り
一輪車に乗った少女が現れて言う。
「ゲームに参加するなら、こちらの道を」
「見物の方はこちらに」
スカーレットは
1日だけ
と自分に言い聞かせて「参加」の道を選んでしまう
テラを探して家に帰らなくては
と思いながらも。

カラヴァルの街には
帽子の箱のような店が並び
(帽子箱の素敵さを分かっている筆者)
そのウインドーには
剥製のカラスに埋もれて山高帽が飾られ
人間の歯が埋め込まれたヘアバンド
日の心の闇を映し出す鏡というものも売られている
・・・・

子供のころに読んでみたかった一冊です。

(続編は青い服の似合う妹のテラの物語らしい)













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マザリング・サンデー

2018-04-20 | 読書日記
スイセン1号が咲きました。

「マザリング・サンデー」(スウィフト 2018年3月刊)を読みました。




1924年3月
第一次大戦が終わったばかりで
男手が足りなくなった影響で(経済的なこともあった)
どこのお屋敷でも
コックとメイドだけで間に合わせるようになってきたころのこと
ビーチウッド邸のメイドのジューンは
マザリング・サンデー(使用人に「母の日」を過ごすための休暇が与えられる日)を
お屋敷に居残って本を読んで時間を過ごそうかと考えていた。

孤児院の前に捨てられていた「捨て子」
であり
孤児院で育った「みなし子」だったジューンは
行くところがなかったのだ。

そこに一本の電話が入る
・・・

ジューンは後に作家になる(!)

メイドだったジューンは
どうやって作家になったのか?
そのターニングポイントが明かされる。

お屋敷の主人に
書斎の本を読んでもいいか許可をもらった日?
(少年向きの冒険ものが大好きだった)

給料をためて
郵便で本を注文した日?

どちらもそうだけれど
一番忘れられない日は
1924年、22才のマザリング・サンデーだった
・・・・


確かに
その日がターニングポイントだったのだろうと
納得させる筆者の腕がすごい。
(ジューンのマザリング・サンデーの日の空気感にも
魅了されました)





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BC1177

2018-04-17 | 読書日記
今週は
春らしい天気が続く予報です。

BC(紀元前)という言葉に惹かれて
「BC1177 古代グローバル文明の崩壊」(クライン 2018年1月刊)を読みました。





BC1177年ころに
地中海・近東のあたりで繁栄していた都
ミュケナイ
ミノア
ヒッタイト
エジプト
バビロニア
アッシリア
カナン
キュプロス
がばたばたと滅んだ。
そして
高度な文明が滅んだ後には
時代が戻ったような暮らしが残った。
なぜ?
「海の民」のしわざだという説があるけど
本当?

というのが本書の書き出しです。

副題に「グローバル」とあるけど
地中海は思ったより大きくない。



エーゲ海からエジプトまでを見ると
日本海とそんなに変わらないくらいだ。

筆者はまず
上記の国々の交流の痕跡を丁寧に示していく。
金属、木材、装飾品、布製品・・・
たくさんのものが交換された。
はじめは王族間の贈り物として。
(粘土板や壁画に記録が残されているという。
「津軽藩の殿様の葬列」という絵巻を見たことがあるけど
録画のない時代
絵は記録のための大事なツールだったのだろう)
やがては民間人によって。

そんな交流のあった都が一斉に滅んだ。

筆者は海の民のしわざだという説を否定する。

このころ
この地域では地震が多発していた。

気候変動によって収穫量が落ちていた。
飢饉もあった。
そのため移住する人々も多かった。

あちこちで内乱が起こって、
支配者の力が落ちて来ていた。

輸入品に過度に依存している地域もあった。

このどれが
崩壊のきっかけになったのか・・・


何だか
現代の日本にも当てはまることばかり。

9割以上を人の手に委ねている暮らしが
崩れるのは
簡単なのかもしれません。







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アマゾンの料理人

2018-04-14 | 読書日記
裏庭のカタクリが
もう少しで咲きそうです

「アマゾンの料理人」(太田哲雄 2018年1月刊)を読みました。




長野県の高校時代
「料理の鉄人」に出ていた料理人たちの料理が食べてみたいと思った筆者は
アルバイトをしてお金を貯めては
東京に「食べ」歩きに行っていた。

高校を卒業した後
イタリアに行って語学学校に入り
イタリアでも「食べ」歩いた。

帰国して
いよいよ料理人になるための修行をはじめる。
東京のイタリアンレストランで4年
またイタリアに行って
語学学校に通いながら
レストランで研修生として働き
3ヶ月後語学学校を修了して手打ちパスタの修行をはじめる。
その後
あるレストランでデザート・シェフになるも
休暇の時に行ったスペインに惹かれて
予約が取れないことで有名な「エル・ブジ」の研修生になる。

でも
そこでむくむくと違和感が湧き上がる。
きれいな形に切り揃えるために捨てられるニンジン
専用の機械を使って作られるムース
・・・・・

料理とは何だろう?
「エル・ブジ」で出会った南米の料理人たちの話から
筆者は南米に行ってみたいと考えるようになる。
行く先はペルーに決めた。
ジャガイモだけで何百もの種類があり
アマゾンからの食材も多いペルー。

今度はいきなりレストランで働くのはやめて
普通の家に居候させてもらって
地元の人たちが食べているものを知ろう。
そういう素地なしには
「料理」を理解することはできない

ここから「素地」を作るための日々がはじまる。
(ここからがタイトルのアマゾン編)


器用で何でも見よう見まねでできてしまうのに
「素地」作ろうと考える
ところが筆者の非凡さなのかなぁ
と思います。





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額を紡ぐひと

2018-04-08 | 読書日記
とても寒い
日が続いています。

「額を紡ぐひと」(谷瑞恵 2018年2月刊)を読みました




額装師というめずらしい
お仕事モノ?
と口直し気分で読みはじめて
(前に読んだのがゾンビの出てくる本格推理)
気がついた。
これはなかなか消耗しそうな作品らしい。

額装師の夏樹の依頼人は
対岸にはいない。
いや
はじめは対岸のひとなのだけれど
夏樹はどんどん川を渡って
依頼人の岸に上がり
依頼人の過去をわが身に引き寄せてしまうのだ。

一緒に住んでいた恋人をバスの事故で亡くした後
夏樹はそれまでの仕事を辞めて
恋人の額装師の仕事を引き継いだ。
作りかけで置いていかれた額を
完成させたいという思いもあったのかもしれない。
夏樹自身にもよく分からない。
未完成の額は
工房のウィンドウに飾られている。

自分は本当に生きているのだろうか?
恋人の弘海の歩もうとした人生をなぞっているだけではないだろうか?
そう思いながらも
前に進むことは
弘海の死の地点から遠ざかることになるような気がして
このままでいたいようにも思う。

第1章で夏樹が作るのは
枯れたヤドリギを入れる額。
樹脂の中に閉じ込められたヤドリギは
教会の祭壇のようなつくりの
箱のように厚みのある額に入れられた。

第2章で夏樹が作るのは
亡くなった妻の飼っていたインコの声を閉じ込めた額。
窓枠のような形で
雲に似た透し彫りに空色のステンドグラスがはめ込まれた額の中には
亡き妻の彫った小鳥のブランコが吊るされた。

第5章で夏樹が作るのは
孤独な少年が貰ったカレーのソースポットを入れる額。
ドーム屋根と柱のある額縁の中に
風に舞う草の葉のように銀糸が織り込まれた
紺色の唐草模様の裂(きれ)のマットがあって
ソースポットを収めた部屋のように見える。

くおん堂の息子なのに
仕事もせずにふらりと夏樹の工房に現れる純
カレー屋の池畠
純の同級生のゆかり
胸の底に傷を隠し持った人物たちが
額の後ろを
横切って行きます。









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ノーラ・ウェブスター

2018-04-04 | 読書日記
予報では
雪が降るらしいです。
この冬は11月初旬から降りはじめたから
これで6ヶ月目に爪先がかかります。

「ノーラ・ウェブスター」(トビーン 2017年11月刊)を読みました。




母親をモデルにした自伝的な作品
と惹句に書かれています。

ノーラは46歳にして夫を失う。
ノーラには
進学して家を出ている2人の娘と
家にいて学校に通っている2人の息子の
4人の子供がいる。

小さな町なので
町中でノーラが未亡人になったことを知らない人は誰もいない。
亡き夫の兄弟たちも
自分の妹たちも
町の人たちも
「気の毒なノーラ」を何くれとなく世話をしてくれる。
(「気の毒なノーラ」!)

ノーラは少しずつ思い出していく。
自分のために何かをすることを。
洋服屋のウインドーに飾ってある服を試着して買う。
靴を買う。
音楽鑑賞会に参加する。
レコードプレーヤーを買う。
レコードを買う。
音楽をかけてくつろぐ。
歌のレッスンを受ける。
泳ぎに行く。
部屋をリフォームする。

でも
押し寄せてくるものもある。
娘は政治活動に参加しているらしい。
上の息子は夫の死後吃音がひどくなった。
感受性の強い下の息子は周囲の人の反応ばかりを気にするようになっている。
上の息子は学校に馴染めないでいる。
・・・・

3年の日々が
きっちりと編み目の揃った律儀な編み物のように
プラスの出来事も
マイナスの出来事も
一目ずつ書かれている。

筆者は吃音のある上の息子のモデルらしいです。

アイルランドの作家です。

風変わりなスパイスの効いた焼き菓子を食べた気分です。










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ラストラン

2018-04-01 | 読書日記
おばあさんといえば
着物を着て
髪をお団子に結っている
というイメージだけど
(祖母もそうでした)
そうでないおばあさんはないのだろうか・・・・

と思っていたら
角野栄子さんの国際アンデルセン賞受賞のニュース
ということで
「ラストラン」(角野栄子 2011年1月刊)を読んでみました。




74歳になるイコさんは
ある日
思い立ってオートバイを買いに行くことにする。

「ゆっくりと、少しずつなにかが私から消えていく。
でも
ちんまり、おだやかに過ごすなんて、やっぱり、やだ」
ということで
69歳の時に手放したオートバイを
もう一度手に入れてラストランをすることにしたのだった。

250ccの真っ赤なオートバイと
赤いフルフェイスのヘルメット
黒い革のライダースーツ(スペインのブランドものをネットで買った)
赤いカシミヤのマフラー
プロ仕様のブーツ
赤いボディサックも揃えた。

イコさんの目的地は
岡山県、川辺
たった1枚残っていた「お母さん」の写真の場所だった。

家(お母さんの生家)はもうなくなっているだろう
と思っていたのに
着いてみると家はちゃんと残っており
そこには水玉模様のワンピースを着た女の子がいた。
ふーちゃん、12歳。
イコさんが5歳のときに死んだ「お母さん」だった。

どうしても消せない心残りがあると
この世に居残って幽霊になるのだという。

ふーちゃんの希望で
イコさんはふーちゃんをオートバイの後ろに乗せて
旅を続ける。
そして
あちこちで心残りのある幽霊に出会っては
お節介をやいてあげることになる。

最後にふーちゃんは消える?
のかと思いきや
「将来が楽しみ」というふーちゃんは
イコさんと暮らすことを選ぶ。

「昔が未来になって
未来は昔になっていく」
幽霊との暮らしも素敵じゃない?
とイコさんは思う。


東京でのイコさんとふーちゃんの暮らし編も
読んでみたいです。





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