七七ブログ

タダの詩人「七七」による人心体実験の記録 

伝統

2007-03-31 23:19:47 | 雑文
昨年教育基本法が改正され「伝統・文化の尊重」という教育方針が打ち出されたという。
文化には歴史があり、長年受け継がれて来たものを伝統と呼ぶのだろう。
しかし長年受け継がれてきたものは全て尊重に値するものだろうか。
例えば最近談合事件に対する取り締まりや処罰は厳しいものがあるが、
談合は日本の建設業界の伝統に他ならないのではないか。
悪しき伝統を排することは正しいことだという共通認識があるようだ。
すると「伝統の尊重」とは「良い伝統の尊重」という意味だと解釈できる。
「良い伝統を尊重して悪い伝統を排する」ということであれば、
良いことと悪いことの判断基準は伝統であるか否かには左右されないことになる。
「良い伝統を尊重して悪い伝統を排する」を方程式と考えれば、
「伝統分の一(1/伝統)」をかける、あるいは「伝統」で割ることによって、
その方程式は「良いを尊重して悪いを排する」と書き換えられる。
「良いを尊重して悪いを排する」ためには良いことと悪いことを区別しなければならない。
それは伝統によらないのだから今現在生きる我々が考えて決断しなければならない。
つまり我々がなすべきこととは価値判断を誰にも頼らず自分自身で行わなければならないということだ。
その判断が新しい伝統となり受け継がれて行くだろう。
その責任を回避しようとすることこそが伝統に反することであると言える。
我々は伝統の継承者であり破壊者であり、新しい伝統の創造者でもあるのだ。

そう考えていくと新しい教育基本法における「伝統・文化の尊重」という一節は
「価値判断の自主性、創造性」と書き換えられるべきである。
未来を担う若者に回りくどい言い方は教育上よろしくない。
単刀直入に言うべきである。

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2007-03-10 00:56:59 | 自動書記
離れている 弱い
xとy あくまでくっついて
外れないものを外す 天然の知恵の輪
微分解体 微生物による
言葉の腐蝕解体分解作業
時間が流れている状態
ものが動いている状態
ミクロの粒子までもが動いている状態
全てのものが止まっていたら時間が流れているのか止まっているのか
判断できない
したがって時間が流れているということはものが動いているということと同義だ
動きが時間
動くということは
エネルギーによるもの
エネルギー保存の法則に従えば
エネルギーは不変
形が変わるだけ
変化するエネルギーの形態
その変化の過程が時間
同時的にすべてが動いている
共通の時間を設定できる
しかし動いているものは
静止しているものとは別の運動系にいるので
時間の流れ方が違う
ビッグバンのエネルギーが拡散
生命体はエネルギーのだま よどみ
ものはエネルギーの詰まった
静止体
人間の脳は
エネルギーを記号に変換
記号的エネルギー 知力 精神力
記号的エネルギー生成
それを物理的にフィードバックする体
文明はエネルギーの一形態
芸術はエネルギーの一形態
芸術=エネルギーの結晶化
結晶化
結晶化するのは人間脳
生存の役に立たない活動
記号的エネルギーのやりとり
動性を内包する静止体
物質化
もののなかにエネルギーを封じ込める
折り畳んで収納する
エネルギーの効率の良い折り畳み方
最も小さなところに最も大きいエネルギーを
ビッグバン特異点の再来 模倣 模型 
仮想現実の特異点
概念の特異点
エネルギーが爆発的に溢れ出す
脳を通じて 脳で変換して
物質エネルギーと記号エネルギーを脳で変換して
手に取って感動して 感動して手に取って
生命体と言うエネルギー体に薪がくべられる
芸術は人間脳媒介型記号的エネルギー結晶化活動
である