美しき旋律 麗しき雑音

忘れるための記憶/覚えておかないための記録

まとまったお金の唄@大阪(06/5/31)

2006-06-01 20:41:32 | 演劇
17時ジャストに片付け完了。タクシーでJR伊丹。JR~地下鉄で四ツ橋へ。大人計画の「まとまったお金の唄」大阪初日を観劇に。小腹が空いてたので、会場近くの蕎麦屋へ。近所のサラリーマンと思しきグループが2、3。ちょっとしたアテで酒を飲んでる。うわ、いいなあ、こういう蕎麦屋。仲間になりたくなるが、こちとら時間がない。生ビールと海老天おろしそばを注文。ほどなく運ばれてきて、一気にすする。結構、旨い。ちょっと幸せな気持ちになる。

会場に着き、そのまま入場。お楽しみのひとつ、パンフレットは今回なさそう。じゃあ、ってことで席のある2階へ向けてひたすら階段を上る。ホールに入って下を見るとやはりステージは遠し。今回の席はさらに後ろ、っていうか上。最後尾から2つ目でした。オペラグラス持ってきてよかった。

19時過ぎ、客電が落ち始めたのと同時に演者がぞろぞろ。無造作に芝居は始まる。70年の大阪万博をモチーフとした芝居であり、舞台装置にも太陽の塔をイメージしたかのような模様。

平岩紙ちゃんが狂言回しを務め、ストーリーは進んでいく。なるほど、こういうやり方もあるのね。面白い。

一部の役者を除いて、全編大阪弁のセリフである。結構、みんな自然。客演の1人、市川美和子さんは特に自然なイントネーションだったように思う。そうして、引き込まれていくのだが、平日の観劇はよくないなあ。次の日のプレゼンのことを考えてしまったり、翌朝のしんどさが頭をよぎったり。なんとなく集中出来ない一瞬が何度か訪れる。

不幸なエピソードも笑っちゃうし、荒唐無稽な出来事も笑っちゃうけど、当事者にとってそれがどんな意味を持つのか考えてみる。

舞台は70年代であるが、ところどころに現代日本の持つどうしようもない状況を風刺する部分もあり、そういった姿勢にいつも惹かれるのである。

しかし、阿部サダヲ氏、荒川良々氏、パワフルである。クドカンもいい調子だ。標準語を話す数少ない役の1人、伊勢志摩さんの怪演にもぶっとんだ。

そして、芝居は唐突に終わるのである。2時間ちょっとの夢うつつ。また、次の日の仕事のことを考えてしまうのであった。

会場を後にし、本町方面へ。遠くから手羽先屋のネオン看板が見える。思わず吸い寄せられ、お店の人となる。結構繁盛しているその店は、間口はそんなに広くないが奥行きがかなりあり、我々はその一番奥に通されるのであった。

手羽先屋であるので、まずは手羽先から。その他もろもろ食って飲んで、23時頃お開きにする。店を出ると目の前が地下鉄本町駅の入口というグッドロケーション。あとは、一気に地下鉄~JRで帰宅。またまたAMAZONからCDやら本やらいっぱい届いていて、ある意味鬱陶しい。パッケージを開けるのももどかしく、さっさと風呂に入って寝る。