
ご遺族が病棟を訪れてくれました。
何度か病棟に顔を出してくれていたのですが、ポンが不在のときばかりで、ようやく、お会いできました。
このご遺族さん…、つまり、お母さん、20歳代の患者さんを亡くされました。
日勤でとっても忙しかったけど、これは、ちゃんとお話を聴くタイミングだわと思って、ロビーのソファにどっかり座って、お話を聴くことにしました。
患者さんに付き添っている時からいつも笑顔だったお母さん。
その日もいつものような笑顔でした。
普段の生活を送っていらっしゃるように見えましたが…。
あまりにも若い年齢で子どもさんを失うことの心の痛みは、痛いほど伝わってきます。
「まだまだ、しんどいんやないの?」
そう聞いた途端、お母さんはぼろぼろ涙を流し始めました。
「泣いてばかりで、みんなにそんなんじゃあかんっていわれるし、あの子もあんまり泣いてたら、ばけてでてくるんじゃないかと思って…。」
と、お母さん。
「うーん。でもなぁ、ばけてでも、でてきてもらいたいんとちゃうん。」
と、ポン。
そしたら、お母さん、
「そうやねん。出てきてくれるもんなら、会いたいわ…。」
そら、そうやろ。
そうやろ。
緩和ケア病棟とはいえ、20歳代の患者さんに出会うことはそう多くありません。
ですから、余計に印象に残りますが、この患者さんのことは忘れられないものがあります。
こんな若い人を、病気は哲学者に変えてしまうのかしら。
そう思った時もありました。
この患者さんなりに、精いっぱい生きている姿を見せてもらいました。
まだまだ、周りの人には、泣いてばかりで、そんなんじゃあかんといわれるとお母さんはおっしゃってました。
「そんなんじゃあかん」
大切な人を亡くした方に対してよくいう言葉かもしれませんが、これほどつらい言葉はないのではないかと私は思います。
泣きたい時に泣けることこそ、まだまだつらい時期には必要なことですから…。
『泣きたい時には、泣ける場所でしっかり泣いてね。それが弱いってことには全然、ならへんねんで。前に進むためには…、前に進むって、ちょっと言葉が違うかもしれんけど、今を生きるには、泣くことはとっても大切やねん。泣いてええねんで。』
お母さんはとっても安心して帰られました。
いえ、ほんのつかの間の安心でしょうけど。
今度、お母さんと患者さんのご兄弟(子どもさんね)に会う予定を立てようと思っています。
私も会いたいから。
お話をしたいから。

3日に母は天国へ旅立っていきました。
母の呼吸が止まる瞬間、母の目頭にうっすらと涙が…。
私は何も言えずに、ただ手を握りしめているだけでした。
私と夜勤の看護師さんと二人で看取りました。
後悔はいっぱいあります。悔やんでも悔やみくれないほど。
だけど、この1ヶ月は私達に後悔させないために、母がくれた時間だと思っています。
ポンさん。。。素敵です。
「泣きなさい」「泣いていいよ」との言葉は私にとっての救いでした。
大切な人を亡くして、大丈夫な訳がない。
泣けるって…大事な事なんです。泣かなきゃいけないんです。
だから、私は父の涙を見た時に安心したくらいですから。
娘は中学の時に友達を自殺で亡くしました。
「お母さん、ほんまに悲し過ぎると泣けへんのかな」
私は娘を泣かすために葬儀に参列させたのを思い出しました。
今、折りにふれ、母を思い泣いています。泣けるだけ有り難いと。
ポンさんの言葉とブログに励まされた日々は終わりを迎えたとは思ってません。
死にゆくのではなく、生き抜く…
母が私に問いかけているのかもしれません。
命って…?生きるって…?
私はこれから、その答えを探してみようと。
また、お邪魔しにきますね。
ポンさん。。。くれぐれも、無理なさらずに。
今もあわただしくされているのではないでしょうか。
お母さんをがんばって介護されても、
やはり、ご家族としてはもっと〇〇してあげればよかった、あのとき〇〇すれば…、とか、
思いが溢れだすのが止まらないことと思います。
結果はお別れという形でとても残念ですが、
お母さんのために、大切な人のために、
周りの人がああでもない、こうでもないと考えてやってみることに価値があると思います。
ありすさんの思いは、
絶対にお母さんに伝わっています。
そう信じてます。
どうか、
ありすさんもお体に気を付けて。
いつも、
ご来訪、ありがとうございます。
「本当に」お疲れ様でした、です。
一時違いでえらいことな表現になっちゃいますね…。