今朝、駿河湾で震度6弱の地震が発生し、駿府城の三の丸石垣が外堀に崩れ落ちた様子がニュースで流れていました。明石城では、平成7年の阪神淡路大震災で現存する二基の櫓が傾き、石垣が崩壊し、孕むなどの被害がありました。傾いた坤櫓は約50mも移動させ、櫓台の石垣を修復した後、元の位置に戻されました。手前の稲荷曲輪の石垣は、大きく孕み危険な状態でしたが、修復されました。
本丸の東南に位置する巽櫓も、坤櫓と同様全面にわたる白漆喰の壁の塗りなおし、本瓦の葺きなおしを行い、白亜の3層3階の隅櫓が甦りました。
三の丸北に広がる薬研堀に面する石垣は、布積みといわれる積み方で元通りに修復されています。これらの修復工事は着工後わずか2年足らずで完了される大工事であったと思います。
大坂城は本丸はもちろん二の丸に至るまで、どこを見ても大きく高い石垣が続きます。二の丸京橋門跡には、桝形を築く石垣の中に5×11メートル(縦横)にも及ぶ肥後石があります。
また、本丸の桜門の桝形正面には、城内最大の巨石・蛸石が見え、さらにその先には天守を望むことができます。
これらの巨石は、遠く瀬戸内海の島々からも運び込まれたようです。岡山県牛窓沖に浮かぶ前島にも石切場跡があり、多くの割り石が残され点在しています。割り石には工事を担当した鳥取藩の刻印もありました。
二条城の外堀には東西南北四つの門が設けられています。東大手門(重要文化財)は堀川通りに面する正門であり、門柱や門扉に鉄板を張ってはいますが、京都の土地柄のためかどこか優美に見えます。
北大手門(重要文化財)は、櫓門であることはもちろん、中央の連子窓など、一見すると東大手門とまったく同じように見えるのでが、少しだけ小さいとのことです。
埋門形式の西門は搦手にあたり、内側に桝形を設けています。往時は外堀に木橋が架けられていましたが、今は取り払われています。戦時は、この様に木橋を落し、敵の進路を絶ったのでしょう。
南門は高麗門形式で、門の右脇の土塀上には、遠侍の軒を僅かにのぞき見ることができます。今回は人出の少ない開城(8時30分)前にゆっくり1時間ほど掛けて一辺が約500mの外堀を一回りしました。
JR彦根駅から約15分駅前お城通を真直ぐ歩くと、いよいよ彦根城とのご対面です。外堀越しに佐和口多聞櫓、彦根山の中腹に天秤櫓、さらにその後方に天守を一望することができます。
外堀を渡り桝形をなす佐和口門跡の高い石垣の間を通り過ぎると、内堀近くに柿葺き屋根が美しい馬屋があります。
内堀に架かる表橋を渡り彦根山の坂を登ると、天秤櫓下の尾根を掘った空堀に達します。両側を高い石垣に囲まれ、ここを通過する敵兵は頭上から矢が射られ難儀したと思われます。天秤櫓は、東西二つの二層二階の隅櫓が、廊下橋を中心にして、まるで天秤のように見えることから名付けられたそうです。また、非常時には廊下橋を落とすことで、本丸と鐘の丸を分断し、本丸への進入を阻止しました。
廊下橋を渡り天秤櫓の門をくぐると、やがて太鼓門続櫓が見えてきます。太鼓門は本丸への最後の守りの拠点で、一層の櫓門の前も門の内も石垣で防御を固めています。
太鼓門を抜けると、いよいよ国宝天守の本丸です。