マックパパのお城めぐり

日本全国のお城をめぐり、撮影した写真を紹介していきます。

赤穂城 本丸門

2009年08月13日 | 日本の城

平成8年に復元された赤穂城の本丸大手門は本丸の北に位置し、一の門は入母屋造本瓦葺の櫓門、二の門は切妻造本瓦葺の高麗門であり、石垣と土塀により方形の枡形を形成しています。

姫路城 十景①

2009年08月12日 | 日本の城

姫路城十景は大天守をより美しく見ることのできるポイントとして、観光マップに紹介されています。その一つ三の丸広場から見る大天守は五層六階で、唐破風、千鳥破風を重ね、どっしりとした姿を見せています。左には渡り櫓で結ばれた三層三階の西小天守を従えています。その手前は、二の丸から備前丸へ通じるぬの門と、チの隅櫓、渡り櫓です。下山里の緑と白壁のコントラストが、天守群をより引き立てています。

明石城 阪神淡路大震災

2009年08月11日 | 日記

今朝、駿河湾で震度6弱の地震が発生し、駿府城の三の丸石垣が外堀に崩れ落ちた様子がニュースで流れていました。明石城では、平成7年の阪神淡路大震災で現存する二基の櫓が傾き、石垣が崩壊し、孕むなどの被害がありました。傾いた坤櫓は約50mも移動させ、櫓台の石垣を修復した後、元の位置に戻されました。手前の稲荷曲輪の石垣は、大きく孕み危険な状態でしたが、修復されました。

本丸の東南に位置する巽櫓も、坤櫓と同様全面にわたる白漆喰の壁の塗りなおし、本瓦の葺きなおしを行い、白亜の3層3階の隅櫓が甦りました。

三の丸北に広がる薬研堀に面する石垣は、布積みといわれる積み方で元通りに修復されています。これらの修復工事は着工後わずか2年足らずで完了される大工事であったと思います。

大坂城 巨石

2009年08月10日 | 日本の城


大坂城は本丸はもちろん二の丸に至るまで、どこを見ても大きく高い石垣が続きます。二の丸京橋門跡には、桝形を築く石垣の中に5×11メートル(縦横)にも及ぶ肥後石があります。

また、本丸の桜門の桝形正面には、城内最大の巨石・蛸石が見え、さらにその先には天守を望むことができます。

これらの巨石は、遠く瀬戸内海の島々からも運び込まれたようです。岡山県牛窓沖に浮かぶ前島にも石切場跡があり、多くの割り石が残され点在しています。割り石には工事を担当した鳥取藩の刻印もありました。


大和郡山城 転用石

2009年08月09日 | 日本の城

福知山城の五輪塔に続き、大和郡山城でも多くの転用石が使われています。石材の不足を補うため、権威を示すためなどその理由はいろいろあるようです。天守郭の極楽橋門跡の石垣には、宝篋印塔の返花紋が見えています。

天守台北の石垣には、石仏が逆さに籠められています。石垣は、見えている部分より隠れている部分の方がはるかに大きいが、そのことがよく分かります。

また、天守台の石垣には、平城京羅城門の礎石ではないかと言われるものがあります。

福知山城 五輪塔

2009年08月08日 | 日記

今日は朝早く(6時)出かけ、自宅から片道約1時間のところにあるお墓の掃除、草取りをやってきました。
福知山城の天守台から本丸にかけての野面積の石垣には、自然石に混じって多くの五輪塔、宝篋印塔、石仏が使われています。ここまでやるか!なんて思っちゃいます。

二条城 虎口

2009年08月07日 | 日本の城

二条城の外堀には東西南北四つの門が設けられています。東大手門(重要文化財)は堀川通りに面する正門であり、門柱や門扉に鉄板を張ってはいますが、京都の土地柄のためかどこか優美に見えます。

北大手門(重要文化財)は、櫓門であることはもちろん、中央の連子窓など、一見すると東大手門とまったく同じように見えるのでが、少しだけ小さいとのことです。

埋門形式の西門は搦手にあたり、内側に桝形を設けています。往時は外堀に木橋が架けられていましたが、今は取り払われています。戦時は、この様に木橋を落し、敵の進路を絶ったのでしょう。

南門は高麗門形式で、門の右脇の土塀上には、遠侍の軒を僅かにのぞき見ることができます。今回は人出の少ない開城(8時30分)前にゆっくり1時間ほど掛けて一辺が約500mの外堀を一回りしました。

広島城 原爆の日

2009年08月06日 | 日記

今日は64回目の原爆の日です。お城めぐりの中でも、その傷跡を垣間見ることできます。三の丸から本丸中御門跡を望むと、二の丸から本丸に架かる土橋を渡った門跡前では被爆したマルバヤナギが精精一杯がんばっています。

中御門跡には戦火で赤く変色した石垣がそのまま残っています。

広島城天守は昭和20年8月6日まで現存したが、被爆により崩壊し天守台石垣下に崩れ落ちました。二度とこのような惨劇が起こらないことを願います。

彦根城 重要文化財

2009年08月05日 | 日本の城

JR彦根駅から約15分駅前お城通を真直ぐ歩くと、いよいよ彦根城とのご対面です。外堀越しに佐和口多聞櫓、彦根山の中腹に天秤櫓、さらにその後方に天守を一望することができます。

外堀を渡り桝形をなす佐和口門跡の高い石垣の間を通り過ぎると、内堀近くに柿葺き屋根が美しい馬屋があります。

内堀に架かる表橋を渡り彦根山の坂を登ると、天秤櫓下の尾根を掘った空堀に達します。両側を高い石垣に囲まれ、ここを通過する敵兵は頭上から矢が射られ難儀したと思われます。天秤櫓は、東西二つの二層二階の隅櫓が、廊下橋を中心にして、まるで天秤のように見えることから名付けられたそうです。また、非常時には廊下橋を落とすことで、本丸と鐘の丸を分断し、本丸への進入を阻止しました。

廊下橋を渡り天秤櫓の門をくぐると、やがて太鼓門続櫓が見えてきます。太鼓門は本丸への最後の守りの拠点で、一層の櫓門の前も門の内も石垣で防御を固めています。
太鼓門を抜けると、いよいよ国宝天守の本丸です。

江戸城 一般参観

2009年08月01日 | 日本の城

江戸城は、本丸・二の丸が皇居東御苑として公開され、三の丸・西の丸の一部も事前の申込により参観できます。(インターネットでは参観希望日の1週間前まで)いつもは閉ざせれている桔梗門から入城し、宮内庁職員の方の案内で約1時間、江戸城を楽しむことができました。一般参観で、まず見えてくるのが本丸石垣上の富士見櫓です。

蓮池濠越しには、本丸石垣上に富士見多聞がわずかに見え隠れしています。さらに、その先には天守台に程近い西桔橋も見えます。

深い湟池濠越しの石垣は、濠の水面から芝を植えた土塁を築き、さらにその上に低い石垣を築く鉢巻土居と言われ、石垣上には伏見櫓が現存します。