メランコリア

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ここにあるのはわたしの心象スケッチです。

『怖れを手放す』(星和書店) (その1)

2015-02-08 12:15:54 | 
『怖れを手放す』(星和書店)
水島広子/著

『愛とは、怖れを手ばなすこと』(サンマーク文庫)を読んで、そこに書いてあった
「アティテューディナル・ヒーリング・ジャパン」に興味を持ち、本書に基づいてやるということなので、読んでみた。

実際の「入門ワークショップ」を行っている、その記録ということで会話形式の本になっている。
数人の参加者が本書のために協力して、プライベートなことも話されていて、自分も一緒に参加している気持ちになって読んでみた。
進行しているのは著者であり、「アティテューディナル・ヒーリング・ジャパン」を立ち上げた水島広子さん。


【内容抜粋メモ】

入門ワークショップの位置づけ
「アティテューディナル・ヒーリング(以下AH)」において最も大切な「聴く」トレーニングに入ります。
基本的な考え方は、少なくとも自分の快適さには、自分で責任を持つということです。

ワークショップには、他にも「ボランティア・トレーニング」「ファシリテーター・トレーニング」、
「サポートグループ」に参加することもできます。

これは皆さまのためではなく、自分のためにやっています。
「人のため」という気持ちになると、AHと違うものに変わったときです。


チェックイン(自己紹介)
名前は本名でも、なんでもいい。話すのは「たった今の気持ち」を手短かに。


ジョイニング(つながりの儀式)
これは手をつなぐ儀式で、集まりの最初と最後に必ずやることだが、日本人には抵抗がある方が多いため、
ジェリー(AHの創始者ジェラルド・G・ジャンポルスキー)が「文化によって選択肢があっていいじゃないか」ということでやめた。


輪の真ん中にティッシュを置く
個人的な話をしているうちに泣く方も多いが、他の方にティッシュを渡さないでほしい。
一般社会では善意の行為で、それはそれでいいが、AHでは「それぞれのプロセスをとても大切にする」ところ。
ティッシュを渡すと、人によっては「早く泣き止んでほしい」ととられる場合もあるから。
同様に、体をさすってあげたりするのもやらないで欲しい。あまり触れず、そのままにしておいてほしい。


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AHのガイドライン(指針)
ガイドラインはグループが機能するための枠組みとして考えられた。「ルール」ではないことに注目してほしい
そして、「完璧にやろう」とは絶対に思わないでほしい。「完璧主義」も怖れの代表選手の1つだから。


ガイドライン1:グループの目的はすごく簡単。こころの平和の選択を実践すること。

「世界平和のため」とか「社会貢献のため」とかとは書いてない。
結果として世界平和につながると思いますが、自分が責任をとるということが、こころの平和につながるというのを感じてほしい。

「こころの平和の実践」か「こころの平和の選択の実践」か
「こころの平和を実践する」と言うと、結果への執着が生まれて、視点が未来にいってしまう。「実践」を「練習」と訳してもいい。

完璧な理解を目指さない
今日の目標は6割程度の理解です。


ガイドライン2:グループの中では「聴くこと」に集中し、評価を下さず、自分の話をすることを実践します。

私たちは人の話を毎日聴いていますが、相手の話だけを聴いていることはまずなくて、必ず同時に自分の考えを聴いている。
他人と同じようにできる自分と、できない自分に評価を下しながらとか。

過去のデータベースや、未来を通して現在を見ない
未来と過去は実は同じものを意味する。「あの仕事やらなきゃ」は未来。
「これはこうすべきだ」「また同じ話かは、頭が過去のデータベースを通して現在を見ている。

相手が変わらなくても、自分の聴く姿勢は変えることができる。
思いがよぎった時、「あ、またデータベースに行っちゃった。現在、現在」と戻ってくればいい。
開かれたこころで人の話を聴くというのは、雑音を静めて聴く、現在の音だけを聴くこと。

自分に対する評価を手放す
AHのもう1つポイントは「人」という時は、必ずセットで「自分」が出てきます。
「すべての人が」と書いてある時も、必ず「自分」がそこに入っていることを忘れないでほしい。

AHは正しく理解して実践している限り、辛くなることはあり得ない構造になっている。
辛くなったら、AHが合わないとか、自分がダメだではなく、単にどこか読み違えたり、読み落としたりしているということ。
私たちは想像以上に自分に評価を下して生きている。


ガイドライン3:グループに参加するのは自分を癒やすためで、人にアドバイスしたり、人の信念や行動を変えるためではない。

AHの環境では、アドバイスはしないでください。
悩みを話してアドバイスが返ってくることで傷つく。批判されているように感じたりすることがあります。
アドバイスって「現状が良くないから変える」という行為。だから「現状否定」が前提になる。
すると「そんなの言われなくても分かっている」というのもけっこう多い(私もよくやるな


ガイドライン4:自分自身の体験に基づいて話します。自分の感情を思いきってさらけ出すことで、互いに共通の体験を見出し、人とのつながりを感じやすくなります。

ぜひご自分の気持ちを話してほしい。さらけ出せとは書いてありません。それは自分で選んでください。
いっぱいさら出せば、たぶんいっぱいつながりを感じて帰れます。
その違いは、見ているほかの方にも分かってもらえると思います。


ガイドライン5:自分を含めてグループの一人ひとりをかけがえのない存在として尊重します。
大切なのは、そのプロセスで、自分がどう評価するかではないと認めます。

これは実践するのが一番難しい。辛い話を聴いた時、「可哀想だから早くラクになってほしい」というのも
実は自分が相手のプロセスに対して下している評価だと気づいてください。

人のプロセスを評価するのを止めるのは、そのうちできますが、もっと難しいのは自分のプロセスに評価を下すのを手放すこと。
自分はまだここで何度もぐずぐずしている必要があるかもしれない、それが自分のプロセスだから、
早い&遅い、しつこいなど評価を下さないこと。


ガイドライン6:それぞれの人が自分のこころの声に耳を澄ませるよう、互いに支え合います。
「こんなことをしたら嫌われる」など「頭の声」は毎日、何種類も聞こえるけれど、
こころの声は、その頭の声がすべて静かになった時に聞こえてくる本当の声だから何種類もあったりしない。
そんなの聴いたことがないとしてもフシギじゃない。
アドバイスをしないで、雑音を消せる環境を協力してつくることで、自分のこころの声を聴けるようにしていく。


ガイドライン7:年齢、経験に関係なく生徒と教師の役割は入れ替わる。
「年長者だからと威張ってないで、若者の意見も聞きなさい」と読む人が多いかもしれない。
これを読んで、あまり気分がよくないと思ったら読み違えていると思ってください。

「怖れの綱引き」から手を離す
先生が先生であり続けると辛くなる時がある。失敗した時などは「隠蔽する」「相手のせいにする」など。
そういうのも、「自分は正しくなければいけない」という反応パターン。
これは「先生役が辛くなったら生徒になろう」という簡単なこと。

自分はこれから何を学べるのかと考えれば、見え方がだいぶ変わる。
「困っています。助けてください」「教えてください」と表現するのです。
言われたほうは嫌な気はしないですよね。

子どもは、親からの「助けて」などのメッセージにすごく優しい。ここまでかと思うくらい助けてくれたりする
ジェリーは「ファシリテーター」としての能力は高くない。自分でアドバイスをしてしまうし、AHが乱れたりする
すると「私のこころが全然平和でなくなった。みんな1分間目をつぶって静寂の時をもってくれないか」とお願いするんです。

「生徒役」が辛い時
「先生が頼りない」とか。なぜそうなるかというと、「自分がちゃんとしないと攻撃される」と思っているから。
「あんた先生なんだからちゃんとしてよ」ではなく、自分もそこに主体的に参加している気持ちになるとすごくラクになれる。

こうして役を変えるだけでも随分見え方が変わる。


ガイドライン8:「ランプのかさではなく、光だけを見る」よう、相手に自分のこころを完全に向けるよう実践します。
それぞれの人を全体で見て、外見、気分、行動など、その時の状況で判断しないようにします。

「あの人の洋服シワシワとか、人はランプのかさみたいなところばかり見がち。
その人の本質のほうを見ましょう。


ガイドライン9:平和と葛藤のどちらを選ぶか、怖れにとらわれるか手放すかは、常に自分で選択できる。
これは「選択してくれ」と言ってはいません。


ガイドライン10:グループで話したことはすべて秘密厳守です。



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AHの中心となる考え方

アティテューディナル・ヒーリングとは、「こころの姿勢(アティテュード)」を自ら選ぶことによる「癒やし(ヒーリング)」のこと。
健康は「こころの平和」と定義され、そのために「怖れ」を手放すプロセスがアティテューディナル・ヒーリングである。

自分が攻撃された場合
「あなたは、どうしてなんでもネガティブにとらえるんだ」と言われて生きてきた人もいると思います。

では、例えば私が「どうぞなんでも話してください」と言ったのに「えー!全然違いますよ」と怒ったら、どう感じますか?
a:また自分が間違えていたんだと、自分を責める。
b:変なところに来ちゃったと思う。
c:仮病をつかって帰るかも。

生き物というのは攻撃されたら、「反撃」するか「逃げる」かなんです。
「質問する」という形の反撃もあるし、「壁を作る」ことで逃げる人もいる。
どちらも、“自分のこころが平和ではなかった”ということです。


怒っている人は、困っている人
どうして私が怒ってしまったと思いますか?

a:自分が心地よくないから。→思った通りに進めないから
b:思い入れが強すぎて。→期待に応えられない
c:予定通りいかなくて、軌道修正しようという焦り
d:何かあって不機嫌だった

今度は自分の過去を思い出してください。
人を感情的に怒ってしまった、批判的なことを言ってしまった時。
親子の場合は典型的ですね。「せっかくやってあげてるのに」とか。
上司の場合「君、報告がないじゃないか」→報告があれば、ちゃんと対処できたのに


相手が困っていると分かると・・・
次に、怒っている私の胸に「私は今困っています。助けてください」と本心が出ていていたとしたらどうですか?

a:なにか協力してあげなきゃと思う。
b:矛盾があって当然。人間的だと思う。

ここで気づくのは「自分のこころがとても平和で無傷な状態だ」ということです。
反撃して勝っている時でも、自分は傷ついているんです。自分の問題になっている。

これがAHの「とらえ方の違い」です。
最初は攻撃されて反撃か逃げるか、次は攻撃そのものがなく、ただ困った人が騒いでいただけの話。だから自分は傷つかない。

これは、いわゆる「前向き思考」とは違います。
「前向き思考」は、攻撃として認めていて「痛いけど、私は大丈夫」てちょっとムリがある。


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「アティテューディナル・ヒーリング」という言葉の意味
いちばん正確に日本語に訳すと「こころの姿勢をみずから選ぶことによる癒やし」になる。


中心となる考え方1:こころの姿勢は「ポカポカとした温かいこころ(愛)」と「怖れ」の2つしかない。私たちの本質は愛である。
「怖れ」にはいろんなものがあります。「怒り」「自責」「罪悪感」「べき思考」

こころのあり方を決めるのはなにか
「怖れ」というのは、「自分のこころのあり方は、外側の世界で決められている」と信じていること。
つまり、自分が幸せになるために人が優しくしてくれなければいけない、外側が平和でなければいけない。
「温かいこころ」のほうは、自分そのものが完全なので、外から何かしてもらわなくても自分はポカポカとしていられる

本質はみな愛なのだけど、生まれてから「怖れ」が積み重ねられて、垢のようにどんどんこびりついていく。
例えば「勉強ができない子はダメだ」「人を出し抜かなければ生きられない」など。

でも、例えば、極限の状況では怖れがふき飛ぶ。目の前に死にそうな人がいて、人命救助している時などは
「あの仕事、締め切りが・・・」より、「この人に助かってほしい!」と愛がむき出しになる。


ものごとの見え方は、自分の頭の中を映し出す鏡
逆に、どう見えるかによって、自分の頭の中がどっちになっているかも分かる。鏡として使える。
「攻撃」に見えたら「怖れ」になってる、「困ってるな」と思ったら「愛」になってると気づける。


中心となる考え方2:私たちは選択することができるvs自動操縦
私たちが「選択」という時、選択肢がいろいろあって、うまく選べるかなと思うが、
AHでは「自動操縦」ではないという意味。

私たちは実際には自動操縦になってしまう。酷いことをされたら「一生許さないと思いながら生きる自動操縦状態。
「ゆるす」ことはAHの中核的テーマですが、難しい。
許せないでいると、例えば体の具合が悪くなったり、こころの病気になったり、人間関係が歪んだり、自分にあまりよくないことが起こります。
「許せば相手がいい気になって、続けるのでは?」「お仕置きにならないのでは?」などいろんなことがあって許せない。
これをジェリーいわく「相手の死を願いながら、自分も毒を飲み続けている現象」


ゆるすということ
AHでいう「ゆるし」は過去をすべて水に流すことではない。
自分が不適切なことをされた、辛かったと全部そのまま覚えていていい。
でも、それとともに思い出される、ドロドロした、自分を傷つける嫌な感情は手放せる。
「ゆるしましょう」「大目にみましょう」とは違います。
繰り返し「ゆるさない」と思うことで、自分を傷つけるのはもうやめましょうということ。
どちらでもいいけど、自分で選んでいると意識するだけでも見え方がまったく変わります。


中心となる考え方3:自分のこころの声を聴く。
既出。

中心となる考え方4:完全に「今」に生きる。
AHでは「人の話を聴く」=「自分が現在にいる手段」。「聴いてあげる」ではなく「自分のために聴く」。
自分が人の話を聴くことが「自分への贈り物」となる


中心となる考え方5:自分の選択に自覚と責任を持つ。
「あなたが辛いのはあなたの責任でしょ」と言われて嫌な感じがしませんか。
でも、それは読み間違えだと私も気づいたんです。これこそ「自分のプロセスの尊重」に関係している。

「今こんな選び方しかできない自分」を責めたら、自分に評価を下すことだから。
「人からされたのに」とまだ思っている、という自分をただ尊重すればよくて、それに辛さを感じる必要はない。
「また評価している」と気づけばいい。


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アティテューディナル・ヒーリングのサポートモデル(スター)


スター1:現在への集中
「現在」に集中することが、こころの平和を選ぶ第一歩。

スター2:受容
「受容」とは、現実をあるがまま受け入れること。
こころの平和を選びたければ、受容を選ぶということになる。

スター3:人間性と全体性の認識
ゆるせないと思うのは「人間的なことと認識すること」「人として当然の反応として認めること」。
AHは「怒り」や「ゆるせない気持ち」を手放すプロセスだが、その前には、まずちゃんと認めることが必要。
ゆるせない感情にしがみついている自分を意識して手放す。

これをしないと、「ゆるせない自分をゆるせない」「そんな自分は変だ」と「怖れ」をさらに複雑にし、手放しにくくなる。
AHは、怒らない人をつくるのではなく、怒っていることに気づいて、それが自分のこころの平和になるんだろうか?
と意識して考えられるようにするためのもの。


全体性の認識
簡単に言えば「視野を広げる」、スピリチュアルに言えばもっと広くとれます。
酷いことをされたばかりで、今は一生許せないと思っているが、時間が経てば自分も変わってくるだろうと
全体を見渡すと、「ゆるせない自分をゆるせない」とはならない。
だから、人間性と全体性どちらの認識も、現実をゆるしやすくするといえる。


スター4:自分に対して正直
単純に、自分に対してウソをついているか、本当かということ。
「理解していないけど、分かったフリをしておこう」とかしていると、こころが平和にならないのは分かりますよね。
みんなに合わせて「いい人」を演じていてもこころは平和になりません。
納得していないガイドラインを無理矢理守ってもこころは平和になりません。


スター5:選択
選択するという姿勢を選ぶことです。


スター6:つながり
AHでとても重要な概念の1つです。つながるコミュニケーションにしようと考えています。

内的つながり
自分とのつながりという意味。自分とのコミュニケーションを見直す機会にもなる。
私たちは人とのコミュニケーションはちゃんとやっても、「私なんていいんですなどと、自分とつながらないコミュニケーションをすることが多い。
本質的には、こころの声を聴くという意味になります。

外的つながり
今日、ここにいる皆さんとのつながりをその1と考えると、その2もあります。
「大きな何か」を人によっては、運命、宿命、必然、自然、あるいは神さまととらえる人もいます。
「ジタバタするのをやめて流れに身を任せてみたら気が楽になった」というのはそれを選んだということになる。
「自分はこういうことを学ぶために病になったんだ」と分かるととても楽になる。
AHは、スピリチュアル度を自分の好きなように選べるので、「そんなもの絶対ない」という人は、その1だけでも十分です。

つながりの意味
ここで言っているのは、いわゆる「ニコニコ喋る」みたいなつながりではなく、要は相手の本質とつながるという意味です。


その2につづく・・・


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