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本日(1/23)はブログの休干日

2016-01-22 18:15:07 | 日記

               今日はね、ブログネタが無くてさ、ブログの投稿を休みます  (とはいても投稿してるよ)

           この菜の花畑は、「宇佐美 ・ 大仁 道路」の、三島へ向かって料金所250m程手前の右側に咲いていました、名前は忘れましたが、「苺園」の脇です、今日(1/22)

          いつもの整形外科へ通院しリハビリを受け、ブログネタを探しにカメラを抱え三島へ行ったのだが、もうこの辺では撮影場所が見つからず、ラーメンを食べて帰って来たよ、

          今日(1/23)通院してから【由比】にでも行って桜エビでも食べてくるよ。(あくまでも、予定でやんす。)   (主治医にバレタラまずいよ、お前は薬を処方しているのに、

          勝手に出歩いてばか りいて、治るものも、治らないぞと言われるだろう)

           今日が22日と23日になっているのは、オカシイでしょ・・・・・と言うのは22日に三島へ行って、23日に投稿し、そのあと23日へ由比へ行こうと言う事なのです、なので

          今日(1/23)は通院してから行くという事なんです、予定だけどね。

              2016.01.22

                     


氣賀関所跡

2016-01-22 05:21:59 | 日記

                                                                      浜松 氣賀関所跡

                                                                           静岡県浜松市北区氣賀

                                                                           問い合わせ先

                                                                            浜松市役所文化財課

                                                                            ☎ 053-457-2466

                            2016.01.14 撮影

                            

             往時を伝える関所跡

           気賀関所は慶長6年(1601)に本坂道 通称【姫路街道】の道行きを取りしますため徳川家康により創設されたいいわれています。

          関所建物は昭和35年(1980)まで残っていましたが、その後は殆ど解体され現存しているのは本番所(ほんばんしょ):通好する旅人や荷物を取り調べた建物の

          一部のみで「氣賀関谷本番所」として浜松市指定文化財となっています。

           なおこの、番所から約600m離れた場所には現存部分や江戸時代の文献を参考にして再建された氣が関所があります。

           現存部分は碑が建つ建物脇の小路を進んだところにあり、少し解りづらいので注意して訪れて下さい。」

                            

                            

                            

                            

                            

                            

                            

                            

                            

                   氣賀宿の食事

                享保3年(1718)時の将軍徳川吉宗の生母浄円院が紀州和歌山から江戸は向かう道中に氣賀宿にも一泊しまSた、これはその時のお付の役人たちに

                だされたと考えられる夕膳と朝膳を再現したものです

                            

                            

                            まだ、1月だと言うのに吊るし雛飾りが飾って有ったよ、でも1月16日までなんだてさ

                            

                  うなぎパイの工場にも寄って見たが、撮影する場所が殆んどない、でもうなぎパイ3袋が1束になっている、お土産をもらったよ。

                            

                            


アクトシティホテル

2016-01-21 09:50:48 | 日記

                                                        Okura Act City Hotel

                                   HAMAMATSU

                               オオクラ アクトシティ ホテル

                                                                   〶 430-7733 静岡県浜松市中区板屋町 111-2

                                                                   ☎ 053-459-0111

                                 2016.01.14

                                 

            この、アクトシティホテルは最上部のヘリポートまでの高さは、地上212.8mで、45階の展望回路までは地上185mあり、静岡県下では最も高いビルです。

            浜松は楽器(ヤマハ)の街でこのビルも楽器のハーモニカを模して、造られたのだそうです。

                                  32F~44F  客室

                                  31F      レストラン

                                  30F      レストラン・宴会場

                                  29F      ヘルスクラブ

                                  9F~27F   オフィスゾーン

                                  B1F~8F   ショピング&レストラン街アクトップラザ  2Fには ホテルオークラベーカリー&カフェ

                                  3F~5F    宴会場・挙式場

                                  1F        ロビー   展望台回路エレベーター乗り場  料金 大人(中学生以上) 500円  子供(小学生) 300円

           東京タワーや(東京スカイツリーは昇った事がない)・新宿副都心の都庁ビル・横浜のランドマークタワーの景観は見るに値するが、ここは、高いビルも無く少し景観に欠ける。

            このアクトシティホテルのベストアングルが解らず、あっちの方へ行きたいなと思っても道路が一方通行であったり、車を止めて撮影しようと思っても、他の車の往来が激し

          かったりでベストアングルを見つける事が出来ませんでした。アクトシティの地下駐車場に車を止めたが、入車場所(たとえば・A15とか)駐車番号を覚えて無く、車を探すのに

          15分程かかたよ、田舎者はいやだね。

                             浜松城も見えたよ、直線距離で1.5km程だろうか?

                             

                             ここはJR浜松駅前のバスターミナルです、45Fの展望回路に行くエレベーター内部より撮影、少し撮影に苦労したよ。

                             

                             正確な名称は少し自信ないが、【安間川】というみたい。

                             

                             浜松市街のビル群、少し貧弱かな?  あ~ご免、ご免

                             

                            展望室のガラスに縦の線が写っているでしょ、最上部のアクトシティホテルの画像以外は全てガラス越の写真の為、

                            鮮明な画像に成らなくて御免ね(撮影技術の未熟でやんす、カメラも安物でさ)、画像上部の水平線に見えるのは

                            浜名湖です。線路はJR浜松駅のプラットホームです。

                             

                             上部画像で書いた様に、浜名湖に流れる【安間川】?です。(画像上部の水平線が浜名湖です)

                             

                             

            入城料が安いので昇って見るのも良いがあまりお勧めできない、食事をしようと思ったが料金が6,000円以上(正確には5940円)~1万1880円で、ディナーとなると

           2万5000円以上かかる、”おいら”お金が無くてさ、食事出来なかったよ、寿し半和楽という処はランチタイムの握りずしが4,500円以上とあったが、浜松で寿司を食べる

           事もないし、身近には沼津市場食堂街があるしね。


浜松城

2016-01-20 12:47:24 | 日記

                                       浜松城

                                                                         〶 430-0964 静岡県浜松市中区元城町 1002

                                                                         ☎ 053-459-4001

                            2016.01.14 撮影 

                            

                                        あなたの知らない 天下盗り物語 出世城伝説の秘密にせまる 

            後に天下人となった徳川家康。その若き29~45才の頃、今川・武田・織田など戦国の世に名をあげた、周辺諸国の名家、巨大な戦国大名に囲まれ、戦い生き延びて

           そして、天下盗りの夢をつかんだ場所が浜松城でした。

            生国の岡崎を離れ、駿府(現在の静岡市)の今川家で送った人質生活、青年期に織田家と同盟を結び、岡崎から西遠までを支配下におさめ、戦国大名として着実に力

           をつけていきました。

            家康の生涯最大の敗戦とも言えるのが、元亀3年(1572)の三方ヶ原の合戦です。南下してきた武田軍2万7千に対するのは徳川1万2千。天下に名のとどろく武田騎

           馬軍団に多勢に無勢。無惨に敗走することになります。

            この時多くの部下を失い命からがら城ににげかえってきた家康は、その憔悴した姿を像として残し、生涯この敗戦を忘れぬようにしたと言われています。

                      出世城と呼ばれた浜松城

            家康が天下統一を果たし、駿府に入城した後、浜松城は主に家康ゆかりの譜代大名が城主となりました。概ね5万石前後で、浜松藩政300年の間に、再任を含め、25代

           の城主が誕生し、老中に5人、大坂城代2人、京都所司代2人、寺社奉行に4人が登用され、「はま松は出世城なり、初松魚」の旬も残されています。

            特に有名な城主天保の改革で知られる、水野忠邦。唐津藩主時代に昇格のため、願い出て浜松藩主となり頭角をあらわし、後に老中となったと言われています。

                            

                                                  門脇の鏡石

                            天守門の石垣正面は左右ともに隅に巨石が用いられている。この巨石を鏡石と呼ぶ。

                           かつて城の壮大さや城主の権力を見せる為、門の両側や周辺に意図的に大きな石をもちいたと言われており、彦根城太鼓門

                           や岡山城本丸、松本城太鼓門の石垣等に類例がある。

                            巨石を用いた部分は算木積(さんぎづみ)  (石垣の角部を強固にするために、長い石材の長辺と短辺を左右交互に振り分

                           けて積む積み方) になっていない。また、横長医師も不揃いで、算木積とは言えない。

                            

                            

                            

                            

                                                    天守門

             浜松城の第二代藩主、堀尾吉晴は城の中枢である天守曲輪に天守を建築したと言われているが、この天守は古図などの資料から、江戸初期には喪失していた

             と考えられる天守曲輪入口の天守門は幕末まで維持されたが、明治6年(1873)に解体され、払い下げられた。「安政元年(1854)浜松城絵図」には安政地震

             による浜松城の被害状況が示されており、天守門でも櫓の壁が一部潰れたものの、深刻は被害を免れた事が記載されている。

                            

                            

                            

                    

                            

                            

                                                     井戸

              この井戸は銀明水(ぎんめいすい)と呼ばれていたと言う。浜松城には、天守台に一つ、天守曲輪の埋門(うすみもん)のそばに一つ、本丸に一つ、二の丸に三つ、

             作左曲輪(さくざくるわ)に四つ、計十本の井戸があったという。天守台の井戸は再建の時に残し、今は天守閣の地下室に有る。直径1.3m、深さは現在一m程にな

             っており水はない。

                            

                            

                                                天守台地下にある井戸

            城にとって重要なのが、水、浜松市史によると、浜松城には天守台の穴蔵、天守曲輪の埋門(うすみもん)そば、本丸に各1、二の丸に3作左曲輪(さくざくるわ)に4、

            計10本の井戸があった。上記説明と重複してしまった、でもね上記画像は井戸と解るが”おいら”にはこの画像は、お風呂かと思ったよ。

                            

                            

              


名古屋城

2016-01-17 11:15:56 | 日記

                              愛知県の名城  名古屋城 

                                                                      名古屋城総合事務所

                                                                      〶 460-0031 名古屋市中央区本町1-1

                                                                      〶 052-231-1700

                                                                      URL http://loco.yahoo.co.jp/place/g-SffBWX2ersE/?utm_source=dd_spot

                         2016.01.14    撮影 彦根から名古屋城への来城が遅れPM04:10頃撮影したため、西日が強く、名古屋城が赤く成っちゃったよ、ご免ね!

                    桜の咲く、3月~4月にもう一度行って見よう、そのときは「、「岡崎城」と「犬山城」も行こうと思う。」                                

                           

         関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康は、慶長14年(1609)豊臣方への備えとして、清須から新城下のの街まるごとの引っ越しを決定。この新たに造られた碁盤割の街が

        現在の名古屋の原型となり、町や橋の名前も受け継がれ7ています。

         慶長15年(1610)名古屋城築城にあたって徳川家康は加藤清正・福島正則ら西国大名20家に普請(土木工事)を命じました。これを天下普請といいます。天守や櫓の

        作事(建築工事)は小堀遠州・中井正清らに命じられ、慶長17年(1612)にほぼ完成しました。尾張初藩主」として家康九男の義直が入り以降名古屋城御三家終わり徳川家

        の居城として栄えました。

         維新後も名古屋離宮としてその美しいたたずまいを誇った名古屋城は昭和5年(1930)、城郭建築における初めての国宝に指定されましたが(昭和20年(1945)の名

        屋空爆によって本丸の殆んどを焼失しました。しかし、名古屋のシンボルとして天守の再建を望む】市民の声は日に日に高まり、昭和34年(1959)ついに天守が再建されました。

         名古屋城本丸御殿は文献や古写真、実測図、障壁図など多数の豊富な資料が残されており、史実な復元が可能であるため、平成21年(2009)に復元工事に着手しました。

        そして、平成25年(2013)5月29日玄関と表書院の公開が始まりました。全体の完成は平成30年(2018)を目指しています。

 

                           

                           

                                               表二の丸をくぐり、本丸御殿通り天守閣へ

                                      

                                      

                                                          当時の石を運ぶ様子。

                                      

                                      

                                      

             

 

地上七階  地下1F、前回来た時おりは城内の写真撮影は自由うであったが展示物がかなり少ない写真撮影はできるものの(3:40滞在)  、最近、彦根や名古屋まで車で行くのは辛くなった、歳かな?

撮影 場所に難が有る、入場料は500円で駐車時間は30分以内180円、次に各30分毎、180円せあった。                   、                                                                                                                                                                                                                                                                    鯱は空想上の生き物で、水を呼ぶことから火除けのまじない  

                                                                           とされてきました。名古屋城の創建時は徳川家の権力・財力

                                                                              を誇るとも言われています 。 

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                

                                                                                                          現在、雄・(南側)              雌(北側)

                                                                                 高 さ      25.78m       高さ       2.61m

                                                                                 重 さ  1   12.15kg       重さ       1.72kg

                                                                                 合板の種類  18k           合板の種類  18k

                                                                                 板の厚み      0,15mm       合板の厚み  15.mm

                                                                                 ろこの枚数    126枚         うろこの枚数   112枚                                                                                                                                                                                                                   金属 (18k)   43.39kg           金属               44.69kg

             彦根に行ってから調子が悪くてさ、名古屋にたどり着いたときは、大好きな「鰻のひつまぶし」や「手羽先」「山本山の煮込みうどん」も食べれなくてさ(お金が無いのが

             事実だがさ)も家に帰りたかったよ。このあと浜松へ行ったのだが「浜松餃子と言う専門店無い様で、各中華やさんがメニューにだしているのが、浜松餃子らしい、浜松

             餃子を出して頂ける」場所を聞いたら【五味八味】が良いとと言われたよ、幻滅。

                              不知火門

                                        

                              表に二の門

                                        

、」

                              表門

                                        

             

                                       

                                       

              

         まだ、浜松城や、ホテル【Okura】が経営する、アクトシティホテル(静岡県で一番高いビルで、静岡と言えばヤマハ楽器にちなんで、ハーモニカを模しているんだよ)後わね「気賀関所」跡、

        うなぎパイの工場見学があるんだけどさ、疲れちゃってパソコンに向かえないよ、ボチボチやるよ、1月30日は福井県の越前海岸にある料理旅館「平成」にタグ付き高級越前ガニを食べに

    いくが、体力が持 ちそうもないよ。それに今回はバスツアーで行くんだけどさ、最近バスの事故が多いでしょ、ツアー代金の他に、任意保険にも加入したよ、死んだら3,000万円だってさ。