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東京湾 アクアライン
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2016.05.18 撮影
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5月18日、東京湾アクアラインを通り、南房館山市にある【館山海軍航空隊赤山地下壕】へ行ってきました。 まずは、東京アクアラインの画像を見てください、開通から
数十年たつのに相変わらずの人気だ、商用でアクアラインを利用している人達を除き、他の利用者の6割以上がここアクアラインに駐車して食事・休憩・トイレなどの利用
のため立ち寄る場所でしょう。
※ これと、言って説明する事も無いので画像だけ見てね。
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カッターフェイス
下記画像のシールドマシンの先端に取り付け海底トンネルを掘削するのに使われた(画像、一番左端の部分)部品です、参考程度に
見てください。
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シールドマシンの概要
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館山市指定史跡
館山海軍航空隊
赤 山 地 下 壕 跡
(あかやま ちかごうあと)
問い合わせ先 〶 294-0045 千葉県館山市北条 740-1
☎ 0470-24-1911
URL http://www.city.tateyama.chiba.jp/syougaigaku/page001892.html
2016.05.18 2016.05.18、
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館山海軍航空隊赤山地下壕跡
赤山地下壕は、合計した長さが約1.6kmと、全国的にみても大きな壕で、館山市を代表する戦争遺跡の一つです。
今のところ赤山地下壕に関する資料がほとんどないため、はっきりとした事は解っていないそうですが、この様に大きな地下壕が1941年(昭和15)の太平洋戦争
の前に造られた例はなく、当時の軍部が本格的に防空壕を造り始めたのは、1942年(昭和17)より後であることが、他地域の壕の建設時期から解るそうです。
また、全国各地に造られた大きな地下壕の壕と壕の間の長さは、一般的には10~20m以上(長野市松代大本営予定地の象山地下壕は25m)であるとされていま
すが、この赤山地下壕は5~10mと狭いうえ、平面図を見ても計画的に掘られたとは考えにくい構造で、昭和10年代の初めにひそかに建設工事が始まったと言う説
もありますが、1944年(昭和19)、以降に館山海軍航空隊の兵隊たちによって、壕が堀り始められたと言う複数の証言が有ります、1945年(昭和20)8月15日の終
戦の日まで、壕の建設工事がおこなわれていたと言う証言もあることから、未完成の事が確かです。
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この部屋( ↓ )はガンルームと呼ばれていたという証言が有ります。少尉クラスの士官たちの部屋だったようで、画像左奥の四角く切った大きなクボミは御真影(ごしんえい)を
安置した奉安殿で、桧の板張りだったそうです。空襲のときに航空隊から御真影を移したということで、少尉クラスの士官の役割でした。
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地下壕の出入り口です。
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大福寺 (崖観音)
館山に行った時、最初に見学しようと思った場所ですが、ご覧のように工事中のため、観音下の場所より(直線距離で約70m)撮影
するしかありませんでした。
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地下壕の撮影には、ヘルメットと懐中電灯がわたされ、住所・氏名の明記が必要でした、壕内はかなり暗くカメラのファインダーを覗いても、
上下・左右が解りずらく、「ヤマカン」で撮影しました、今回は少し残念なページと成ってしまいましたが、許してね。
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