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掛川市指定有形文化財
掛川市 掛川城の郭 (くるわ) 【 竹の丸 】
〶 436-0079 静岡県掛川市掛川 1200番地の1
☎ 0537-22-2112
2016.05.06 撮影 正面入り口
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玄 関
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戦国時代、今川氏・徳川氏の支配下にあった掛川城は現在の天守・本丸・二の丸・三の丸、そして天守と本丸の両側を囲む中の丸の部分であったと思われます。
天正18年(1590)、豊臣秀吉によって掛川城主に任命された山内一豊(やまのうちかずとよ)はそれまでの掛川城に郭(くるわ)を付け加え、城を拡張しました。
この時に竹の丸も造成されたと考えられます。
いつ頃から竹の丸と呼ばれていたのか明らかではありませんが、18世紀初頭に描かれた【遠州懸河城郭図 えんしゅうかけがわじょうくるわず】(兵庫県尼崎市立
図書館蔵)には、【竹ノ丸】と言う表記があり、当時こう呼ばれていたことが解ります。
江戸時代の掛川城の絵図を見ると、「竹の丸」は、掛川城の出入り口の一つであった北門を望む場所であることがわかります。郭の北端に土手を巡らせ土手の外側
には外堀が水を湛えていました。北門から城内に続く道は、竹の丸の南東角で、東・南・西へ分かれる三又路(さんさろ)となっていました。西に向かう道をそのまま進
めば中の丸。竹の丸の向かいにあった裏門を潜(くぐ)れば二の丸へと通じていました。
この様に、竹の丸は北門の守りを固める位置にあり、また天守閣や本丸等の城の中心部に通じる道筋にあたり、防衛上重要な場所であったことから、家老等重臣の
屋敷地に割りあてられていました。
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母屋の内部
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離れ2階の貴賓室
中国式の「花頭窓」や白く塗られた「ベランダ」が施され、和洋折衷の造りとなっていました。窓にはステンドグラスがあり、
貴賓室といわれる素晴らしさが見て取れました。
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2階の貴賓室を別アングルより撮影して見ました。
ベランダへの立ち入りは耐震強度不足のため、入ることが出来ませんでした。
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母屋内部より庭園の灯籠を見る
薄暗い邸内の部屋より見る灯籠が印象的でした。
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竹の丸邸内の庭園
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画像2階の左部屋の貴賓室のベランダに白く塗られた格子が見て取れるでしょうか?
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竹の丸より見る掛川城
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ここのところ、掛川城・二の丸御殿・竹の丸と3回も掛川城に関する画像の掲載で、閲覧して頂いている皆様には退屈だったでしょう?この掛川城の画像は雨降
りの中で撮影したため霞んでしまったよ、邸内の近くを撮影した画像は、まあ々だけどさ、遠くの画像は霞むね。 次の掲載は浜松よりお届け致します。
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