Dogma and prejudice

媚中派も媚米派も同じ穴のムジナ
従属主義的思考から脱却すべし
(言っとくけど、「媚米」と「親米」は違うんだよ)

ティー・ブレイク 12.23

2006-12-23 | ティー・ブレイク
■ポートレート 相田翔子

相田翔子
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相田 翔子(あいだ しょうこ、1970年2月23日 - )は日本の女優、歌手、タレント。元アイドル歌手デュオWinkの一員。

東京都東村山市出身。アップフロントエージェンシー所属。

■画像1 ススキ




■画像2 驚愕

neko


■画像3 (nya)こちらスネーク。大佐、聞こえるか?(その3) 

■画像4 (nya)チラッ(その5)

■画像5 (nya)デスニャート

■気になる言葉 誤字等の館:袖触れ合うも多少の縁

【袖触れ合うも多少の縁】(取違科)

Google検索結果 2006/07/17 袖触れ合うも多少の縁:214件

袖触れ合うも多少の縁。
道で人とすれ違い、袖が触れ合うようなことでも、それは多かれ少なかれ「縁」である。
人の「縁」は貴重なものであるから、出会いは大切にしなければならない。

……という解釈で納得している方、ご注意を。
これが「ことわざ」だと思ったら、大間違い。
その正体は、ことわざから生まれた「誤字等」です。
本当の意味を知らずに使っていると、大恥をかくかもしれませんよ。

「ことわざ」として使われる本来の言い回しは、「袖振り合うも多生の縁」です。
最大のポイントは、「多生」の部分。
このことわざの「本質」と言える言葉です。
それを知らずに「多少」と表記しているのは、ただの誤変換ではなく、言葉の取り違えと言えます。

「多生」とは仏教の言葉で、この世に何度も生まれ出ること。
生と死を繰り返す「輪廻転生」「生まれ変わり」の思想です。


 という事で、「袖触れ合うも多少の縁」というのは間違いです。この間違いについては、多くの人は、ご存知のようですが・・・。

ところで、このことわざに関しては、もうひとつ勘違いされている例があります。
それが、「多生」を「他生」と表記した「袖振り合うも他生の縁」です。
「多少」が間違いであることを知っていても、この「他生」が正解だと思っている人は非常に多いです。
Googleでの検索結果を見ても、「多少」にバツを付けて「他生」をマルにしている解説のなんと多いことか。

他生の縁:73,400件
多生の縁:52,700件
多少の縁:20,700件

「他生」でも完全に「間違い」と言い切れるわけではないのですが、「他生」と「多生」には明確な違いがあります。
それを知らずに「他生」を正解と信じる人々の知識は、いかにも「中途半端」と言わざるを得ません。

「他生」もまた仏教の言葉で、「今生 (こんじょう)」に対する「前世」と「来世」を示します。
ことわざとしての解釈は「多生の縁」とほぼ同じですが、この場合は「前世」のみに限定する必要があります。
「来世の縁」では因果律が崩れてしまいますので、「因果応報」につながりません。

意味がまるっきり変わるわけではありませんので、「他生」を「正解扱い」することも可能でしょう。
しかし、他人の「多少」を訂正するなら、本当は「多生」であることを知っておきたいものです。


 「多生」とは仏教の言葉で、この世に何度も生まれ出ること。生と死を繰り返す「輪廻転生」「生まれ変わり」の思想。

 一方、「他生」もまた仏教の言葉で、「今生 (こんじょう)」に対する「前世」と「来世」を示します。

 という事で、「輪廻転生」を言うのであれば、 「袖振り合うも他生の縁」ではなく、「袖振り合うも多生の縁」と言うべきなのだそうです。



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