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Dogma and prejudice

媚中派も媚米派も同じ穴のムジナ
従属主義的思考から脱却すべし
(言っとくけど、「媚米」と「親米」は違うんだよ)

music8.30 プレイヤー / ベイビー・カム・バック

2007-08-30 | music
プレイヤー / ベイビー・カム・バック

■Player - Baby Come Back
youtube ♪(音声あり) 




■プレイヤー Player
この「ベイビー・カム・バック」がヒットした1977年から1978年にかけて、アメリカのヒットチャートはディスコとAORという二つのブームに席捲されていた。

AORとは、Adult Oriented Rock(アダルト・オリエンテッド・ロック(アダルトといっても、すけべな意味ではない))、またはAlbum Oriented Rock(アルバム・オリエンテッド・ロック)の略であり、音楽のジャンルの一つである。

日本においては、前者の“大人向けのロック”の意味で使われる場合が多く、プレイヤーもその範疇にはいる。

このバンドの結成は、ハリウッドで毎晩のように行われていたパーティがその舞台となっている。ここでピーター・ベケット(リバプール出身)、ジョン・チャールズ・クローリー3世(出身はテキサス)が出会い、セッションを行ってみるといい感じだったことから一緒に音楽をやろうという話が持ち上がる。ここにロン・モスとジョン・フリーセンが加わり、プレイヤーとしてデビューを果たす。


■ベイビー・カム・バック Baby Come Back 1977年
本人達はアルバムを録音していた時には、手応えを感じていたようで、ベケットは「テープに収めた段階で、「ベイビー・カム・バック」はヒットすると思ってた」と話している。

その予感の通り、この曲は1977年11月19日付のチャートでTop40に飛び込んでくると、38位→17位→13位→11位→8位→6位→年末休→2位とランキングを駆け上がり、ビージーズの「愛はきらめきの中に」を抜き去って、デビュー曲で全米1位獲得という栄光を彼らにもたらすことになるのである。また、「サタディ・ナイト・フィーバー」ブームでビージーズがチャートを席捲し、この世の春を謳歌していたRSOレコードは、プレイヤーでも1位をマークした結果、なんと同一レコード会社が21週間も1位を独占するというとんでもない記録を樹立することになるのである。

■歌詞・訳詞(一部)
Spending all my nights, all my money going out on the town
Doing anything just to get you off of my mind
But when the morning comes, I'm right back where I started again
Trying to forget you is just a waste of time

巡り来る夜と持ちうる金を全て費やし、街に繰り出そうとしている
この胸から君の思い出を拭い去る為なら、何だってしよう
でも、夜が明ければ、また全ては元に戻り、僕は1からやり直すハメになる
君を忘れようとするなんて、ただ時間を無駄にしているだけのこと

Baby come back, any kind of fool could see
There was something in everything about you
Baby come back, you can blame it all on me
I was wrong, and I just can't live without you

戻って来て欲しいんだ、どんなバカだってわかるはずだよ
目に映った物全てが、君に関わる何かに見えてしまうから
戻って来て欲しいんだ、全てを僕のせいにしたって構わない
間違っていたのは僕なんだ、君なしでは生きてさえいけないんだよ

<対訳>多々野親父さん

(参考)洋楽雑記帖 <1978年>Baby Come Back/Playerより


愛する人が去った後の、空しい日々。思うは後悔ばかり・・・。
去って行った人に、恥もなくプライドも捨てて、ただただ「帰ってきておくれ(Baby come back)」と嘆願する内容の曲です。
身につまされますなあ。
曲調も哀愁が漂ってます。


music8.13 シルヴィ・バルタン / アイドルを探せ

2007-08-13 | music
■Sylvie Vartan - La Plus Belle Pour Aller Danser 2
youtube ♪(音声あり) 



■シルヴィ・ヴァルタン (Sylvie Vartan, 1944年8月15日 - )
シルヴィ・ヴァルタンはブルガリア出身のフレンチポップ歌手。

ブルガリア西部の村、イスクレッツに生まれ、10歳のときにフランスに渡った。 1965年4月12日、歌手の ジョニー・アリデイと結婚。1966年には息子のデビッド・アリデイが生まれるが1980年11月4日に離婚。その後、トニー・スコッティと再婚。


■アイドルを探せ (La Plus Belle Pour Aller Danser) 1964年
シルヴィバルタンを始め、シャルルアズナブールやジョニーアリデイ、ナンシーホロウェイといった人気者が出演したミュージカルコメディ映画『アイドルを探せ』。(主演シルビー バルタンとなっているが、彼女の出演シーンは、ほんの4~5分のみだった)

この映画ででシルヴィバルタンが歌ったのが同タイトルのこの曲。

歌詞&訳詩(一部)

Ce soir, je serai la plus belle
pour aller danser, danser
pour mieux evincer toutes celles
que tu as aimees, aimees

今夜 私は最高にきれいになる
舞踏会に行くから 舞踏会に行くから
どんなひとをも負かせてきれいになる
あなたが愛したすべてひとよりも ひとよりも

↑引用はアイドルを探せ   シルヴィ・バルタンより。

「私、今夜のダンスパーティに行くために、最高の美人になるの」という決意表明?の歌。美容院の鏡を見ながら、あるいは、メイクをしながら、こんな風に自分に言い聞かせているのかもしれません。

なかなか、かわいい曲です。私としては、この曲のストリングス部分が好きです。

ところで、シルヴィバルタンって、すきっ歯だったのね。


music8.07 ピーター・ポール&マリー 500マイル

2007-08-07 | music
■500 Miles - Peter, Paul & Mary
you tube ♪(音声あり)



ピーター・ポール&マリー
ピーター・ポール&マリー(Peter・Paul and Mary)は、1960年代のアメリカで最も成功したフォークソング・グループの一つ。ピーター・ヤロー(Peter Yarrow)、ノエル・ポール・ストゥーキー(Noel Paul Stookey )とメアリー・トラヴァース(Mary Travers)のトリオ。ベトナム反戦のメッセージを全世界に送り出した。通称PP&M。
このグループは、1961年にデビューし、翌年にはファーストアルバム「ピーター・ポール&マリー 」をリリース。それには、「500マイル」、「レモンツリー」、「花はどこへ行った」、そしてピート・シーガー編曲の「天使のハンマー」(ハンマーソング)が含まれていた。アルバムは、ビルボード誌のトップ10に10ヶ月君臨し、トップ100に3年以上にわたり留まった。

500マイル(500 Miles)
・・・引用開始↓
原曲の作者はアメリカ・ジョージア州出身の女性フォークシンガー, ヘディ・ウエスト(1938-2005)。 父親はアパラチア山脈の石炭鉱山で炭坑労働組合を組織しつつ詩を書いていた人で, 彼女の作品には父親や祖先の出身地であるイギリスの民謡の影響が見られると言われています。 『500マイル』もメロディのルーツはイギリスであり, また歌詞の故郷を離れて遠方の地で働く貧しい労働者を歌う歌詞は父親の影響を思わせます。  なお500マイルはメートル法で表せば約800キロで東京~福岡または札幌間ほどの距離になります。
・・・引用終了
以上は、「なつメロ英語 オールディズ oldies ~60年代70年代の洋楽ポップス」さんより引用しました。

歌詞の一部
もし、私の乗っている列車に、あなたが乗り遅れたなら、
私が去ったことにあなたは気づくでしょう。
100マイル先の汽笛をあなたは聞くでしょう。


哀愁に満ちたメロディーです。
この曲は、中学の英語の授業で、教わりました。

music7.28 フィフス・ディメンション / 「輝く星座 ~ レット・ザ・サンシャイン・イン」

2007-07-28 | music
■5th Dimension - Aquarius - Let The Sunshine In
youtube ♪(音声あり) 




■フィフス・ディメンション
1966年、米国ロサンゼルスで結成された男女混合の黒人コーラス・グループ。

ソウルのワクを越えたそのポップなスタイルは60年代後半のカルフォルニア・サウンドを代表するものとなった。当初は黒人版ママス&パパスと言われた。

1966年、シングル「永遠に愛す」でデビューし、'67 年の「ビートでジャンプ」で大ブレイク、全米7位を獲得のほか、グラミー賞3部門を獲得し、一躍スターダムにのしあがった。


■「輝く星座(アクエリアス)」
69年、ブロードウェイ・ミュージカル「ヘアー」を観たメンバーはミュージカルの中で歌われていた「アクエリアス(輝く星座)」に感動し、プロデューサー、ボーンズ・ハウの勧めによって「レット・ザ・サンシャイン・イン」(これも「ヘアー」の中で歌われていた)を合わせ一曲にしてレコーディングした。

この曲「輝く星座~レット・ザ・サンシャインイン」は初の全米No.1となり、グラミー2部門を制覇、彼等の代表曲となった。


■歌詞の一部

月が第7宮に入り、
木星が火星と並ぶとき、

各々の惑星は、平和に導かれ、
愛が星たちの舵を取る

今こそ、みずがめ座の時代の夜明け
みずがめ座(アクエリアス)の時代

アクエリアス
アクエリアス

■サビの部分

「エイジォバクエリアス、エイジォバクエリアス」
「アクエリアス、アクエリアス」


■歌詞にある、みずがめ座の時代とは

占星術で時代を占う場合のもっとも永いスパンにプラトン年と呼ばれるものがあります。プラトン年とは、春分点が、地球の歳差運動と呼ばれる現象によって、黄道12星座を一周する期間のことで、25920年と言われています。

言い換えると、平均して約2100年間は、同一の星座に春分点があるわけです。そして、その期間は、その星座の特性に影響される。つまり、時代がその星座の意味合いに合わせて変わって行くというものです。

この曲が、「これからは水瓶座の時代だ」といっているのは、この春分点がいよいよ魚座から水瓶座に入り、この星座が示す民主主義、人道主義などがこれから大きく前進するであろうことを、期待を込めて歌っているわけです。

それにしても、変化を期待し、変革の後の世界が、素晴らしい時代となるに違いないと信じることは、人の悲しい性なのかもしれませんね。

実際のところは、「水瓶座の時代」というのも、結局は戦争の断続する時代でしかなかったわけです。

まあ、2000年以上続く「水瓶座の時代」を、最初の40年ほど(「1960年代は水瓶座の時代の始まりだ」という説に基づけば)で、決めつけることはできませんが。



music7.12 キャメル - スノーグース

2007-07-12 | music
■Camel - The Snow Goose (extract)
you tube ♪(音声あり)




キャメル
キャメル(CAMEL)はイギリスのプログレッシブ・ロックバンド。1972年春に結成された。数あるプログレッシブ・ロックのバンドの中でも、叙情派として知られる。

オリジナル・メンバーは、

ピート・バーデンス(キーボード)
アンディ・ラティマー(ギター)
ダグ・ファーガソン(ベース)
アンディ・ワード(ドラムス)
の4人。


曲「スノーグース」 The Snow Goose  1975年
ポール・ギャリコの小説「スノーグース」からインスパイアされた作品。



music6.29 ショッキングブルー ヴィーナス

2007-06-29 | music
■Venus by Shocking Blue
youtube ♪(音声あり) 





ショッキング・ブルーは60年代にオランダでモーションズというグループで活躍していたボビー・ファン・レウヴェ(Bobbie van Leeuwen) が作ったグループ。 彼はビーナスの作者でもあります。 彼は1967年にモーションズを抜けてショッキング・ブルーを結成。 1968年にオランダの独立レーベル, デュレコのピンク・エレファント・レーベルより Lucy Brown is Back in Town をリリースしてオランダのヒットします。 


ただしこのときは女性ボーカルのマリスカはいませんでした。 ショッキング・ブルーのマネージャがゴールデン・イアリングというバンドのヒット祝賀パーティに出ていてそこで歌っていたバンブル・ビーというバンドにいたマリスカが気に入り, ショッキング・ブルーのメンバーにしたのだそうです。


マリスカはハンガリーとドイツのハーフでジプシー・オーケストラでバイオリンを弾いていた父親とともに幼少の頃から歌を歌っていていくつかのバンドのボーカルを経験していました。 


マリスカが加入したショッキング・ブルーは Long Lonesome Road をリリース, オランダえ17位になります。 そして次いで出したビーナスが1969年夏, 第3位に昇るヒットとなります。 
意外にもオランダでは第3位止まりだったビーナスは(アメリカで流行ってから再びオランダで再発売されますがやはり3位止まりだったそうです), ベルギー, フランス, イタリア, スペイン, ドイツといったヨーロッパ各国では次々と1位になるヒットになります。

以上、「毎日更新 eigo★21/英語勉強系サイトのワンダーランド~中高生から社会人まで楽しく英語学習。 英語教材・資料・パズルがいっぱい。」さんの、「ビーナス  (ショッキング・ブルー)歌詞・訳詞など」から、引用させてもらいました。

この方は、Venusの原詞と訳詞"も掲載しておられます。



music6.06 ルー・クリスティ 魔法

2007-06-06 | music
■SHE SOLD ME MAGIC/LOU CHRISTIE
youtube ♪(音声あり) 



ルー・クリスティ
1966年MGM時代に「恋のひらめき」という全米No.1ヒットを放っているらしい。
その後、ブッダレコードに移籍。ブッダでは、「キミが欲しい」、「恋のサンシャイン」、「魔法」などを歌う。

魔法
1970年末から翌年にかけて、日本で大ヒットした曲。
同じころ、はやった曲として「ナオミの夢」、シルヴィ・バルタンの「あなたのとりこ」などがある。

(サビの部分)
♪メイビツォルェイメイビメイビアイラビュ

歌詞は、
「多分、いつでも、・・・多分、愛してる」
「君は、僕に魔法をかけたんだ・・・」
というありきたりなラヴソング。
ありきたりでないのは、最初から最後までずっとファルセットで、間奏もなしに、一気に歌われる、くそ忙しい曲だということかな。

music5.29 鬼束ちひろ - 私とワルツを

2007-05-29 | music
■ポートレート 鬼束 ちひろ



鬼束 ちひろ(おにつか ちひろ、1980年10月30日 - )は、日本の女性シンガーソングライター。宮崎県南那珂郡南郷町生まれ。宮崎県立日南高等学校卒業。身長154cm。さそり座。血液型O型。所属レコードレーベルはUNIVERSAL SIGMA・A&M RECORDS、所属事務所はNAPOLEON RECORDS・烏龍舎(共同マネジメント)。

身長154cmと小柄ながら、圧倒的な存在感と歌唱力、曲・詞などで多くの支持を集めている。

2005年1月31日 SMAとのマネジメント契約をわずか9ヶ月で終了。これにより事実上の活動休止を余儀なくされる。

2007年5月30日(つまり、明日) 復帰シングル『everyhome』をリリース予定。

■鬼束ちひろ Onitsuka Chihiro - 私とワルツを Watashi to Waltz wo
you tube ♪(音声あり) 



曲 私とワルツを

2003年11月27日に発売された。作詞・作曲は鬼束ちひろ、編曲は羽毛田丈史。

オリジナル作品としては東芝EMI最後の作品。この作品も一切本人稼動のプロモーションは行われなかった。声帯結節による休養中にリリースされた。

最高位8位(オリコン)

歌詞の一部

 「失うときが いつか来ることも
  知っているの 貴方は悲しい程
  それでもなぜ生きようとするの
  何も信じられないくせに
  そんな寂しい期待で

  優しいものは とても恐いから
  泣いてしまう 貴方は優しいから
  誰にも傷が付かないようにと
  ひとりでなんて 踊らないで

  不思議な炎に焼かれているのなら

  悲鳴(こえ)を上げて 名前を呼んで
  一度だけでも それが最後でも
  誰にも傷が付かないようにと
  ひとりでなんて 踊らないで
  そして私とワルツを

  どうか私とワルツを」

「もし、あなたが『不思議な炎に焼かれているのなら』、『悲鳴(こえ)を上げて 名前を呼んで』『ひとりでなんて 踊らないで』」とまるで、菩薩のように慈悲深い歌詞です。

詞を書いた鬼束ちひろ本人の思いがどうなのかは分かりませんが、この曲を聴くと、素直に感動してしまう自分がいます。


music5.20 グラスルーツ 今日を生きよう

2007-05-20 | music
■Grass Roots - Let's Live For Today
you tube ♪(音声あり) 



グラス・ルーツ

元々はP・F・スローン&スティーヴ・バリの二人のソングライター・チームが自分達の曲のデモ・テープに適当なアーティスト名をでっち上げてレコードをリリースする際に使っていたバンド名のひとつ。

当初は"グラスルーツ(Grassroots)"という1単語のバンド名だった。

"グラスルーツ"名義で1965年にリリースしたシングル「Where Were You When I Needed You(冷たい太陽)」がローカル・ヒットとなり、サンフランシスコで結成されたベドウィンズというバンドに"グラスルーツ"を名乗って活動してもらうことになる。

こうして、1965年10月にP・F・スローン&スティーヴ・バリがオケを録音し、ベドウィンズのビル・フルトンがヴォーカルという体制で、実際にメンバーの存在するバンドとなった"グラスルーツ"はダンヒル・レコードから正式にレコード・デビュー。

その後、、"グラスルーツ"を名乗って活動していたベドウィンズが自らの音楽性を主張したいと言い出したためにダンヒル・レコードと対立してサンフランシスコへ帰ってしまう。

そのあとを継いだのが、ロサンゼルス出身のサーティンス・フロアというバンド。そのとき、バンド名をそれまで使っていた1単語の"グラスルーツ(Grassroots)"から2単語の" グラス・ルーツ(Grass Roots)"へ変更する。

1967年、「Let's Live For Today(今日を生きよう)」で初めて全米トップ10入りを果たす。(全米8位)


 (BYRDさんのブログBYRD'S SELECT MUSIC:"Anthology: 1965-1975" The Grass Rootsを参考にさせていただきました。)

曲 Let's Live For Today(今日を生きよう)
イギリス出身ながらイタリアで活動していたロークス「Rokes」というバンドのサンレモ音楽祭の入賞曲。グラス・ルーツがカヴァー。日本でもグループ・サウンズのテンプターズがカヴァーしている。

(サビの部分)
シャラララララリヴフォトゥディ
シャラララララリヴフォトゥディ
アンドンワリバウトマロヘヘヘイ
シャラララララリヴフォトゥディ

「明日の事に悩むのは止めて、今日の為に生きよう」という内容の歌。(ってタイトルそのままじゃん)




music Edison Lighthouse - Love Grows

2007-05-11 | music
■Edison Lighthouse - Love Grows
you tube ♪(音声あり)



エジソン・ライトハウス
イギリスの人気グループ、エジソン・ライトハウスは、トニー・マコウレイとトニー・バロウズ以外のメンバーはスタジオ・ミュージシャンといういわば、実体のないグループ。

Love Grows :恋のほのお
エジソン・ライトハウスがポップ・シーンに登場したのは1970年で、そのデビュー曲が「恋のほのお(Love Grows)」。イギリス、アメリカをはじめ全世界でヒット・チャートのNo.1に輝くという大ヒットだった。叙情的で、切れのいい曲。

コーラス
♪オーバッラヴグロウズ
♪ウェアマイロズマリゴーズ
♪アンノバディノウズライクミー

「金は無いし、服装は奇妙だし、髪の毛はぼさぼさ」
「だけど、ローズマリーの行くところには恋が芽生える」
「それはこの僕が一番知ってる」
・・・というローズマリーのとりこになってる男によるローズマリー賛歌。

■ところで、エジソン・ライトハウスの別の動画が↓。ボーカルが別人。どうなってるの。

BBC Top of the Pops Archive of Edison Lighthouse Love Grows

 因みにレコードジャケットはこれ↓


music 4.07  (ジョニー・エンジェル)

2007-04-07 | music
■Shelly Fabares - Johnny Angel
you tube ♪(音声あり) 



Shelley Fabares  (シェリー・フェブレー)
1944年1月19日、サンタ・モニカ生まれ。1958年から1966年までアメリカABCから放送された「The Donna Reed Show」(邦題:うちのママは世界一)という小児科医一家ストーンズ家を巡るドラマで、一家の娘役を演じる。

曲 Johnny Angel (ジョニー・エンジェル)
「ジョニー・エンジェル」は上記ドラマの劇中歌。 

歌詞の内容
「ジョニー・エンジェル あなたは私の天使

 ジョニー・エンジェル 大好きな人
 あなたには、抗うことの出来ない何かが有る
 でも、私の存在さえ 気が付いてはいない

 あなたとすれ違うたび、胸がちくちくと痛み、
 あなたが「こんにちは」と言ってくれる度に、私の心は宙を舞う・・・」

という純情可憐な片思いの女の子の心情を歌う曲




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music 3.27

2007-03-27 | music
■Footsteps Steve Lawrence
you tube ♪(音声あり) 


Steve Lawrence スティーヴ・ローレンス
スティーヴ・ローレンスは1959年のPretty Blue Eyes(恋のブルー・アイズ)や1960年のFootsteps(悲しき足音)などで人気の歌手です。 2001年の映画「Ocean's Eleven(オーシャンズ11)」には、自身の役で妻のイーディ・ゴーメと共に出演しています。

Footsteps(悲しき足音)
1960年発表 Steve Lawrence Barry Mann共作  歌Steve Lawrence
日本では、飯田久彦、ダニー飯田とパラダイスキングが歌っています。 

「別れを告げた彼女の足音を、悲しい思いで、聴いている・・・」という振られ男の心情を切々と綴る歌詞です。でも、曲調からはどちらかといえば、ハッピーソングのように聞こえます。だって、女性コーラスがやけに楽しそうだもん。

(画面の歌詞は、結構、スペル間違いが多いので注意)



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