大江戸余話可笑白草紙

お江戸で繰り広げられる人間模様。不定期更新のフィクション小説集です。

浜の七福神 133

2014年08月07日 | 浜の七福神
 「如何でございましょう。左甚五郎浮世物語と題させて頂きました。戯作は、江戸では未だ馴染みが薄いようにございますが、上方では多く読まれています。庶民の味方として名高い甚五郎親方が主題でございますれば、江戸でも一気に評判になる事間違いありません」。
 僧の名は、浅井松雲了意。浄土真宗の末寺本照寺の住職の子として産まれるも、訳あって諸国を放浪し、仏学、儒学、和学を収め、この時は、京都二条本性寺の昭儀坊に住していると言う。諸国を歩いただけあって、言葉に訛はなかった。
 肘枕で読んでいた草紙をぽんと男の膝元に投げ返すと、万林は胡座をかいた。
 「如何もこうありゃしませんぜ。鶴が空を飛んだの、龍が動いたのってんなら構やしねえが、こんなもんが世に出たら、御坊さんあんただけじゃなく、こちとらも獄門行きですぜ」。
 「勿論、名や藩のところは伏せさせて頂きます」。
 「伏せたところで、粗方は分かるってもんでさ。でいち、寺社奉行はどうしなさる。奉行ったら限られますぜ。それによ、御上を愚弄する事に変わりはねえ。駄目だったら駄目だ。寄りにも寄って、御法度の切支丹にまで手を貸してるじゃねえですかい」。
 「これは戯作。絵空事と知った上で読まれるものです。何なら絵を加えてお伽草紙にしても構いませんよ」。
 「絵空事って言ってもよ、御坊さん、見て来たように書いてなさるじゃねえですかい。それによ、円徹が御大名の御烙印ってえのは何でい」。
 「違いますか」。
 悪びれる風もなく、了意が喰い下がれば、そのしつこさに業を煮やした万林は、声を荒げるのだった。





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浜の七福神 132

2014年08月07日 | 浜の七福神
 「お寺の龍の胴が斬られた時に、寺社奉行様がいらしたのです」。
 ふうっと片の力を抜く甚五郎だった。反して文次郎、何が何やら分からず、二人の顔を互い違いに見る。
 「寺社奉行は、近江山上藩藩主の安藤伊勢守重長だ」。
 「はい」。
 「それで、居所が知れたってえんで、寺を出たかったんだろう」。
 こくりと頷く円徹だった。
 「そうまでして、おとっつあんに会いたくねえのかい」。
 甚五郎は、重長は出来た人物だと付け加えるが、円徹は憤る。
 「私も母上も捨てられたのです。その事で、母上は御自害なされた。私は生涯、父とは思いません」。
 瞬時、円徹の眼に龍が宿る。それは、決意の堅さでもあり、また甚五郎としては、円徹に巣食う憎しみや恨みの情念である、その龍を追い払う事が師匠としても務めと、改めて思うのだった。
 「まあ、何時か許せる時もくらあな」。
 「ありません」。
 「円徹。おめえの目の中の闇が晴れるのは、心の底から、憎しみの気持ちが失せた時だ」。
 憎しみを捨てねば、到底宮彫りは出来ない。どちらを選ぶかの時は、未だたっぷりとあると告げる。
 「そう急かなくてもよ、すっと心が軽くなる時ってのは、来るもんだ。さて、江戸に戻るぜ」。
 小さな頭を、ぐりぐりと撫で回す。
 「けえったら、直ぐに日光東照宮の大造替だ。忙しくなるぜ」。
 「親方。それじゃあ」。
 「当たりめえだ。山上藩なんか臭食らえってえんだ。おめえは、あっしの弟子なんだからよ」。
 重長が何か言ってきたら、龍でも虎でも嗾けてやると息巻くのだった。
 「よし、浄念寺の龍はおめえの命の恩人、いや恩龍だ。そのうちによ、いちにんめえの職人になって、仲間を彫ってやんな」。
 「はい…へい」。
 ひとりで背負っていた心の重みを、分かち合える師に巡り会えた円徹の、明るい声が丸亀城下に響き渡るのであった。
 眼に巣食う闇を晴らす光は、手の届くところにあったのだ。白い小石をばらまいたようなうろこ雲が、夏の終わりを伝えていた。
 「信じるも信じねえも、人の生涯なんか胡蝶の夢みてえなもんだ」。
 世の中など、夢と現実との境が判然としないものだ。だからこそ、面白く生きれば良いのだと甚五郎は思う。

 八年の月日が流れた。甚五郎率いる甲良一門は、日光東照宮の大造替の功により、尾張家の上屋敷にほど近い市谷へと拝領地を賜っていたが、甚五郎はその地を市井に貸し出し、自らは江戸府中外の千住北岸に居を移していた。
 そんじょそこいらの旗本など足下に及ばぬ、甲良屋敷は、千住大橋と並んで、宿の目印とされるほどである。
 よって訪なおうと思えば、それは容易い事である。じっとしていても汗が滲み出る薮入りのこの日も、黒の法衣姿に似合わぬ、人懐っつこい笑みを万林にを向けて座す若い僧侶の姿があった。



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