本日は!
もう一度、
伊藤野枝 と 糸島 の話。
伊藤野枝 の足跡を辿り
生まれ故郷 糸島今宿 を
訪ねる人は多い。
しかしながら、
糸島今宿 で、
伊藤野枝 の足跡を探すことは
極めて困難である。
なぜ、
生まれ故郷 糸島 で、
大正期を代表する女流作家
伊藤野枝 は抹殺されるのか?
その手がかりは、
地元 糸島新聞 の
当時の記事から推察することができる。
大正11年10月、
伊藤野枝 が 大杉栄 を伴って
糸島 に帰郷した時、
糸島新聞 の社説 『言論』 は、
「思想界を悪化する社会主義者 伊藤野枝、
困った女が糸島郡に帰った。
彼らに接近するな」
という見出しの記事を書き、
「糸島郡が、
かかる女を産んだのは
郡民の恥辱・・・・
日本の米を食いながら、日本の国体を
傷つけ秩序を乱す非国民は、
宜しく最重の刑に処し、
以って彼ら主義者を根絶したいものと思う」
と主張している。 (参考 志摩町史)
当時の、
伊藤野枝 に対する
郷里 糸島 の風当たりは残酷である。
郡民の恥辱・・・・
最重の刑に処し・・・・
彼ら主義者を根絶したい・・・・
公然と書かれる
恐ろしい言葉 にもビックリする。
メディアが流布した
強烈なイメージは、
現在もなお、
糸島 に深く深く
浸透しているのではないか?
逆に、
強烈な逆風に負けることなく
子供を連れて 糸島 に帰省する
伊藤野枝 の芯の強さにも驚く。
大正12年9月16日、
伊藤野枝 大杉栄 甥の橘少年 が
甘粕正彦憲兵大尉らによって
虐殺された時、
郷里 糸島 では、
どのように報道されて
どのように受け止められたのだろうか?
糸島 での、
伊藤野枝 の名誉復権のためにも
そのあたりの検証が必要だと思う。
『無政府の事実』 伊藤野枝
(前文略)
世間の物知り達よりはずっと聡明な社会主義者のある人でさえも、
無政府主義の『夢』を嘲笑っている。しかし私は、それが決して『夢』ではなく、
私共の祖先から今日まで持ち伝えて来ている村々の、小さな『自治』の中に、
その実況を見る事が出来ると信じていい事実を見出した。
(略)
私は今ここに、私が自分の生れた村について直接見聞きした事実と、
それについて考えた事だけを書いて見ようと思う。
(略)
私の生れた村は、福岡市から西に三里、昔、福岡と唐津の城下を
つないだ街道に沿うた村で、父の家のある字は、
昔陸路の交通の不便な時代には、一つの港だった。
今はもう昔の繁栄のあとなどはどこにもない一廃村で、住民も半商半農の
貧乏な人間ばかりで、死んだような村だ。この字は、俗に『松原』と呼ばれていて
戸数はざっと六七十くらい。大体街道に沿うて並んでいる。
この六七十くらいの家が六つの小さな、『組合』に分かれている。
そしてこの六つの『組合』は必要に応じて聯合する。すなわち、一つの字は
六つの『組合』の一致『聯合』である。しかし、この『聯合』はふだんは解体している。
(略)
『組合』は細長い町の両側を端から順に十二三軒か十四五軒くらいずつに
区切って行ったもので、もうよほどの昔からの決めのままらしい。
これも『聯合』とおなじく用のない時には、いつも解体している。
型にはまった規約もなければ、役員もない。組合を形づくる精神は
遠い祖先からの『不自由を助け合う』という事のみだ。
(略)
何の家にか異なった事があればすぐに組合中に知れ渡る。知れれば、
みんなすぐに仕事を半ばにしてでも、その家に駆けつける。
あるいは駆けつける前に一応何か話し合う必要があるとすれば、
すぐ集まって相談する。
(略)
組合の中では村長であろうがその日稼ぎの人夫であろうが、何の差別もない。
威張ることもなければ卑下することもない。
(略)
ある家に病人が出来る。すぐに組合中に知れる。みんなは急いで、
その家に駆けつける。そして医者を呼びに行くとか、近親の家々へ
知らせにゆくとか、その他の使い走り、看病の手伝いなど親切に働く。
病人が少し悪いとなれば、二三人ずつは代り合って毎晩徹夜をしてついている。
それが一週間続いても十日続いても熱心につとめる。
人が死んだという場合でも、方々への知らせやその他の使いはもちろんの事、
墓穴を掘ること、棺を担ぐ事、葬式に必要な一切の道具をつくる事、
大勢の食事の世話、その他何から何まで組合で処理する。
子供が生れるという場合には、組合の女達が集る。
産婦が起きるようになるまで、一切の世話を組合の女達が引き受ける。
(略)
学校へ通うのに道が悪くて子供達が難儀する。母親達がこぼし合う。
すると、すぐに、誰かの発案で、暇を持っている人達が一日か二日がかりで、
道を平らにしてしまう。
(略)
組合の助けを借りる事の必要は、ほとんど絶対のものだ。
ことに、貧乏なものにとってはなおさらの事だ、貧乏人は金持ちよりは
どんな場合でも遥かに多くの不自由を持っている。
その大から小までのあらゆる不自由が、組合の手でたいていはなんとかなる。
(略)