ティコ・ブラーエ


パパとママの視点から
子供と建築探訪
こどものおやつから考える体にやさしいレシピ

公園遊び

2009-12-27 | ママ
ぽかぽか陽気。
まだ履き慣れない靴を履いて、渉くんと二人公園へ。

歩く練習をしようとちっちゃな手をとると、
‘もう僕一人で歩けるもんね’
と言わんばかりに手を振りほどいて一人で歩いていく。
両足を大きくひらいて、身体を右へ左へと揺らしながらバランスをとる姿は、
本当に可愛く頼もしい。
バタンッと倒れても泣かない!
足を踏ん張ってむくっ!
すべてがほほえましく感動的だ。

小学生の男の子が遊びにきた。
じぃーーっと観察しては追いかけていく。
真剣な眼差しにちょっと照れぎみの男の子も、
‘お兄ちゃんあんなことできるね~すごいね~’と話すと
得意そうに滑り台を駆け上がった。

子供が遊んでいるときの集中力はすごい。
声をかけても背中をとんとんしても全く気にしない。
身体全体であらゆるものを吸収しているかんじ。

毎日近くで子供の成長を見れるのはこの上ない幸せ。
さぁ、明日は何してあそぼ。


久保亮五

2009-12-27 | パパ
今日は、量子統計力学の父、久保亮五を紹介します。
物体の運動法則は大きく分けるとニュートン力学と量子力学に分類されることは前回説明しました。ニュートン力学は我々の身のまわりで見られる物体の運動を取り扱う巨視的な世界、量子力学は物質の内部構造に存在する目に見えない粒子の運動を取り扱う微視的な世界です。
ここで、少し物理の世界から離れて、社会に目を向けてみます。現在、雇用不安や収入減など個人が置かれている状況は概ねだれしも理解できることだと思います。そこで別の観点からアンケートをとることにします。たとえば、「結婚はするべきか?」と。すると、結果として若い世代で否定派が多いことが見て取れたとします。ここで、人は推論をたてます。若者の雇用不安が先行き不安につながり、結果として、晩婚化へとつながっていくのだと。この各個人のおかれた状況の総体がなにか傾向として時代の空気に現れてくるのではないかという研究をするのが社会学です。個々人のあり方を模索するのが哲学の分野だとすると、集団になったときにあわられる傾向をつかむのが社会学ということもできます。
話を物理学にもどすと、ニュートン力学も量子力学もともに個々の運動の法則を探る哲学的な視点なのです。個々の運動が集団として振舞った場合にどうなるかという社会学に相当する物理学はないのか?それが統計力学と呼ばれる分野なのです。実際おこる現象は単独であることのほうが珍しいので、統計力学は我々が実際受け取る現象への理解を深める学問だといえます。哲学者より社会学者がメディアにでる傾向が強いのもそのためです。
統計力学はマックスウェル、ボルツマン、そしてギッブスという物理学者の手によって完成されていきます。














ギッブスの方法は、ニュートン力学でも量子力学でも枠組みをほぼ修正することなく成立する崇高で永遠なる形式性を兼備えていたのです。

量子力学を統計力学に適用してミクロの世界(電子の振る舞い)をマクロの世界(物質の特性:たとえば金属の種類によって電気の流れやすさが異なること)へ橋渡しをし、そこに世紀の大問題解く一般式を導きだしたのが久保亮五だったのです。「西の湯川、東の久保」と、あの湯川秀樹と並び称された天才理論物理学者なのですが、理系の人にもあまり知られていないのが残念な限りです。



統計力学の古典的な名著「ゴム弾性」という久保の著書は、「ゴムは奇妙な物質である」という詩的な文章で始まる最先端の統計力学を駆使してゴムの性質を論じたユニークな本である。具体的な事物を通して、理論物理学を吸収できる魅力的な内容といえる。

彼は、物理学の理論研究だけではなく、科学者として国際政治に対する自身の意思を明確に述べた人でもある。ベルリンの壁崩壊の翌年には次のように述べている。

「純粋科学は本来、普遍的な科学真理を探究するものであるから、科学に国境はないことは自明とされる。しかし、科学者には祖国があることも明らかであり、しばしばこの二つの命題は矛盾あるいは対立し、科学を歪め、科学を苦しめた。科学が国のプレステージであるだけでなく、その経済力基盤が軍事に代わる国力と考えられる時代を迎えて、この矛盾は深刻化するでだろう。しかし、その対立を超えて、科学者の国際協力は進んできた。純粋な基礎物理学は恐らくあらゆる科学の諸分野の中で科学者のイニシアティブによる国際協力の最も古い歴史をもち、今日も最も活発な協力をおこなっているものであろう。」

核の全廃が世界的に合意されていない現実を考えると、このメッセージは今も人類に突きつけられた課題である。

その一方でもう少し肩肘はらない「老人研究所」と題する彼独自のユニークなアイデアを披露している。

「数年前になるが「老人研究所」なるものを提唱し折りに触れて幾分宣伝を試みたことがある。老人を研究するところではない。老人が研究する研究所の構想である。これには三つのすぐれたメリットがある。第一に、この研究所には老朽化の心配がない。第二にこの研究所は自由であり、独創性に富む。第三にコストパフォーマンスが良い。執着や俗縁がなくなると精神は自由になる。奔放なアイデア、透徹した批評は案外、老人のものかも知れない。欲が張ったり、ガムシャラな研究活動は壮年にまかせよう。無欲の境地にあって好学心をもちつづけられる老人方にはここで大いに頑張っていただきたい。老人研究所は、若い人々に大いに働いてもらう大学や研究所に対する一つのアンチテーゼである。これを勧告にもってゆくことは中々むずかしそうであるが、この提案には重要なものが含まれていると私は思っている。」

死ぬまで、好奇心を持ち続けた人間だからこそ言える言葉ですが、少子高齢化社会を迎える日本にとってこの思想は、ユートピア思想ではなく、現実を打開する具体的な方法論ではないでしょうか。

たとえば教育の現場ひとつとっても、人材不足による学力低下が叫ばれており、民主党も「全国学力テスト」「養成課程6年生」などの導入を検討している。しかし、それは実態に見合った対処法なのであろうか?元河合塾理事 丹羽健夫氏が言っていたことによると、人気講師の一コマ90分の授業になると、準備に7時間程度かけているのだそうだ。つまり、教員には時間が必要なのだ。制度が増えれば増えるほど、教員の時間は搾取され、資質は低下していく。ならば、好奇心旺盛で時間に余裕のある老人とタッグを組み、子供たちになにかを伝えることができないか?老人も孤独から解放され元気がでて、文化も次の世代に伝承できるのではないでしょうか?でもそのためには、アリストテレスが言うようにより良く生きていくことを努力してきた老人でなければならない。朝日新聞の声の欄に80代でもしっかりとした言葉と一般性をもって外部に批評しようとする老人の態度をみると、そういう人はもっと潜在的に世の中にいて、活躍できる場を求めているのではないかと思ったりします。
若い時しかできないこともあれば、年を重ねてからでないとできないこともあると思います。
世界的な建築家イオ・ミン・ペイ氏も言っています。
「事務所が大きい場合、つまり200人も300人もの人を使っているような場合、デザインに集中するというのは非常に難しいのです。大きなプロジェクトをやりたいとなると、オフィスの規模も大きくなっていく。しかし、それが出来上がった途端に、逆に事務所の奴隷になってしまう状況がどうしてもあります。・・・確かに現在、私は世界中でいろいろなプロジェクトをやっています。大きいものではなくて、小さいプロジェクトばかりですが、重要なのは、私が選んで、決めて、やっているということです。」
彼は、自身のデザインへの思いを実現できるのは、すべてのしがらみから解放された老年なのだと言っているようです。だから、彼は組織を引退し、数名のスタッフと個人の思想を反映できるプロジェクトに向かったのでしょう。



若くして日本の物理学界のプリンスと認められ、次のノーベル賞候補としてつねに世界の注目を集めてきた久保は、突然、脳梗塞に倒れ、平成7年不帰の客となる。享年75。
彼の墓碑には一行の久保公式が刻まれています。





物理学はおもしろいか?

2009-12-27 | パパ
物を遠くに投げようとするとき、人はだれでも斜め上がいいと知っている。真上では前へ進まないし、斜め下方向だとすぐ地上に落ちることが直感でわかるからだ。では、斜め上のどの角度が最適か?と問い直すと、はたと考え込んでしまう。考えてわからないなら実験して分析するのが人の常。実際やってみると、45度の角度が飛行距離が一番であることがわかる。でも、注意深く観測するともっと大切なことが見えてくる。それは、物体の飛行中の軌跡がすべて大きさは違えど同じ放物線を描いているという事実である。つまり、人の手を離れた瞬間に物体は我々の思いとは関係なく、なにかの法則に突き動かされて飛んでいくのではないか?この法則を探るのが物理学の力学という分野である。(いくつもの公式をただ覚え、それを問題に適用するのが物理ではない。公式は単純な法則から導きだされる結果にほかならない。結果だけを見て、本質を探求しないところに物理教育の問題がある。)
ケプラーたちによる天体の観測や惑星の運動に関する蓄積をもとに1686年ニュートンは物体の運動に関する3つの法則をうちたてる。

1.慣性の法則
物体は外から力が加わらなければ、いつまでも速さと向きを変えない。

2.運動の法則(運動方程式)
加速度は力の大きさに比例し、物体の質量に逆比例する。

3.作用・反作用の法則
ある物体に別の物体から力が作用すると同じ大きさで反対の向きの力が作用する。

彼がすごいのは、地上の雑多な物体の運動から惑星の運動まですべて、3つの法則から説明してしまったことである。運動方程式を記述し、それを解くことによって、物体の未来の軌跡を知ることが可能になった。人工衛星を宇宙に飛ばすのにも、運動方程式は不可欠なのである。
今日の我々の日常で起こる物理的現象は、ほぼ体系的にまとめられている。自然を操作可能にする科学の力を手に入れ、人類を神の支配から解放したのだ。(音は空気の振動なので運動の法則で説明がつく。われわれに身近な電気は、電磁気学という分野でマックスウェル方程式でまとめらているし、熱に対しては熱力学という分野で4つの法則で定式化されている。力学、電磁気学、熱力学をまとめて古典物理学と呼んでいる。)
法則というものは、新たな現象を理解するときに、うまく説明がつかなくなると、そこで法則としての命を終えるか修正が加えられ、さらに発展していく。物理学の歴史とはそのようなものなのである。
ギリシアの哲学者は、万物は何でできているかということに強く興味をもった。
デモクリトスは「物質をどんどん細かくしていったとき,これ以上分割できない」というものの存在をみとめ、アトムと名づけ、「原子論」を成立させた。しかし、近代科学の原子モデルに近いこの発想は1803年のドルトンに見直されるまでは約2000年も無視されていた。
しかし、20世紀初頭になってもまだ原子の存在は認められていない状況であったが、ついに1913年ジャン・ペランが実験により原子・分子の存在を実証した。原子の存在が明らかになると、次の問いが当然でてきます。原子はどのような構造になっているか?そしてその構造を支配する法則はあるのか?この問いはマクロからミクロな世界への物理学すなわち現代物理学へと発展していくことになります。



ラザフォードは実験を通して、上のような原子模型を提案します。原子核の周りを複数の電子がくるくる回転しているイメージです。
ニュートン力学は地上から宇宙までを説明できる万能な法則であったので、ミクロの世界でも適用されると期待しましたが、現象をうまく説明することができないという結果に終わりました。修正か新法則かが物理学にせまられたのです。修正の道を進んだのが現代物理学の父ニールス・ボーアです。



ニュートン力学を借用しながら、いくつかの仮定条件を入れて進めていくことで、水素原子(構造が単純)にはうまく説明がついたが、複雑な構造まで応用するには限界であった。ミクロな世界は我々の世界とは別の秩序で成り立っているということだ。そしてそれは、量子力学という新たな学問を切り開くことになった。これまでの古典物理学と違って、量子力学は哲学的な問いを含む不思議な学問である。

「物質は波でもあり、粒子でもある何か」だというのが出発点である。

シュレーディンガーは物質を波として捕らえ、波動力学を確立する。



逆にハイゼンベルグは物質を粒子として捕らえ、行列力学を確立する。



波でも粒子でもあるなら、波動力学と行列力学は物質を別の側面で説明するだけの違いだけであり、両者は一つの形式にまとめられるはずだと考えたのがディラックである。



ディラックの扱う記号(ケットベクトル)で成り立つ関係式は美しく、学生時代、彼に憧れて原書で著書「量子力学」を背伸びして読んだがまったくは歯が立たなかったことを記憶している。この本を読んで、別の定式化(経路積分)を思いついたのが、ファインマンです。



これで、ミクロの世界を記述する法則を人類は手にすることができた。高校の時に意味も無く覚えた化学式は量子力学を応用することにより生命を吹き返します。(非常に難しい学問ですが・・・)

ここで一つ疑問が残りませんか?だれもが知っているアインシュタイン博士は、何をした人なのか?と
ちなみにアインシュタインは、量子力学が形成される時代に生きた人で最後まで量子力学に懐疑的で、晩年は孤独でした。

「神はサイコロをふらない」



アインシュタインは物体が光の速度で運動した場合にどうなるかという不思議な問いを立てます。そして1905年に特殊相対論として発表します。
特殊相対論は次の2つを指導原理としています。

1.光速度不変の原理
真空中の光の速さは、光源の運動状態に影響されない一定値cである。

2.特殊相対性原理
お互いに等速度で運動しているすべての慣性系において、すべての基本的物理法則は、まったく同じ形で表される。それらの慣性系のなかから、なにか特別なものを選び出すことはできない。

ニュートン力学は修正を加えられることで相対論的運動方程式へと発展することになります。相対論的運動方程式がより普遍的な法則で、物体の速度が光の速度に比べ十分に遅い我々の世界の運動に対しては、近似式としてニュートンの運動方程式で説明がつくということになったのです。

物理と聞くと、耳を塞ぎたくなる人が多いと思いますが、歴史を通して見ていくと、世界を体系的に説明するという過去から連綿と続く人類の夢と希望が努力において実を結んだ貴重な学問分野といえるのです。どんな学問でもスポーツでもそうですが、できるようになるには基礎体力が必要です。物理では基礎体力にあたる数学は必須といえますが、その努力にみあうだけの驚きと喜びを最後には与えてくれることと思います。