ティコ・ブラーエ


パパとママの視点から
子供と建築探訪
こどものおやつから考える体にやさしいレシピ

芥川龍之介

2009-12-13 | パパ
今日は、絶望の淵にありながら、冴えた意識で作品を描き続け、35才の若さで自殺した芥川龍之介の話。



彼の魅力は、古典に題材を求めて、そこに現代的な解釈を試み、新たな視点を読む者に与えるところにあると思います。
初期の作品にはそのような傾向が強いが、しかし、ぼくが興味を惹かれるのは、死の直前に狂気の状態の中で、描かれた作品群である。とにかく、暗い。そして、救いがない。でも、だからこそ、苦しみ喘ぐ人間には、光輝く。なにも悩みをもたず、無自覚に生きている人間には、作品は退屈でなにも語りかけてこない。そのような、読み手を限定する小説なのである。ぼくも、会社に入社したころの鬱屈した時期に読んで、はまり込んでしまった一人です。
芥川後期の作品全体にただよう雰囲気は、スペインの画家ゴヤが晩年、自身の家に閉じこもり壁に描き続けた黒い絵のイメージとつながるような気がします。




「河童」という作品では、次のような場面がでてきます。
「しかし、僕はふとした拍子に、この国へ転げ落ちてしまったのです。どうか僕にこの国から出て行かれる路を教えてください」
「出て行かれる路は一つしかない」
「というのは?」
「それはお前さんのここへ来た路だ」
僕はこの答え聞いた時になぜか身の毛がよだちました。

確かに、恐ろしい。しかし、自身が寄って立つ路は、やはり一つしかないのだと、逃げてはいけないのだと思える場面でもありました。



自身の生涯を総括するために書かれた「或阿呆の一生」には、狂気の一歩手前の状況になった者でしか響きあえない研ぎ澄まされた感覚のようなものが作品全体を包み込んでいます。
「彼はある郊外の二階の部屋に寝起きしていた。それは地盤の緩いために妙に傾いた二階だった。彼の伯母はこの二階に度たび彼と喧嘩した。・・・彼はある郊外の二階に何度も互いに愛し合うものは苦しめあうのかを考えたりした。その間も何か気味の悪い二階の傾きを感じながら。」

「架空線はあいかわらず鋭い火花を放っていた。彼は、人生を見渡しても、何も特に欲しいものはなかった。が、この紫色の火花だけは、凄まじい空中の火花だけは命と取り換えてもつかまえたかった。」

「彼はただ薄暗い中にその日暮らしの生活をしていた。いわば刃のこぼれてしまった、細い剣を杖にしながら」

遺書として書かれた「或旧友へ送る手記」には、「何か僕の将来に対するただぼんやりした不安である。」と自殺への動機が、自殺を客観的に論じながら、記されている。何に不安を覚えたかどうか知る由もありませんが、そのようなことよりは、遺書の最後に現れる彼の言葉に耳を傾けてみてはいかがでしょうか?

「もし、みずから甘んじて永久の眠りに入ることができれば、我々自身のために幸福でないまでも平和であるに違いない。しかし僕のいつ敢然と自殺できるかは疑問である。ただ自然は、こういう僕にはいつもよりいっそう美しい。君は自然の美しいのを愛し、しかも自殺しようとする僕の矛盾を笑うであろう。けれども自然の美しいのは僕の末期の目に映るからである。僕は他人よりも見、愛し、かつまた理解した。それだけは苦しみを重ねた中にも多少僕には満足である。」