ティコ・ブラーエ


パパとママの視点から
子供と建築探訪
こどものおやつから考える体にやさしいレシピ

ありがとう。

2009-12-18 | ママ
ちょっと早めのクリスマスパーティー。

子供たちの成長に驚いたり笑ったり。
ジングルベルを歌いながらのプレゼント交換。
子供たちを見ながら過ごすひと時はあったかい。



お友達からの手作りケーキ。


こういう気持ちってすごく嬉しい。
ママにとって子供の一歳の誕生日を迎えられることはこの上ない喜び。
一緒にお祝いしてくれたみんなありがとう。

みんなの優しい気持ちに包まれて、元気に大きくなってね。

プレゼント

2009-12-18 | パパ
12月19日で1歳を向かえる渉一に何をプレゼントしようかと考えた。物はたくさん世の中にあるし、たぶん彼が育っていく過程においても増え続けるだろう。それに、まだ小さいので、1年ごとで完結してしまうプレゼントでは、僕の思い出にしか残らないように思う。ならば、彼がもう少し大きくなる時期を射程において、毎年開かれないプレゼントを積み上げていき、僕の思い出とともに大きくなった時に一緒に開いてみるのは、面白いんじゃないか?で何を毎年積み上げるかということで、一環したものがいいと思い、大きなお世話かもしれないが、僕が影響を受けた本とCDをセレクトしていくことにした。
CDはすぐに決まった。ビートルズのホワイトアルバムだ。真っ白の中にただTheBEATLESとだけ隅に小さく書かれたジャケットは、ミニマルで始まりにはぴったりだ。曲はそれぞれ部分が全体に回収されることなく、適度に独自性をもった多様性を認める内容になっているのも渉一への成長への思いとつながる。本はどうしようか?ということで、考えた末に僕が高校の頃に読んで、今まで何度となく読み返している夏目漱石の「こころ」に決めた。文学小説が好きになった最初のきっかけでもあったので。本屋に行くと、驚いたことに僕が持っているのとは表紙が異なっていて、白いカバーのシンプルなもので、CDとの構成がぴたりと合う。偶然とは恐ろしい。



渉一が大きくなり今もっている純真な生が失われそうになったとき、この蓄積されたプレゼントが彼の心を揺さぶり、感情を外に開いてくれればと願う。

アドルフ・ロース

2009-12-18 | パパ
今日は20世紀のモダニズム建築への道を切り開いた19世紀末のウィーンの建築家アドルフ・ロースを紹介。



当時のヨーロッパでは世界的な恐慌と忍び寄る戦争の予感が世紀末というただならぬ時間の中で増幅され、退廃的な芸術が大衆に嗜好されていました。ウィーンでも、アール・ヌーヴォーに影響を受けたウィーン分離派(分離派とはアカデミーの教条的な芸術から分離して、前衛的に活動するグループのことです。)の中心人物グスタフ・クリムトらの官能的で装飾過剰な作品がその時代を象徴しているといえます。





アドルフ・ロースは当時の退廃的な日常に何か引っかかるものを感じながら生活をしていたようです。そして、彼は、その引っかかる何か(許せないもの)を養分にして、思想を深め、自身の思いを建築へと昇華させた。では、なにが許せなかったのか?その時代に漂うロココやバロックといった様式による装飾過剰に対してである。装飾それ自体は、言葉よりもはるか昔から人間が欲し行ってきた「ものを作る行為」の中で生まれてきたものであり、否定はしていない。彼には、工業化が進む時代に住宅の中を様式で飾り立てることが、時代錯誤に映るのだ。部屋の中に便利なものが入り込んでくる工業化の時代に、様式に縛られて生きる人間の矛盾を暴き立てたのがアドルフ・ロースだった。
彼は言っている
「装飾は犯罪」だと。様式を装飾にまで一般化して捕らえたところに、彼のモダニズムへ導く普遍性があったと思います。
アドルフ・ロースの魅力は単に装飾を排除したというだけではおさまらないところにあると思う。彼の有名な作品「ミュラー邸」の外側と内側を見てみましょう。





外観は装飾を排した白いキューブに、飾りのない窓をランダムに配置したシンプルな構成になっていますが、内観はレベル差のある複数の部屋を階段でつなぎワンルーム化することで洞窟のように見える。
つまり、彼の建築の様相は、「外側」と「内側」で反転している。都市に対して、装飾によって騒ぎ立てず(周りには装飾的な建物が多いので、逆に強いメッセージ性を帯びる)、人が住まう内側には、人間を都市という社会性から開放し、個人として休息を与える温もりある場所としたのである。
都市の退廃的な空気に対して、諦めの境地に立って、自身を閉ざすことが、彼の装飾を排するファサードを発生させ、怒りを内に秘めた「語る沈黙」が豊かな内部空間を生み出したとも考えられる。