畑倉山の忘備録

日々気ままに

「このことは日本国民に知らせてはならない」

2018年04月04日 | 鬼塚英昭
天皇の巡幸は全国的規模で人間天皇の誕生としての天皇制を演出していくものであった。天皇は自ら人間宣言をしていた。しかし、天皇は歴史的な神格性を持つ存在にちがいなかった。あの奉迎場の御座は、天皇の神格性をそれらしくみせるための舞台装置であった。矢野暢(とおる)は『劇場国家日本』の中で天皇の政治的意味について書いている。

「天皇の政治的意味は、無限抱擁的であって、このひとつの表現のなかに、巨大な政治的宇宙がふくみ込まれる論理性をもってさえいる。天皇制によって、あらゆる政治的演出が最終的には正当化されることになる。したがって、天皇制のもとでは、ある種のゆるやかな様式性の枠のなかで、かなり多彩な政治が花咲くのである。」

(中略)こうした中で天皇は九州巡行に出る。供奉員二人もGHQの要求であろう。そうすれば、「天皇の劇的な回心」の場の演出も成功するからである。また、天皇の巡幸に同行した田島道治宮内府長官、三谷隆信侍従長も、熱烈なクリスチャンである。このことも関係があったのかもしれない。その確かな証拠はないのであるが。

天皇の巡幸は、隱された意味があった。SNWCC(国務省・陸軍省・海軍省調整委員会)がワシントンにあった。要するに、マッカーサーを支配する組織である。ここから1946年7月にマッカーサー宛の指令が出た。

「天皇制を直接攻撃することは日本の民主的要素を弱体化させるばかりか、共産主義者や軍国主義ら過激派の勢力を強めることになるであろう。従って最高司令官は天皇を大衆化し、人間性を持たせるための方策を内密にとるよう命じる。このことは日本国民に知らせてはならない。」

この指令の三カ月後の10月16日、第三回目の天皇・マッカーサー会談が開かれた。この会談録が世に出ている。巡幸に関する部分を見る。

陛下 巡幸は私の強く希望するものである事は御承知の通りでありますが、憲法成立後は特に差控ヘて居ったのでありますが、当分差控ヘた方がいいといふ者もあります。貴将軍はどう御考ヘになりますか。

元帥 機会ある毎に御出掛けになった方が良しいと存じます。回数は多い程良いと存じます。‥‥‥司令部に関する限り、陛下は何事をも為し得る自由を持っているのであります。何事でも私に御用命願ひます。

この会談の中で天皇とマッカーサーは、新憲法、戦争放棄、ストライキ等を論じている。天皇は「‥‥‥日本人の教養未だ低く、且つ宗教心の足らない現在‥‥‥」とマッカーサーに言っている。宗教心とは、間違いなく、キリスト教ヘの帰依の心の足りなさにちがいあるまい。だからストライキが起きると、天皇はマッカーサーに語ったのである。

では、天皇はどのような姿で民衆の中に入っていったのであろうか。AP通信のラッセル・ブラインズの見方は鋭いものがある。

「天皇はいきなり使い古した中折れ帽子に手を伸ばされたかと思うと、また思い直しておろし、微笑もうとした。それから微笑を浮かベて帽子をとられ、民衆にむけて盛んにそれを振られた。人々は歓呼の声を上げ、緊張を解いた。‥‥‥堂々たる軍服姿の天皇を心に描いた民衆は、実際に天皇を前にして、その相違に混乱させられた。そこにいたのは、側近の指示でしか行動できない一人の小男だった。「あっ、そう」。いつもこういう話し方をした。高い調子で無意味な言葉を続ける。顏にしみが浮き出てぶしょうひげが生えていた。」

(鬼塚英昭『天皇のロザリオ(上)』成甲書房、2006年)