畑倉山の忘備録

日々気ままに

三十数年前の日本人

2016年09月14日 | 鹿島曻

日本人は東南アジアの嫌われ者である。

「エコノミック・アニマル」「イエロー・ヤンキー」に始まって、最近では「アロガント・ジャパニーズ(傲慢尊大な日本人)」と言われだした。

正月の毎日新聞(昭和59.1.10)を読んでいると、「日本は自分の利益極大化だけを追い求める。現地社会のしきたりや宗教など文化には気配りどころか、目配りさえしない。加えて外国語が上手な日本人は少ないから、話す言葉はぶっきらぼう、命令形を多用しがちとなる。話しかけられた外国語に自分がついていけないと、相手が白人ならテレ笑いでごまかすのに、現地の人の場合は口をむすんだままの見下すような表情。東南アジアの人々はこんな日本と日本人をアロガントと感じたに相違ない。

そんな彼らの感情がー九七四年、田中首相(当時)が東南アジア諸国連合(ASEAN)の国々を歴訪したさい、バンコク、ジャカルタにおける大衆、学生の日本大使館襲撃、日本車焼き打ちなどの反日行動につながった」という記事が眼についた(編集委員・小木曽功)。

一九七四年一月十日、時の首相田中角栄は、バンコックを訪問したが、宿舎エラワンホテルを数千人の大学生に包囲されて「田中カエレ」のシュプレヒコールを浴びた。翌十一日田中首相はタイの学生代表と会談し、例によってポンポン数字を並べて煙にまこうとしたが、タイの学生たちは日本の選挙民より頭が良いらしく、誠意が感じられないと批判した。

同様の事件はジャカルタでも発生し、日本の評論家は、日中友好(田中首相が進めた国交正常化---引用者)を嫌ったアメリカの陰謀だなどと論じたが、それは問題のすりかえであろう。

こんなことは田中事件に限らない。ある商社のエリート社員が、ブルー・シャトウというバンコックの高級クラブでホステスに振られた腹いせに、「あの女は病気がある」と云いふらしたため、ホステスは商社員をピストルで殺し、自分も警察のジープの中で自殺したという事件もあった。

また、ある上場会社の元社長がバンコックに住んで、ハウス・ボーイに盗みの疑いをかけたため、翌日ピストルで射殺されたという事件もあった。タイの人々にとって、名誉は死を以って償わせ死を以って守るべきもので、それがタイ人のアイデンティティなのである。

バンコックに在住する私の友人は、「こんな事件は氷山のー角に過ぎない」と云う。

マイアミ、アカプルコ、ロングビーチなどと並び称される国際的避暑地パタヤビーチに体育館のようなセックス・ハウスがある。吉原などのイメージと異って、地方の女の子がぶらりと来ては何日か働いているのだが、この女の子がホールに並んでいるところに、観光バスでノーキョー・グループが大声で騒ぎながら入ってくる。

案内するのは現地ガイドだが、これがタイ人と結婚した日本女性である。そして、驚くなかれ観光グループの中に中年の女たちもいて、男たちに「あんたはどの子にする?」などと言いながら、ペット・ショップの子猫でも選ぶように、タイ女性を指さすのである。

確かにドイツ人などもへそくりを蓄めてバンコックにやって来るが、一人の男性としてガール・ハントする。会話ができなければ、手まねをしても女性の考えを識ろうとする、というのである。

これで反日感情がおきなかったらどうかしているではないか。CIAが反日運動をやらせたなどという以前の問題なのだが、机の前で考える人たちには判らないのかもしれない。

さて、『日本書紀』には神武の軍団に大来目がいたと書いてあるが、大来目とは古代メコン河の流域を支配したクメール族のことだ。

だから、日本人とタイ民族の間には切っても切れない血のつながりがある。クメール族はかつてメコン川流域を支配していたが、上流のバンチェン地域には世界最古の青銅文明が生まれ、オリエントーインダスの文明と殷文明をつなぐ役割を担い、人類史の焦点に位置した。

単独では旅行もできないという恥をさらしながら、金魚のウンコ式に観光バスで廻るにしても、まず、バンコック博物館に行って、偉大な共通の祖先が生んだ、バンチェンの文明を学んだらどうか。第二次世界大戦のあと、ドイツ占領のアメリカ兵は、ドイツ文明を祖先のものとして尊重したというではないか。思うに、このような日米の違いは、神国日本といった誤った歴史観が創造した虚構のアイデンティティによるのだが、恐らく将来に亘って、極めて重大な問題を引きおこすに違いない。

(鹿島曻『日本ユダヤ王朝の謎(続)』新国民社、1984年)