1980年代の始まりは、実にアッケラカンとしたものだった。とりたてて何かが大きく変わったわけでもなく、70年代末を跨いでも、私は依然として20歳代であることに変わりはなかった。現在あるものは、1972年という時点ですでに出揃っていたと、確か大塚英司か誰かが語っていたように、見た目には革命的に変わったものはなかったと言える。しかし、その時代を担う人間の心と出で立ちがどこか根本的に変わってしまった。第一に、60年代末のあのとてつもなく巨大に見えた変革の嵐がにわか雨程度にしか感じられなくなっていた。第二に、そうした人間の内部に取り込まれた【空無感】をあざ笑うかのように、次々と未知の個性らしきものを持ったモノたちが人々の感覚やファッションを席巻していった。ある時、日本のパンク・ニューウェイブシーンの先駆けとなった『東京ロッカーズ』の一マネージャーに【パンクってどういう意味か】と単刀直入に聞いてみたことがある。そのマネージャー氏の言うには、パンクとは【パンク!】と手振りで示してくれた。全てが破壊され、その後には何も無い道が続いているとでも解釈する他なかった。1980年を挟む特筆されるべき数年間、トップを走っていた彼らの道のりの何とわたしのそれと重なっていたことか。年齢もさほど違わない両者の違いは、1970年への拘りしかなかった。当然のことながら、彼らには、1970年などというものは元々どこにも存在しなかったのだ。ただ彼らの目の前には、戦後世界の《50年代・60年代・70年代》が横並びにただ無機質に存在しているだけで、喪ったものは何もなかった。そうなると、人間というものは強い。目に映るモノ感じるモノすべてが、自分の肉体に取り込まれ、何かを語り始める。ゼロからの出発である。・・・《続く》
アニメ『プラスティック・メモリーズ』より