(前回から続く。。。)
西田幾多郎の『日本文化の問題』(1982年、岩波新書 特装版)という本は、その序によると、昭和13年に京都大学の月曜講義で述べた内容をまとめたものであるという。聴講者のほとんどが学生であり、かつ当時の戦時下の状況から反体制的なことをずばり言うことがはばかられる状況を考慮しても読みずらい文章が続く。それに、この本の趣旨が日本文化の問題にあるにも拘わらず、内容のほとんどが、彼の哲学概論の繰り返しで、彼の十八番(おはこ)のキーワード、「純粋経験」、「知的直感」、「行為的直観」、「絶対矛盾の自己同一」などのオンパレードだ。
私は、すでに『善の研究』でこのような単語へ多少の免疫はあるものの、依然として私の頭が悪いせいで彼の本が理解できないというトラウマが蘇ってきた。しかし、今回は私が興味を持っていた『日本および日本人とは何か?』というテーマについて彼の意見を知りたい、それはこの本のどこかにあるという一条の期待から辛抱して読み進んだ。
そして、とうとう最後まで読み終えた。しかし、彼は本書のテーマについては、大してたことは話していないことが分かり、私は呆然とした。そして思ったのは、私の読み方が浅いために結論を見過ごしたのかもしれないと思い、再度読み直してみたが、徒労に終わった。確かに、彼は哲学概論だけでなく、日本文化についても触れているが、その内容は私の心を打つものではなかった。
例えば、『我国文化の根底をなす矛盾的自己同一は、キリスト教文化に於いての様に、何処までも超越的として主体否定、人間否定を有ったものではない。物となって考え物となって行う、物に即した文化である(天真独朗的)。』(P.99)
私が疑問に思ったのは、このような文を唐突に持ちだしてきて、その理論的根拠も示さず、その歴史的検証も行わないのは、果たして大学の教授のすべきことなのだろうか?私は、ここで初めて西田の知性とその学問的姿勢に疑問を持ち始めた。このような疑惑をもって、読み返してみると、難解な言辞をつらね、人が理解に苦しむのを高みから見下して愚弄するかのような西田の姿勢が次々と露になった。
『非歴史的な合理主義の立場からは人間的存在の本質が一般的法則に従うにあるかに考えられる。人間が合理的ならざるべからざるは言うまでもない。併し、具体的理性は歴史の形成力でなければならない。人間的存在の本質は歴史的社会的創造にあるのでなければならない』(P.133)
この文章は一体なにを意味しているのか?
私は、この本を読み返してみて、ようやく西田の文章を理解できないのは、私自身の知性が未熟ではなく、西田その人が理解できないまま難解な言辞を煙幕の如くつらねて書いたせいだと納得するに至った。その煙幕のうしろには知性や教養と名づけるのに躊躇するような抽象単語だけの荒廃した砂漠があるのを見透かすことができた。
例えば、彼自身が中国とインドの文化について論じているなかに、流石に気がひけたのか、『又、仏教というものがシナの民衆的生活に如何程食込んだかを知らない。』(P.102)と告白している。同じくインド文化についても『私は如何にしてインド文化が形成せられたかについて知る所はない』(P.103)と述べている。私は、彼の正直は称賛するものの、いやしくも日本文化について学者としての意見を陳述するに当たって、中国やインドについて無知のままにいるその姿勢に疑問を感じたのだ。つまり、ドイツ哲学の泰斗の西田幾多郎ではなく、日本最高の知識人の一人としての西田の問題意識のありかた(つまり中国・インドの文化についての無知を恥じないこと)についてである。
ここまで至って私は始めて、以前どこかで読んだ西田幾多郎に対する批判的な意見を思い出した。前回も名前を挙げたが、明治期に初めて本格的なドイツ哲学や古典ギリシャ語を日本に持ち込んだケーベル博士や漢文学者でありながら、フランス語も堪能で良識派の狩野直喜博士が西田幾多郎を全く評価しなかったという意見である。(参照ブログ:『フランス語も流暢な中国文学者・狩野直喜』)
この本は従って、私が西田幾多郎という人物の正体の一端をつかんだという意味で、Wendepunkt(転回点)になった。
(続く。。。)
西田幾多郎の『日本文化の問題』(1982年、岩波新書 特装版)という本は、その序によると、昭和13年に京都大学の月曜講義で述べた内容をまとめたものであるという。聴講者のほとんどが学生であり、かつ当時の戦時下の状況から反体制的なことをずばり言うことがはばかられる状況を考慮しても読みずらい文章が続く。それに、この本の趣旨が日本文化の問題にあるにも拘わらず、内容のほとんどが、彼の哲学概論の繰り返しで、彼の十八番(おはこ)のキーワード、「純粋経験」、「知的直感」、「行為的直観」、「絶対矛盾の自己同一」などのオンパレードだ。
私は、すでに『善の研究』でこのような単語へ多少の免疫はあるものの、依然として私の頭が悪いせいで彼の本が理解できないというトラウマが蘇ってきた。しかし、今回は私が興味を持っていた『日本および日本人とは何か?』というテーマについて彼の意見を知りたい、それはこの本のどこかにあるという一条の期待から辛抱して読み進んだ。
そして、とうとう最後まで読み終えた。しかし、彼は本書のテーマについては、大してたことは話していないことが分かり、私は呆然とした。そして思ったのは、私の読み方が浅いために結論を見過ごしたのかもしれないと思い、再度読み直してみたが、徒労に終わった。確かに、彼は哲学概論だけでなく、日本文化についても触れているが、その内容は私の心を打つものではなかった。
例えば、『我国文化の根底をなす矛盾的自己同一は、キリスト教文化に於いての様に、何処までも超越的として主体否定、人間否定を有ったものではない。物となって考え物となって行う、物に即した文化である(天真独朗的)。』(P.99)
私が疑問に思ったのは、このような文を唐突に持ちだしてきて、その理論的根拠も示さず、その歴史的検証も行わないのは、果たして大学の教授のすべきことなのだろうか?私は、ここで初めて西田の知性とその学問的姿勢に疑問を持ち始めた。このような疑惑をもって、読み返してみると、難解な言辞をつらね、人が理解に苦しむのを高みから見下して愚弄するかのような西田の姿勢が次々と露になった。
『非歴史的な合理主義の立場からは人間的存在の本質が一般的法則に従うにあるかに考えられる。人間が合理的ならざるべからざるは言うまでもない。併し、具体的理性は歴史の形成力でなければならない。人間的存在の本質は歴史的社会的創造にあるのでなければならない』(P.133)
この文章は一体なにを意味しているのか?
私は、この本を読み返してみて、ようやく西田の文章を理解できないのは、私自身の知性が未熟ではなく、西田その人が理解できないまま難解な言辞を煙幕の如くつらねて書いたせいだと納得するに至った。その煙幕のうしろには知性や教養と名づけるのに躊躇するような抽象単語だけの荒廃した砂漠があるのを見透かすことができた。
例えば、彼自身が中国とインドの文化について論じているなかに、流石に気がひけたのか、『又、仏教というものがシナの民衆的生活に如何程食込んだかを知らない。』(P.102)と告白している。同じくインド文化についても『私は如何にしてインド文化が形成せられたかについて知る所はない』(P.103)と述べている。私は、彼の正直は称賛するものの、いやしくも日本文化について学者としての意見を陳述するに当たって、中国やインドについて無知のままにいるその姿勢に疑問を感じたのだ。つまり、ドイツ哲学の泰斗の西田幾多郎ではなく、日本最高の知識人の一人としての西田の問題意識のありかた(つまり中国・インドの文化についての無知を恥じないこと)についてである。
ここまで至って私は始めて、以前どこかで読んだ西田幾多郎に対する批判的な意見を思い出した。前回も名前を挙げたが、明治期に初めて本格的なドイツ哲学や古典ギリシャ語を日本に持ち込んだケーベル博士や漢文学者でありながら、フランス語も堪能で良識派の狩野直喜博士が西田幾多郎を全く評価しなかったという意見である。(参照ブログ:『フランス語も流暢な中国文学者・狩野直喜』)
この本は従って、私が西田幾多郎という人物の正体の一端をつかんだという意味で、Wendepunkt(転回点)になった。
(続く。。。)
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