限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

【座右之銘・35】『時不可失』

2010-05-30 17:08:23 | 日記
南宋の大学者、朱子の詩『偶成』に次の句がある。
  『少年老い易く学成り難し、一寸の光陰軽んずべからず』
  (少年易老學難成、一寸光陰不可輕)
つまり、若い内は時間が無尽蔵にあるかのように錯覚していて、ついつい無駄にすごしてしまうが、気がつくといつのまにか老いていて、身に全く学問がついていなかった自分に気がつくも、もうすでに時遅し、という戒めである。

しかし、私は以前からどうも、あの大学者の朱子にしては、つまらない教訓めいた詩だと思っていたが、どうやら作者は朱子ではないらしい、という情報をWebで調べ得て、納得した。

さて、これと類似の言葉に
  『時不可失』(時は失うべからず)
というのがある。これは、中国の戦国時代、秦の名将、白起が楚の西陵を攻め落とし、更に進軍しようとしていた時、困っている楚の襄王に黄歇が弁舌をもって進軍を食い止めてみせましょう、と申し出て秦の昭王に説得する場面で登場する。盛んに秦の同盟国である韓、魏が背面から狙っているという疑念を誇張し、遠国の楚を攻めるより、隣国を攻めるほうが得策である旨をとうとうと述べるのであった。こういった弁舌においては、客観的情勢や真理が説得力があるのではなく、心理的な揺さぶりが結局、功を奏すというのがよくわかる。



さて、ローマに目を向けてみると、時というより、チャンスを取り逃がすべきにあらず、という諺がある。
  Fronte capillata, post est occasio calva.
  (好機は前髪はつかめるが、後髪はないのでつかめない。Hairy in front, opportunity is bald behind.)

これは、Dionysius Catoという紀元後3世紀から4世紀にかけての人の警句であるとのこと。

しかし、時間、チャンスのどちらも一瞬たりとも逃がすまい、と用心して毎日を送っていると、精神的に参ってしまうはずだ。そんな気持ちを代表して、逆に、時間構わず夜中も遊んでしまえ、という漢代の勇ましい古詩もある。
  『生年、百に満たず、常に千歳の憂を抱く。昼、短かくして夜の長きにくるしむ。何ぞ燭をとって遊ばざる。』
  (生年不滿百 常懷千歳憂 晝短苦夜長 何不秉燭遊)

私は、これらのいずれも一理あると思っているので、どれも捨てがたい魅力あふれる文句である。
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