中国の科学技術のレベルの高さは、中世においては西方(西欧、中近東)より遥かに高かったとは、ケンブリッジの碩学、ジョゼフ・ニーダム(Joseph Needham)が確信したことであった。その事実を西欧世界に紹介するために、書き始めたの著書が『中国の科学と文明』である。本人が1995年に亡くなってからもその編集は継続されていて、まだ完了していない。当初の予定を大幅に超えて、歴史に残る超大作になることは間違いない。
私は、英語で書かれた本書は未見であるが、日本語に訳された『中国の科学と文明』(思索社)は8巻までは所有している。これは原典からの引用文も含まれているのが大変ありがたい。正直言って、英訳された中国の漢文は、発音記号から元の漢字を推測しなければならず、とても読めたものではない。つまり、漢字が読めず、ローマ字つづりでしか中国の文物を読めない人たちにとっては、中国の文化を理解するのは不可能に近い。
さて中国の科学技術の内容はいろいろな本に分散しているが、一番簡単にチェックできるのが二十四史および資治通鑑の文である。
後漢に張衡(AD78 - AD139)という科学技術のヒーローが誕生した。通鑑の記述をみることにしよう。
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資治通鑑(中華書局):巻51・漢紀43(P.1670)
張衡は文章を作るのが達者だけでなく、あらゆる学術・芸能(六芸)に通暁していた。しかし、そういった人にありがちな世間を見下す所が全くなかった。手先が器用で、工作も得意であった。特に天文学や暦学に興味をもった。そして渾天儀という天体運動の模型を作った。性格は朗らかで、出世など関心がなかった。それで、低い官でも文句を言わずに勤務していた。
張衡善屬文,通貫六藝,雖才高於世,而無驕尚之情;善機巧,尤致思於天文、陰陽、暦算,作渾天儀,著靈憲。性恬憺,不慕當世;所居之官輒積年不徙。
張衡、属文をよくし,六芸に通貫す。才、世に高しと雖も、しかも驕尚の情なし;機巧をよくし,尤も思いを天文、陰陽、暦算にいたす。渾天儀をつくり,霊憲を著す。性は恬憺。当世を慕わず。居るところの官、すなわち積年うつらず。
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張衡というのは才気あふれる発明家であった。また、渾天儀だけでなく、地震計も作っている。それも、数百キロ先の地震の方角、強さ(マグニチュード)まで分かるという優れものだったらしい。

さて、当時(AD100年ごろ)すでに 1年は365日と1/4日であることが分かっていた。その知識をベースとして、周天(星が巡る軌道)の長さを求めている。該当する距離は、70万5663里( = 365.25 * 1932)であるという。(洛書甄耀度曰:周天三百六十五度四分度之一。一度為千九百三十二里。)中国の一里は約400メートルなので、= 28万キロメートルと計算できる。地球の円周は4万キロメートルであることを考えると、星は地球の半径の約7倍の所に位置していたと考えていたと推定できる。
こういう記述に対して、私は、測定が正しい/間違っている、という基準で見るのではなく、細かい数字にこだわる中国人の思考形態に興味を感じる。つまり、本当は自信がないのだが、虚勢を張って無理やりに細かい数字をまくしたてることで相手をびびらせるという中国的発想は、常に要注意と感じる。
私は、英語で書かれた本書は未見であるが、日本語に訳された『中国の科学と文明』(思索社)は8巻までは所有している。これは原典からの引用文も含まれているのが大変ありがたい。正直言って、英訳された中国の漢文は、発音記号から元の漢字を推測しなければならず、とても読めたものではない。つまり、漢字が読めず、ローマ字つづりでしか中国の文物を読めない人たちにとっては、中国の文化を理解するのは不可能に近い。
さて中国の科学技術の内容はいろいろな本に分散しているが、一番簡単にチェックできるのが二十四史および資治通鑑の文である。
後漢に張衡(AD78 - AD139)という科学技術のヒーローが誕生した。通鑑の記述をみることにしよう。
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資治通鑑(中華書局):巻51・漢紀43(P.1670)
張衡は文章を作るのが達者だけでなく、あらゆる学術・芸能(六芸)に通暁していた。しかし、そういった人にありがちな世間を見下す所が全くなかった。手先が器用で、工作も得意であった。特に天文学や暦学に興味をもった。そして渾天儀という天体運動の模型を作った。性格は朗らかで、出世など関心がなかった。それで、低い官でも文句を言わずに勤務していた。
張衡善屬文,通貫六藝,雖才高於世,而無驕尚之情;善機巧,尤致思於天文、陰陽、暦算,作渾天儀,著靈憲。性恬憺,不慕當世;所居之官輒積年不徙。
張衡、属文をよくし,六芸に通貫す。才、世に高しと雖も、しかも驕尚の情なし;機巧をよくし,尤も思いを天文、陰陽、暦算にいたす。渾天儀をつくり,霊憲を著す。性は恬憺。当世を慕わず。居るところの官、すなわち積年うつらず。
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張衡というのは才気あふれる発明家であった。また、渾天儀だけでなく、地震計も作っている。それも、数百キロ先の地震の方角、強さ(マグニチュード)まで分かるという優れものだったらしい。

さて、当時(AD100年ごろ)すでに 1年は365日と1/4日であることが分かっていた。その知識をベースとして、周天(星が巡る軌道)の長さを求めている。該当する距離は、70万5663里( = 365.25 * 1932)であるという。(洛書甄耀度曰:周天三百六十五度四分度之一。一度為千九百三十二里。)中国の一里は約400メートルなので、= 28万キロメートルと計算できる。地球の円周は4万キロメートルであることを考えると、星は地球の半径の約7倍の所に位置していたと考えていたと推定できる。
こういう記述に対して、私は、測定が正しい/間違っている、という基準で見るのではなく、細かい数字にこだわる中国人の思考形態に興味を感じる。つまり、本当は自信がないのだが、虚勢を張って無理やりに細かい数字をまくしたてることで相手をびびらせるという中国的発想は、常に要注意と感じる。
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