限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

沂風詠録:(第94回目)『私の語学学習(その28)』

2010-10-09 12:40:28 | 日記
前回から続く。。。

【食事時の議論を続ける事で、ようやく英語の話す力が向上する】

以前このブログで書いたように結果的に、再度ドイツに留学するのではなく、アメリカ留学したこと、そしてカーネギーメロン大学(以下CMU)に留学できたことは私にとって非常によかった。その面では、アメリカ行きを指示して頂いた本社(住友重機械工業)には感謝している。それは、前回述べたように、当時(1982年)CMUには日本人がほとんど留学していなくて、アメリカ人の友達がすぐにできたからであった。私は京都大学の工学部では機械工学を専攻したが、CMUでは電気工学の研究科に応募した。それは、機械工学は大体分かったので、今度は電子工学とコンピュータを勉強したかったからである。しかし、分野が違ったので、授業では分からない点が多々あり、アメリカ人の友人には英語だけでなく、内容理解の上でも大いに助けてもらったことには、感謝し尽くせない。

さて、通学途上でラジオを聴くことで、英語のヒアリング能力の向上に励んでいた一方で、話す方の訓練はもっぱら夕方の食事時であった。当時CMUには、Skibo(スキボー)と呼ばれる学生用のカフェテリアがあった。スキボーという名前の由来は、創立者でスコットランド出身者の Andrew Carnegie(アンドリュー・カーネギー)のスコットランドにある彼の城に因んでいる。アメリカ人、留学生問わず、たいていの学生は Meal Plan という格安で食事ができる制度を利用して、このカフェテリアを朝昼晩、使っていた。

最初は、適当な時間帯にここを使っていたのだが、そのうち仲間とともに5時半ごろからここで待ち合わせて食事をすることが定例となった。このカフェテリアは入り口で Meal Plan と連動している学生証をチェックされると、あとは食べ放題であった。アイスクリームやコーヒーなどのデザート類も豊富で、居心地がよかったので、食事の終わるのがたいていは7時か7時半であった。つまり週末を除いてほぼ毎日2時間程度、英語のインテンシブ・トレーニングをしていたということになる。特に、仲間の一人がポルトガルからの留学生で、彼が議論を切り出すと話は止まらない。私もその彼の発言に対して瞬時に論理を組み立て、割り込んで行った。その議論に、アメリカ人の学生も数人加わるので、食事時はいつも賑やかだったが、決して後味の悪いことはなかった。



こういう議論を通じて私は、ようやくドイツ語が一番できた時に感じたあの感触、つまり全脳をつかって英文が流れるように出てくるのを実感したのだった。(参照:『私の語学学習(その21)』)そして、確実に英語力が向上したことを確認したのは、留学からほぼ1年経過した1983年の夏休みのことであった。ある夏の夕方に、 CMUの近くの公園で野外の映画鑑賞会が催された。上映された映画は、ダスティン・ホフマン主演の『卒業』で、音楽は、往年のヒットソング、サイモン・アンド・ガーファンクルのサウンド・オブ・サイレンスであった。戸外の薄闇のなかリラックスして見ていたが、気が付いてみると映画のセリフが完全に全て聞き取れるのだ!これは衝撃的な感激であった。全く英語で聞いているという感じがしなかった。

それから暫くして学内で、例の私が全く聞き取れなかった教授のセミナーが開催されたので出席した。(参照:『私の語学学習(その27)』、【CMUでヒアリング力の無さに愕然とする】)苦手だったその教授の発音が今度は、これまた完全に理解できるようになっていた。ここに至って私ははっきりと、自分の耳の語学フィルターがアメリカ英語に順応したことを認識した。中学生の時からラジオの基礎英語・続基礎英語を初めアメリカ英語になじんできたはずだったが、どれも皆、日本人に聞き取りやすいような発音を意識的にしていた人たちだった。

しかし、現地のアメリカ人はそういう意図は全くなく、普通に話すため、私の耳には、彼らの内にこもるような発音の仕方、つまり私が命名した『ドラム缶English』、は聞き取れなかったのだ。しかし慣れてくるに従って、その適当に発音していると思えた『ドラム缶 English』は発音記号に非常に忠実な発音であることを理解した。(参照:『Yes, 愛新糞』)さらに分かったのは、彼らが発音するときは、口や頬の筋肉が非常に緊張していることが多いことである。我々日本人が普通に話す時に比べて、かなり筋肉に力を入れている。これを逆に検証するには、日本語に習熟していないアメリカ人が日本語を話すのを聞いていると、妙に発音に力が入っているのが分かるであろう。これは、アクセントのためだけでなく、彼らのネイティブである英語での発音の仕方がそのままストレートに日本語にもちこまれた結果である。

留学して1年経ってようやく、ヒアリング力もつき、話す方も慣れて、英会話がスムーズにいくようになったが、トータル的な英語力という点ではまだまだであった。

続く。。。
コメント (1)
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