獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

対話ブログ・ステージⅡ:論客ウトロさん登場(5)

2021-11-28 01:00:51 | 対話ブログ

■の文章は、シニフィエさんの対話ブログからの引用です。


■難しい対話             投稿日: 2013年8月20日

ここ数日のみなさんのお話をうかがってわかったことは、創価学会活動家さん、元創価で覚醒した方たち、元創価で今は法華講さんの3者が、それぞれ自分たちじゃない2者を同じだと考えているということです。つまり大雑把に言えば、創価学会活動家さんにとって、元創価で覚醒した方たちと元創価で今は法華講さんは同じように自分たちを批判している。元創価で今は法華講さんは、創価学会活動家さんと元創価で覚醒した方たちを同じようなものだと批判している。そして元創価で覚醒した方たちも、創価学会活動家さんと元創価で今は法華講さんを同じようなものだ思ってるようです。いわゆる三つ巴状態といいますか、三角関係といいますか、三角でなおかつ平行線状態と言うおもしろいこう着状態になっているようですね。
私はこの3者の関係がすぐに解決するとは思わないし、たとえこのブログで対話を続けても、簡単に互いを受け入れられるようなこれまでの経緯ではないと思っています。しかし、可能な限り対話の可能性は開いておきたいと思っています。自分たちの言い分を相手に納得させようと思えば討論になります。論戦になります。どっちが正しくてどっちがまちがいなのかという決着を求めてしまいますら、敵対心が増すばかりで、結局のところ何も得るものはないと考えます。
たとえネット上のテキストだけの対話であっても「自分はこう考えているんだ」「実際にこんなことがあった」「これからこんなふうになればいいと思っている」といったことを相手に伝え、それが正しいかまちがいかはとりあえず置いといて「なるほど相手はこんなことをこんなふうに考えているのか」ということが単純に、または情報としてわかるというだけでも意義のあることだと私は考えます。こと人生観や思想信条、ましてや自分が信じている宗教のことについて、見ず知らずの人から異議をはさまれることは、けっして楽しいことではありません。しかしそうした対話によって、これまで知らなかった世界が見えてくるのも事実ではないでしょうか。自分の主張ばかりを押し通そうとしても、それは自分が相手を受け入れないのと同様に、相手も自分を受け入れることはないと思います。それぞれが自分の主張がエスカレートするにしたがって、だんだん相手の言葉尻をあげつらって足をひっぱるだけの不毛な論戦となっていきます。ここ数日のこのブログもそんな雰囲気になりつつあるようです。
実際の話、ここにコメントしてくださる方で、創価学会活動家さんはひとりだけ。法華講さんはおふたり。元創価さんはかなりいらっしゃいますから、必然的に数の少ない方に多くの批判や質問が集中します。この多勢に無勢の中で批判ばかりを繰り返しては、当然対話など成り立つわけがありません。
私は当初、自分の過去における学会での信仰体験に照らし合わせて、その矛盾を浮かび上がらせることのできるいちばんわかりやすい例として「芸術と宗教」というテーマを持ってきました。これだったら学会員といえどもいくらなんでも理解できるだろうと思っていました。しかしそう甘くはなかったです(笑)。そこへ、思いがけず法華講の方からのコメントがありました。私は法華講に関してほとんど知識もなく、ましてや自分がこれから宗教をどのように位置づけていくかということを考えるにあたって、日蓮正宗についての関わりを思い浮かぶことさえありませんでした。もっといえば私の中では創価の間違いに気づいた時点で、日蓮正宗の存在は消えたも同然でした。ですから日蓮正宗を批判する気持ちもなにもありません。そのことは何度となく書いてもきました。私が批判しているのは自分が50年以上も騙されてきたとわかった創価学会についてですからね。そこへ元創価で今は法華講の主婦だという木花さんから多くのコメントや興味深い情報もいただいたのですが、創価も元創価も結局創価の呪縛から逃れられないでいるとの考えありきで話されていることもあって、私の考えが真逆にしか受け取れないでいらっしゃいました。その繰り返しの中で木花さんは嫌気がさしてしまったようです。文字だけのやりとりでは限界があると言うこと以上に、相手のことをこうだと決めつけての対話は成り立たないでしょうね。それは自分自身も十分気をつけなければならないと思いました。我見でものを判断するのは、単純に言われたことを鵜呑みにするのと同じぐらい危険なことなのだと思いました。ですから私としては、ほとんど何も知らない法華講に関しては素朴な質問として投げかけたつもりが、それさえ対話にならなかったようです。まあ、そんなこともあるでしょう。対話とは本当にむずかしいものです。


解説
対話ブログが非公開になったため、これについたコメントを参照することはできません。
詳細を書けず、残念です。
是非、シニフィエさんには、対話ブログを再開していただけることを望みます。

獅子風蓮



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