●の文章は、「何かを信じるということ」の記事についたコメントのつづきです。
●ルフラン(2018年10月30日 23:50)
ルフランです。
今回、ダイナムさんの件では大変にお騒がせしてしまったこと心からお詫びもうしあげます。応援し過ぎた私の責任でもあります。
申し訳ありませんでした。ダイナムさんの膨大なお話を聞いているうちにいつの間にかMCに掛かってしまったようです。最初の頃は話が大袈裟だと思ったりまさかと感じていましたがいつの間にか過大評価し擁護している自分がいました。そしてダイナムさんの脱会座談会を聞いて、私も会友として会合に参加し会員さんに色々と聞き出し自分から気がついて貰おう。。などとうぬぼれも甚だしい考えを持ち初めました。そんな時間も力もないのに。。
ダイナムさんのMCから覚めた理由は色々とあります。
色々あり過ぎてもう、忘れてしまいましたー(_ _;)
今、毎日が辛く一歩も前進していない自分の愚かさに腹がたちます。やはり私の創価からのMcは一生です。思い知らされました。これだけ非難されているダイナムさんはもっと辛いでしょう。
ダイナムさん、聞いていますか?私は貴方を非難しません。私はもう外に敵など作りたくはありません(創価組織は別です)。
ずっと、あれから貴方が歩んで来られた幼少のころからの背景だけを想像しました。いけない事ですがこうでも書かなければきっと社会に押しつぶされ光を感じることもなく早世されたご両親様に守られることもなく一人で老後を生きる人間が「対話を求めて」で多くのかたら賛同された喜びは私達が考えるよりも遥かに大きいものだと感じました。
非難したい人はすればいいい!と思います。
もし、我が子が、きょうだいが同じことをしたら批判が多ければ多いほど苦しむんです。ですが、やはり自業自得と言われても仕方がありません。耐えるんです。
裏の創価も教えて下さった貴方は対話には必要な人だったと今も信じています。
シニフィエさん、対話の皆様、他ブログの皆様、chの皆様、ロムの皆様、先導してしまったことを心からお詫びいたします。生意気な言動もすみませんでした。
対話は経験した真実が全てですね。今後も信用度の高いブログに貢献させて下さいますよう意識し応援します。
活動で疲れ切った傷だらけの翼をいっときでも休めるオアシスとしても必要な場所でもありますものね。
シニフィエさん、承認はお任せいたします。
並の神経では不可能な運営をいつも有難うございます。
●signifie(2018年10月31日 01:31)
ルフランさん、コメントありがとうございます。
大丈夫です。ルフランさんのせいではありません。
そういうかたちで気にすることではないと私は思います。ルフランさんもダイナムさんも私も悪意なんてまったくないことは互いにわかっていることですよね。ダイナムさんもこういうかたちでしかアウトプットできなかった。ルフランさんも、自分の環境や思いから、結果としてこのようにしかならなかった。私もこういうかたちでしか治めることができなかった。そういうことだと私は思っています。ダイナムさんがそれでも脱会座談会の音声データを送ってくるのであれば、まだ事態は違っていたのかもしれませんが、ダイナムさんにはもうその気はないと態度で示されましたので、今回のことはこれで終わりです。ことの真相はダイナムさんにしかわかりません。永遠にわかりません。
●マロンクリーム(2018年11月1日 02:42)
シニフィエさんへ。いつも、ブログのために時間を割いて下さり、ありがとうございます。
ルフランさんから話を聞きました。
LIARさんのブログにダイナムさんのことが書かれていたので、LIARさんには私の知る情報をお伝えしました。
対話ブログの方にもLIARさんのように考えられている方が、いらっしゃるかもしれません。
本当はダイナムさんが、真実を述べるべきなのですが、ダイナムさんが弁明なさらず、なおかつ、対話ブログにおいて、ダイナムさんを必要以上に擁護する意見が出たら、下記のコメントをしたいと思いました。
シニフィエさんが、了解ならば、現時点で載せてもいいのですが、ショックが大きいかもしれません。判断はおまかせします。
いろいろ消耗なさったと思います。今回の原因の一端を担っていました。もうしわけなく思っています。
私事ですが、実家の兄夫婦が和解し、これで「長年の私の鬱の原因」「実家の呪縛」が本当になくなりました。父亡き後、改めて、本当に生きなおしです。
夫とのことも、本当に楽にとらえられます。
皆さんのアドバイスがやっと素直に聞けると思います。
変わっていけると思います。これからもよろしくお願いいたします。
マロンクリームです。
「何かを信じるということ」シニフィエさんが立てたスレッドに関係ないコメントばかりしていました。
私たちは、直接面と向かって話す相手の言うことに、「あれおかしいのでは?」と思っても。あえて否定せずに、見過ごしてしまうことがあります。そっちのほうが楽ですから。
電話で話したとしても、同様のことがあります。
相手が言葉巧みであったりすると、「あれ、おかしいこと言ってる」と、思っても、否定せず、そして、「もしかして、おかしくないのかも」となって、「信用してしまうこと」あるんです。
情報が偏っていたり、相手が言葉たくみだったりした場合です。
しばらく前から、たまたまネットを通じて知り合った人と電話で話すようになりました。とても穏やかで私の悩みにも寄り添う言葉を返してくれて、何回か電話で話すようになりました。しばらくしたら「自分は瞬間移動できる」と、言うのです。すぐさま否定できませんでした。話を続けられると「もしかしたら、瞬間移動ってあり得るのかも」と、(書いていると恥ずかしいですが、)思ってしまいました。
冷静に思えば、「おかしい」の一言なのですが、見事に「その人」が言う「瞬間移動以外の様々な事柄」までも信じてしまいました。大げさな話は、一応否定はするのですが、否定する根拠がないと否定することが困難な状況になってしまうものなのです。
「瞬間移動」の話は初めだけでした。「瞬間移動以外の話」が中心になっていきました。
「瞬間移動以外の話」がいよいよ「あれっ?」って思ったときになって、我に返り「瞬間移動って、できないこと。おかしいこと。」と判断できたのです。
もっと早く気づくべきでした。自分のためにも。彼のためにも。
彼の話がどこまでが真実かは、彼にしかわからないでしょう。
いえ、彼にもわからないのかもしれません。
ここに集う方々は、「信じたこと」によって得た「痛み」を知っている方々です。
人を「信じること」はとても大切なことです。
たとえ、裏切られても「人を疑う」より「人を信じる」ことが、できる人の集まりだと思います。
これからも、よろしくお願いいたします。
●signifie(2018年11月2日 03:23)
このところ、ダイナムさんの件で混乱したことに重なるようにして、梵我一如さんとの対話について、私の対応がおかしいのではないかといったコメントと、いやそうは思わないといったコメントが錯綜して、さらに初めてコメントされる方や、創価や日蓮正宗の実際の姿を知らない外部の方のコメントもあったりして、この2、3日はコメント欄が雑然としてしまいました。なにしろ3日半で70以上のコメントになりましたが、そんなときに私も仕事でコメントできる時間をとることができないことが重なり、それでも何度か返事を書いてはみましたが、そのあいだにも様々なコメントが入ってきて、書いてる途中で書き直さないといけなくなることが多くなって、結局まる2日間、何の返事もできない状況になってしまいました。
いまやっとみなさんからのコメントをちゃんと読み返すことができました。
ひとつはダイナムさん関連で、私の対応がおかしいのではといった意見がまだくすぶっていることに関しては、みなさんにお伝えできる事実関係はすべてお話させていただきました。またここの常連さんの中の何人かの方が直接ダイナムさんと電話やメールでやりとりされたことも、一部ではありますが報告がありました。そうした報告も含めた上で、ダイナムさんの行動をどのように捉えるのかということと、ダイナムさんの行動に対する私の管理人としての判断がどうだったのかに関しては、もうそれぞれの方におまかせするしかないと私は考えています。ダイナムさんと直接やりとりをされた方は、ダイナムさんを全面的に応援したいとの思いで直接コンタクトを取られたようですが、みなさん途中で「おや?」と思われたようです。私もメールでのやりとりでしたが、その結果これ以上ダイナムさんのコメントとメルシーさんのコメントを掲載するわけにはいかないと判断したわけです。ダイナムさん本人もこれ以上このブログとは関わらないとのメールをいただきましたので、結局のところ脱会座談会やメルシーさんの話をはじめ、すべてははっきりしないまま終わったということです。これ以上は憶測での話にしかなりませんので、ダイナムさんに関してはこれでおしまいにさせていただきます。みなさんにはご心配をおかけしましたことを管理人として、あらためてお詫びいたします。申し訳ありませんでした。
さて、もうひとつ梵我一如さんとの対話の件でもさまざまなご意見をいただきました。梵我一如さんが信じる日蓮正宗を否定するのは、このブログの対話の主旨に管理人自らが違反しているのではないか?といったご意見もあったようで、これはどう説明したら本意が伝わるのか難しい状況になってしまいました。また、このブログは創価が詐欺でしかないことを学会員に自分で気づいてもらうことを目指しているのであって、宗教教義の真偽についての議論をするところではないとのこのブログの私の方針に反しているのではないか?あるいは他者を認めることこそが対話の第一歩だと言っているのに、梵我一如さんの意見を否定するとは何事だみたいな方もおられました。
そうした方には、もう一度、私の梵我一如との対話を読み返していただきたいと思います。私は梵我一如さんを否定してもいませんし、対話を拒否してもいません。
梵我一如さんは日蓮正宗の信徒の立場として創価学会の欺瞞を明確にするためにこのブログと協力していきたいとの気持ちで、鯛焼きさんのブログでのキャラとは全く違う真面目な態度でコメントをしてきてくださいました。そんな真面目な梵我一如さんに私がした「日蓮正宗における仏とは何か?」という質問が、梵我一如さんには私が日蓮正宗を否定するためにしかけた悪意ととられてしまったようです。もちろんそれは全くの誤解なんですが、梵我一如さんとしては気持ち的に納得がいかなかったのだと思います。また梵我一如さん以外にもそのように捉えた方がいらっしゃったようです。私もそれ以上のコメントをする時間的な余裕がなかったこともあり、そのままの状態になっています。
それと、私は基本的に日蓮正宗は、詐欺である創価学会とは違って宗教であることは認めるものの、信じるに値する正しい宗教ではないという考えを持っています。その理由については昨日スマイルさんがきちんとコメントしてくれいるとおりで、日蓮正宗は創価を破門するまでの何十年ものあいだ、創価学会と一緒に学会員を騙し苦しめ続けてきたことに、何ひとつ謝罪の言葉もなく、あたかも創価に利用された被害者のごとく、今でも創価にすべての責任をなすりつけていることが、私が日蓮正宗を信じるに値しない宗教だと考えているいちばんの理由です。
また、日蓮正宗の日蓮本仏論をはじめとした独善的一神教的教義は、とても信じるに値する宗教だとは思えないことも大きな理由です。梵我一如さんが日蓮正宗を信じる自由があるのと同様に、私も日蓮正宗を信じない自由があるものと考えます。
このことについては私はブログでもときおり述べていることだし、梵我一如さんも私のその考えは承知でのコメントだと思っています。だから私は梵我一如さんが日蓮正宗を信じること自体を否定するものではありませんし、梵我一如さんは私が日蓮正宗を信じないことを否定することもできません。
日蓮正宗を正しい宗教だと信じている梵我一如さんとしてみれば、私の日蓮正宗に対する否定的な部分の誤解が解ければ、このブログがもっと信頼度が高まって創価の欺瞞を追求できるものになるだろうといった考えだと私は受け止めています。それは梵我一如さんが日蓮正宗を正しい宗教だと信じているからこその発想であって、それが日蓮正宗を正しい宗教だと思わない私にもあてはまるという考えは通らないと思います。
また梵我一如さんは、創価の現役支部長である鯛焼きさんのブログでは対話ブログを面白いおかしくおちょくるキャラでコメントを繰り返しながら、このブログでは創価の欺瞞を暴露するぞ息巻いていましたので、場所によって相反する言動をされる梵我一如さんにどれほどの信頼性があるのかもわかりません。このブログでの発言が受け入れられなかったとしたら、また鯛焼きさんのブログに舞い戻って、鯛焼きさんを持ち上げる太鼓持ちキャラを演じるつもりなのでしょうか。
私としては梵我一如さんがどういうスタンスでうちのブログにコメントしてきたのかをはっきりしてもらわなければ、これから梵我一如さんと協力していけないと思いましたので、梵我一如さんが日蓮正宗をどう捉えているのかをはっきりしてほしくて「日蓮正宗にとっての仏とは何か?」といった質問をしたわけです。
梵我一如さんはかつて創価学会員で、創価に疑問をもちながらも、日蓮仏法は正しいと信じることで、自分の創価人生の部分を否定しないで済ませているように私は思います。確かに日蓮正宗は創価から利用された被害者でありますが、学会員に対しては明らかに加害者なんです。そのことをどう説明するのかも聞いてみたいと思っていました。かつて日蓮正宗は創価と組んで莫大な利益を得ました。その莫大な利益とはすべて学会員がよかれと思って出した浄財であり大石寺への登山でした。その事実を完全にスルーしている日蓮正宗と「一緒に協力して創価の欺瞞を暴きましょう」と突然やってこられて「はいそうですね、日蓮正宗と一緒に憎っくき創価学会をギャフンと言わせましょう」なんて思えるわけがありません。かといって私が梵我一如さんを頭から否定しても「シニフィエは言うこととやることが違う」などと誤解されてはいやなので、まずは梵我一如さんから日蓮正宗のいちばん核になる部分、つまり「日蓮正宗にとっての仏とは何か?」から話をしていこうと思ったのです。
以上、このブログど3日ほど起こっていることを私なりに整理させていただきました。
【解説】
マロンクリームさんがルフランさんに聞いたという話を紹介しています。
シニフィエさんのいう「その内容はとてもここでは明かせないものです」とは、「瞬間移動」の話だったんですね。
そんな与太話をする人のことを、これまで対話ブログでは持ち上げてきたのですね。
獅子風蓮