獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

石橋湛山の生涯(その78)

2024-10-04 01:40:51 | 石橋湛山

石橋湛山の政治思想に、私は賛同します。
湛山は日蓮宗の僧籍を持っていましたが、同じ日蓮仏法の信奉者として、そのリベラルな平和主義の背景に日蓮の教えが通底していたと思うと嬉しく思います。
公明党の議員も、おそらく政治思想的には共通点が多いと思うので、いっそのこと湛山議連に合流し、あらたな政治グループを作ったらいいのにと思ったりします。

湛山の人物に迫ってみたいと思います。

そこで、湛山の心の内面にまでつっこんだと思われるこの本を。

江宮隆之『政治的良心に従います__石橋湛山の生涯』(河出書房新社、1999.07)

□序 章
□第1章 オションボリ
□第2章 「ビー・ジェントルマン」
□第3章 プラグマティズム
□第4章 東洋経済新報
□第5章 小日本主義
□第6章 父と子
□第7章 政界
■第8章 悲劇の宰相
□終 章
□あとがき


第8章 悲劇の宰相

(つづきです)

「石田君、君には官房長官をやってもらおうと思っていた。だが、場合によっては君も国家公安委員長(国務大臣)を予定している大久保留次郎君の入閣もないかもしれない。それでもいいかい?」
湛山は石田に、沈痛な表情で打診した。石田に否やはなかった。閣僚になりたくて石橋政権の樹立に必死になったわけではなかったからである。
「池田蔵相は譲れません。しかし、自分の派閥の石田も大久保も引っ込めるつもりですから、2ポストは各派でどうぞ自由にしてください」
湛山のこの言葉に、各派の代表は参ってしまった。池田は、
「蔵相は閣僚2ポスト分に相当しますから」
そう言って自分の派閥のポストを岸派に譲った。
こんなあれこれがあって、やっと石橋内閣は成立した。
石井が入閣せずに、岸が外務大臣として入閣したことが、二人の、そしてこの後の日本の政治を大きく変えることになるのだが、二人とも分かっていない。
石田は内閣官房長官を任命された。
難航の末に石橋政権をスタートさせた湛山は、積極経済と自主外交とを政策上の大きな柱に据えた。
「石田君、組閣中に経済企画庁の上野次長を呼んでねえ、完全雇用達成のための経済成長の規模と実現可能性について聞いてみたんだ。すると彼はね、完全雇用達成には8.5パーセントの成長率でも10年かかるが、日本経済の実力で言えば8.5パーセントだって容易ではない。完全雇用達成に向けてむやみに経済を拡大したら混乱を招く、と言うんだなあ。でも違うよ。日本経済は8.5パーセントならいけるはずだよ」
湛山の言葉は、その後の日本経済が年率10パーセントを超える実質成長を遂げたことでも裏打ちされる。石田は後年、それを「一般には疑問視されていた日本経済の高度成長の可能性を明確に予見し、それを政策化したところに石橋先生の先見性があった」と述べている。
岸の当選を確実視していたこともあって、石橋内閣の誕生をアメリカは驚きと恐れをもって受けとめた。「ニューズウィーク」は、湛山を「性格の強い」、「恨みを忘れない人間」、「かつて米占領軍に追放されたが、この屈辱を決して忘れてはいない」、「日米関係の全面建て直しがある」、「何につけてもすべて白か黒か決めなければ承知しない男」、「アメリカに復讐する」などと書いた。
また、アメリカ国務省のハワード・パーソンズ極東局長は「我々にツキがあれば石橋は長く続かないかもしれない」と希望的観測を在ワシントンのイギリス公使に語ったほどである。
湛山は湛山で、24日の記者会見で、
「アメリカの言うことを、はいはいと聞いていることは日米両国にとってよくない。互いに意見を述べ合い、場合によってはアメリカと喧嘩をしたとしてもこれは袂を分かつことではない。アメリカは世界の指導者だから。つまりアメリカとは提携するが、向米一辺倒にはならない」
そう断言した。湛山の主張は、自由主義国としてのアメリカと基本的な価値を共有しているのだから、多少の対立や一時的な意見の不一致があっても言うべきことを言うほうが長い目で見れば、お互いの理解と友好につながる、であった。

(つづく)


解説

「アメリカの言うことを、はいはいと聞いていることは日米両国にとってよくない。互いに意見を述べ合い、場合によってはアメリカと喧嘩をしたとしてもこれは袂を分かつことではない。アメリカは世界の指導者だから。つまりアメリカとは提携するが、向米一辺倒にはならない」

湛山のこの外交姿勢は、石破首相のそれに通じるものがあると思います。

石破新首相には、自らの信じる政策をブレずに行ってほしいと思います。

 

獅子風蓮