獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

対話ブログ・ラストステージ:休止から現在まで その3

2021-09-01 01:14:12 | 対話ブログ

 ●「『アテナイの学堂』ラファエロ」(2月16日)
シニフィエさんは、ブログ冒頭の画像を、それまでの『最後の晩餐』から『アテナイの学堂』に変えたと報告しています。
変更した理由は不明です。

シニフィエさんは西洋の芸術を褒めたあとで、
>日蓮の教えは800年も経つというのに何一つ芸術文化を創り出していません。この現実が何を意味しているのかを、学会員さんに自分で考えて欲しいと思っています。
と日蓮の悪口をいいます。日蓮にとっては筋違いの批判です。
私も西洋の美術やクラシック音楽は好きですが、何も優れた芸術作品を生み出さないことが宗教を批判する根拠にはならないと思うのです。
もっとも、日蓮の末裔に芸術家が皆無かというと、そんなことはないと思います。
安部龍太郎の『等伯』を読むと、長谷川等伯が日蓮宗の信徒で、「松林図屏風」には法華経のエッセンスが込められていることが分かります。
また、『泥の河』などで知られる小説家の宮本輝氏は創価学会員であることが知られています。
自伝的大河作品の『流転の海』では、宮本輝氏自身の父をモデルとした松坂熊吾の半生が描かれています。熊吾の口を通して、仏教的な人生観が語られることもありますが、それはおそらく作者の思想が入り込んだものだと思います。
亡くなった尾崎豊は創価学会員でした。たしか脱会して正宗信徒になったと思うのですが、機会があれば検証してみたいと思います。
池田氏は、民音を創設したり、むしろ創価学会に芸術の花を開かせようとしていました。
それが成功したかどうかは議論の余地はありますが。
末端会員にとっては、民音チケットを押しつけられて迷惑と感じることの方が多かったかもしれませんね。
軍歌の替え歌の多い学会歌は時代遅れとなったものがほとんどですが、当時の学会員は「威風堂々の歌」などの学会歌に励まされて、困難にくじけそうになるのをこらえて折伏に励んだのでしょう。
シニフィエさんお気に入りの上品な芸術とは比べられませんが、古くからの学会員の共感を呼び起こす歌であったことは事実でしょう。強引な折伏の良し悪しは、ひとまずおくとして。
また、山本伸一作詞の「森ケ崎海岸」は、今でも私の好きな歌の一つです。
『新人間革命』に歌詞の生まれた時のエピソードが書かれている「学園寮歌」ですが、かつての寮生として、今も人生の応援歌です。池田先生の加えてくださった5番目の歌詞も素晴らしいと思います。今は、創価学園の「校歌」になったんでしたっけ。
私の夢としては、誰かが交響曲「法華経」を作曲してくれないかな、ということです。
「法華経」の世界観を第1~4楽章にわたって描くことができたら素晴らしいことでしょう。
また、亡き尾崎豊の唱題の声は張りがあって素晴らしいものだったと尾崎豊の父君が何かに書いていたのですが、その唱題の音声を聞いてみたいものです。
尾崎豊の息子さんの声がお父さんに似ていると言われているので、誰かプロデュースしてくれないかななどと夢想したりします。

それはともかく、日蓮仏法の信奉者でも、幅広く芸術を受け入れ愛する人が多いと思います。
西洋の芸術と比較して、日蓮を貶めようとするのは、筋違いだと思います。

つづく。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。