獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

石橋湛山の生涯(その65)

2024-09-11 01:54:52 | 石橋湛山

石橋湛山の政治思想に、私は賛同します。
湛山は日蓮宗の僧籍を持っていましたが、同じ日蓮仏法の信奉者として、そのリベラルな平和主義の背景に日蓮の教えが通底していたと思うと嬉しく思います。
公明党の議員も、おそらく政治思想的には共通点が多いと思うので、いっそのこと湛山議連に合流し、あらたな政治グループを作ったらいいのにと思ったりします。

湛山の人物に迫ってみたいと思います。

そこで、湛山の心の内面にまでつっこんだと思われるこの本を。

江宮隆之『政治的良心に従います__石橋湛山の生涯』(河出書房新社、1999.07)

□序 章
□第1章 オションボリ
□第2章 「ビー・ジェントルマン」
□第3章 プラグマティズム
□第4章 東洋経済新報
□第5章 小日本主義
□第6章 父と子
■第7章 政界
□第8章 悲劇の宰相
□終 章
□あとがき


第7章 政界

(つづきです)

ところが昭和29年(1954)、造船疑獄事件が突発した。
これは、造船業界が金のかかる造船にあたって造船利子補給法を成立させるために、政界への献金をしたが、これが収賄罪になるとして、自由党から2人、改進党から1人の議員が逮捕された事件であった。さらに、自由党の佐藤栄作幹事長、池田勇人政調会長、改進党の重光葵総裁が検察の事情聴取を受けた。
この結果、池田が受け取った200万円のギフトチェックは渡米の餞別と認められたが、佐藤栄作が船主協会や造船工業会から受け取った2000万円などは収賄に当たるとして「佐藤逮捕」が日程にのぼった。
「冗談ではない。今、佐藤君が逮捕されたらどうなる。吉田内閣が潰れてしまうぞ」
「犬養君、君は法相として、指揮権を発動したまえ。責任は私が取るよ!」
こうして佐藤は逮捕を免れたが、ますます吉田の権威は失墜した。野党の攻勢も激化を辿った。この年の6月に自衛隊が発足した。この間にも「反吉田」の新党旗揚げが協議され、11月24日、新党の民主党が結成された。結局、自由党の岸も参加して、自由党鳩山派、改進党、日本自由党が合流した。衆院からの参加は121人、参院からは18人の合わせて139人が参加した。
民主党総裁は鳩山一郎、副総裁・重光葵、幹事長・岸信介、総務会長・三木武吉、政調会長・松村謙三、最高委員・芦田均、石橋湛山、大麻唯男という役員構成であった。
ワンマンの威光を失った吉田は、時の流れに抗し切れず、今度は「バカヤロー解散」のようなわけにはいかなくなっていた。最後は「引退声明」を発表し、副総理の緒方竹虎に説得されて総辞職した。自由党は後継総裁に緒方を選出した。
12月9日、左右社会党の協力で、民主党の総裁・鳩山が両院で首班指名され、念願の鳩山内閣が成立した。
ところが、湛山はここまできてまた裏切られるのであった。
「大蔵大臣は一万田尚登君にしたい。 石橋さんには通産大臣をやってもらえませんか」
鳩山の言葉を聞いて湛山は耳を疑った。
「しかし一万田さんはドッジ・ラインをはじめ、吉田内閣の財政金融に深く関わってきた人ですよ。そんな人物を……」
湛山は、赤ら顔を一層紅潮させて抗議するように言った。だが鳩山は、
「実はね、民主党は財界と縁が薄いのだよ。一万田君なら日銀総裁だったからねえ。そういう声が党内に多いのだよ。我慢してくれないか、通産大臣で」
湛山は無念さに堪えた。何のためにここまで頑張ってきたのだ。何のために鳩山首相実現に力を砕いてきたのだ。自分の経済政策を実行して、国民のためになろうという純粋な気持ちだけしかな かったというのに……。
組閣が遅れた理由を知った石田らが鳩山に詰め寄ろうとした時に、湛山は石田の前に出て、宥めた。
「ここで抵抗したら折角作った鳩山内閣が流産してしまう。いいじゃあないか。僕は通産大臣で結構。ありがたく受けますよ」

この時に、妻の梅子が湛山の尻を叩いて、何が何でも大蔵大臣に固執するよう叱咤したと伝えられ、「石橋は恐妻家」とまで言われるようになるのだが、それは誤解であった。
少し時期を遡るが、湛山が初めて吉田内閣の大蔵大臣になった後、梅子は、大蔵官僚や政治家、新聞記者といったそれまでの東洋経済新報の社員とは異なった人々との対応に苦労した。
そればかりでなく、湛山の健康を心配するあまり、記者が夜討ち朝駆けをしてくるのに嫌悪感を示した。場合によっては「取材お断り」と、にべもなく言い放つこともあった。
記者からは決して評判のいい「奥方」ではなかった。
無理もない。梅子は学者、あるいは編集者の妻であった。それが突然、政治家の妻になったのである。当然戸惑いもあるし、苦労も違ってくる。
梅子は、湛山がいい仕事を出来るようにと気を遣ってきたのだった。「恐妻家」とは内実を知らない人間の言である。

(つづく)


解説

この間にも「反吉田」の新党旗揚げが協議され、11月24日、新党の民主党が結成された。結局、自由党の岸も参加して、自由党鳩山派、改進党、日本自由党が合流した。衆院からの参加は121人、参院からは18人の合わせて139人が参加した。

なるほど、保守合同前の元祖・民主党は、こうして生まれたのですね。

 


獅子風蓮