★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

動くモンテーニュ

2024-06-05 23:16:45 | 文学


「貧僧不敏なりと雖も、願くは生命を捨てて西天に赴き、眞經をとり来るべし」と奏聞すれば、太宗御感斜ならず、二人の従者と白馬一疋を賜り、吉日を選んで首途をなさしめ給ふ。玄奘法師恩を謝して都を立出でぬれば、太宗皇帝もろもろの官人と共に関の外まで送り出で給ひ、自手御盃を賜り、勅して宜ふは、「酒は僧家の制禁なれども、此一杯は朕が餞別なり。快く飲ほして別の情を盡すべし。且三臓の眞経を需め帰る你なれば、今より三蔵と弱くべし」と仰せければ、玄奘法師君思の深きに落涙止めがたく、太宗皇帝に辭謝し奉り、衆人にわかれを告げ、西方さして行きける。

三蔵法師は西方にゆく、――むろん天竺を目指していた。そういえば、わが国も、西に――中国に行きたがった時代をながくすごしていた。アメリカからの蒸気船の衝撃というのは、実際は太平洋の存在への驚きであったかもしれず、我々には更に東側への道があったのだと気付かされたのである。それでも古風な習慣というのは、ロシアや西洋への道を探らせた。「西方の人」(芥川龍之介)ではないが、近代文学はその反映である。日いづる地点はもっと東側にあり、東洋を起点にアメリカにむかって扇を広げる形で我々はその東側に向かおうとしたが、あいかわらず大きな海が立ちはだかっていたことは確かである。結句、米国との戦争に負けることでその扇は成し遂げられた。

三蔵法師の西への旅は、いわば、モラリッシュエネルギーみたいなものであった。昨年、大河ドラマへのコメントで誰か言ってたんだろうけど、御成敗式目へ向かう武家のエネルギーを、戦時下の京都学派の一部がモラリッシュエネルギーと名付けていたわけだが、当時の戦争が、憲法や法律の方向に向かっているようにはみえない。われわれにとって戦争とは花田清輝のいう「ミュージカル」どころではなく、西へのそれを東側に裏返しただけの旅だったのではなかろうか。わたくしは、蒙昧な狸の泥船が沈む太宰の「カチカチ山」――「低能かい。それぢやあ仕樣が無いねえ」という言葉を思い出す。

竜宮ではないが、魚の墓場というものがある。起伏の多い深海で、片方に岩礁が峙ち、洞窟のようになり、底は一面の白砂、藻の類もない。ふしぎに静かで、暴風の時にも、そこだけはひっそりしている。つまり海底の岩陰である。そこに、病気の魚貝類が身を寄せて、静かに死んでゆく。

――豊島与志雄「竜宮」


われわれの半分ぐらいは海の民であったから、上のような風景を知っていたはずだ。しかし、海を目の前にしてせいぜい桃太郎の鬼ヶ島への航海みたいなイメージしかわかなかったのはおかしい。われわれは、いつもどうして具体的なものが浮かばない傾向があるのであろうか。普段はモノへの執心はあっても大きなものをめのまえにすると頭が動かないのである。西洋世界が繰り出す大きな概念、多様性でもLGBTQでもなんでもいいが、そういうものが大事だと実感をもって言いたい方は、結婚をするか小学校の先生をするかしていただいて、自分がどういう生き方が可能だったか報告するのがよいにきまっている。自分が多様な生き方の一端を実現するのもいいが、目の前の誰かと違っているだけかも知れないのだ。もっと簡単で苛烈な方向に目が行かない。

――こんな感覚について、わたくしは高校の頃から課題だと思っていたから、近代の精神の嚆矢であると言われてもいたモンテーニュなんかを読んでいた。飜訳については、関根秀雄氏のものでよんできたので、最近の訳よりもよみやすい。で中古文学の関根慶子氏が妹だと初めて知ったわ。。――それはともかく、若者の頃、その「エセー」はすごく深い気がしたけど、いま読み直すと、その深さはすごくねじまがった特殊なもののような気がしてきた。それは引用で厚塗りしすぎて訳が分からなくなった肖像とも言えるんじゃなかろうか。そして、この厚塗りの自画像は、ネット時代の我々のそれに似て、非常に危険な何かだったのかもしれない。エセーの冒頭に「わたし」を描いたんだと言い放つ彼は、ルソーがえがく自分を自分で愛するおかしな人間よりも、――他人の体をつなぎ合わせて自分だと称しているおかしな人間だ。こんな事が可能なのは、歴史も現在も無視する動かない人間だ。まだ、西へ東へ行こうとする人間の方が見込みがある気がしないでもない。しかし、いまや、そういう人間こそが動くモンテーニュという怪物としてあらわれているように想われる。


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