
「そうね。どうせわかることです。」と、お年寄りのお妃はお考えになりました。けれども、そのことはなにもおっしゃらずに、寝室におはいりになりました。そして、ふとんをみんなとりのけて、ベッドの上に、一粒のエンドウ豆をおきました。それから、敷きぶとんを二十枚も持ってきて、そのエンドウ豆の上に重ねました。それから、もう、 二十枚やわらかなケワタガモの羽ぶとんを持ってきて、その敷きぶとんの上に重ねました。
こうして、お姫様はその夜、その上で寝ることになりました。朝になって、寝ごこちはいかがでしたか、と、お姫様はきかれました。
「ええ、とてもひどい目にあいましたわ。」と、お姫様は言いました。「一晩じゅう、まんじりともしませんでしたわ。いったい、寝床の中には何がはいっていたのでしょう。なんだか、堅いものの上に寝たものですから、からだじゅう、赤く青く、あとがついてしまいました。ほんとうに、恐ろしい目にあいましたこと。」
――「エンドウ豆の上に寝たお姫様」(大畑末吉訳)
結局、羽布団の下の方あるエンドウ豆に敏感だった――しかも気分の問題ではなく、体に痣が就く始末なのであった――、このお姫様が結婚相手になるわけであるが、この敏感さは大変なことで、これから生きてゆけるのかあやしい。精神が貴族的すぎると確かに死ぬ運命だ。対して、労働者ともなると、精神は死んで体が軋んでいるから、蒲団の下に何か固いものがあったほうが、肩のこりがなくなったりすることもあるし、時々、健康のために、イボイボのついた何かを踏んづけたりもしているのは周知の事実だ。
村山知義は転向した後、「転向作家」みたいなレッテルは勘弁してくれ社会的にはそうかもしれないが文学にはいろいろあんだから、みたいなことを言っていたら、徳田秋声に「自由主義だ」と茶々を入れられている(「文学リベラリズム座談会」、『行動』昭9・9)。村山は労働者の味方であろうから、エンドウ豆がどれだけでかくても何処でも寝てやるぜ、みたいな気概を見せているのだが、徳田秋声みたいなリアリストからすれば、単なる精神上の「自由主義」であった。舟橋聖一なんかも、これからはファッショに対する「反抗だ」とか息巻いているが、国会図書館所蔵の『行動』にはここに「偉いぞ!」みたいな茶化した落書きがある。
ここらあたりで、精神は事実上死んでいたとみてよいのだ。あと残ったのは肉体かなにかである。
マッカーサーは、第二次大戦後に日本に上陸してきて、日本人は十二歳ぐらいとか言うたが、間違っている。死んだ精神をよそに、我々は昆虫の仮面を被ったり絵を沢山描いたりと、西洋人がたくさんコロしてきた土人に進化していたのである。で、自分たちもコロしたよね、という自覚が学問的認識のように、つまり精神的のみにもたらされたとき、その進化は停止した。我々は再度、幼稚な意味で「近代」に向かって歩みだしたのである。