★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

礼楽前に馳せて真道後に啓く

2022-05-29 02:43:46 | 思想


 而りといえども、過去・未来をしらざれば、父母・主君・師匠の後世をもたすけず、不知恩の者なり。まことの賢聖にあらず。孔子が「此の土に賢聖なし、西方に仏図という者あり、此聖人なり。」といゐて、外典を仏法の初門となせしこれなり。礼楽等を教へて、内典わたらば戒定慧をしりやすからせんがため、王臣を教へて尊卑をさだめ、父母を教へて孝の高きことをしらしめ、師匠を教へて帰依をしらしむ。妙楽大師云はく「仏教の流化実に茲に頼る。礼楽前に馳せて真道後に啓く」等云云。天台云はく「金光明経に云はく、一切世間所有の善論皆此の経に因る。若し深く世法を識れば即ち是仏法なり」等云云。止観に云はく「我れ三聖を遣はして彼の真丹を化す」等云云。弘決に云はく「清浄法行経に云はく、月光菩薩彼に顔回と称し、光浄菩薩彼に仲尼と称し、迦葉菩薩彼に老子と称す。天竺より此の震旦を指して彼と為す」等云云。

「開目抄」は冒頭から、大事なのは主と師と親だと言っている。世の中があまりに乱れていたためであろうか。それにしても礼楽というものが重視されているのはいまでも検討に値する。儒家の礼楽思想における音楽は一種の鎮静剤で、心を鎮めて政治を行うことと関係していたらしいが、次第にそうではなくなり、玄宗皇帝が音楽を自ら娯楽的に楽しむようになったらしい。(森新之介氏「平安時代における礼楽思想と天皇奏楽―盛唐以前と 比較して―」)

とはいっても、音楽をちょっと囓ったわたしの経験から言うと、音楽は確かに儀礼的なところがあり、政治的なはたらきと関係もある。音楽の団体というのは、一種の政治形態なのである。これは、日本の体育会系が政治形態であることとは違ったニュアンスをもつ。「善」と「治安」が関係づけられた形態なのである。というわけで、更に、これが再びスポーツと結びつくとこうなる。

H27.10.04 甲子園全体で六甲おろし歌う(カープファンも) 広島×阪神 最終戦


阪神ファンたちがたびたび襲いかかる暗黒時代に耐えて、革命など起こさずにいるのは、六甲おろしのおかげである。がんばれドラゴンズ。


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