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★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

意識朦朧コクリコ坂

2016-08-13 06:20:55 | 映画
蒸し暑くて意識朦朧としたまま家に帰りご飯食べてたら、少女がやたら走り回るジブリ映画が、なんだか内面的になって落ち着いたなあ――みたいな映画がやってて、「コクリコ坂より」という作品であった。


まだまだ意識朦朧としているので、こんな感じにしか記憶できない。

昭和三十年代後半とおぼしき時代が舞台であるが、デカンショ的旧制高校の雰囲気を残したほこり臭い部室棟(カルチェラタン)の保存運動をする男子高校生たちと、朝鮮戦争で死んだ父親を待ちながら、戦前からの家を守って切り盛りすることで頑張っている女子高校生。どちらも過去を守る若者たちである。むしろ、その当時の大人たちの方が、戦後(未来)に向けて突き進んで行っているらしい(東京オリンピック直前だ!)が、高校生のたちは未来の前で足踏みしている。楽しさとともに自分の過去に問題があるからであった。結局、女子の影響でカルチュラタンをきれいにリニューアルしましょうということで、お掃除する。でも、これは実際は、男女が分かれていた戦前世界と決別する、男女の集団恋愛シーンのようなものである。で、偶然、保存運動の一人の男子と上の女子が恋?に落ちるけどどうやら故あって別々に育った兄妹であると思い込み、ついにジブリで近親相姦かと思いきや、そうでもなかったらしい。結局、その男子は、女子の父親の友人――お互いを「貴様」と呼び合う戦友だかマブダチの一人(いまは死んでる)の子どもなのであった。一人生き残っているその友人の一人と、遺児である二人(しかも恋人同士?)が手を握り合ってハッピーエンド。

結局、これは、戦前から朝鮮戦争、旧制高校的なもの――絶対に決別できない父親世代のなにかを、どうやって若者が納得するかという話になっていて、ほこりっぽい「貴様」と呼び合う友情を、「どんな条件でも(兄妹でも)あなたが好き」という美しい友情だが愛情だかわからん何者かに変化させて行く話とわたくしは意識朦朧とした中で思った。カルチュラタンの美的保存運動のありかたとそこは重ねられている。

過去を守ろうとするのは、未来が恐怖である一部の高校生や大学生たちのいつも姿であろう。今で言えば、シールズとかもそうだよね……。この映画でも、明らかに、戦争を忘れない少数派が民主主義を守るという話になっている。

たぶん、監督の宮崎吾朗の、父親の駿に対する複雑感情の映画だという論は沢山あるのだろう。まあそうかも知れない。カルチュラタンの描写は、「千と千尋の神隠し」の湯屋みたいだったし……。父親より母親が活躍するお話だし。

おれはほこり臭い部室の方がいい……。だいたい戦前も戦後も、もっと汚らしいものだったはずだ。だいたい、運動にはいいやつもいるけどとんでもない粗暴な奴や「女々しい」奴が混じって滅茶苦茶になってたじゃないか……。