★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

私的東京五輪2020開会式イメージ

2016-08-06 23:36:50 | ニュース


ゴジラ・美少女・富士山がスタジアムを襲う演出を希望。スタジアムをゼネコンの儲けに費やすなら、当然ゴジラ、美少女、富士山も実物を使う。故に会場は、河口湖あたりに決定。もはや東京五輪でさえなくなるが、こまけえことはどうでもいいんだよ。だいたい今どきのオリンピックは、国家かごりごりに関与してるくせに、主役は選手、ポリティカルコレクトネスに配慮してとか、国家がでてくる必要がないかのふりをしているのは納得いかない。ここまできたら、恐怖と美と崇高のコンセプトで全体主義的オリンピックの復活だよ(ホントにそうなりそうで寒気がするが……。)この際、いまだに前世紀のあれを彷彿させている×朝鮮とか日本とか、――このような浮いてる方々に死に水を取らせるべきだ。

附記)
昼間やってた開会式の中継映像が、編集されて7時ぐらいに特別番組になっていたが、それをみると別に開会式が悪いわけじゃなく、NHKの番組の作り方がダメなのが明らかであった。いい場面を殊更カットする(太古のブラジルに、植物と不気味な虫だけがいたあの素晴らしい場面を流せよ~。あと日本人の入植の場面をわざわざ原爆投下の時刻に合わせてやってくれたのにそれをカットするなよ……)最悪のセンスもさることながら、視聴者からの完全にどうでもいいツイートの紹介、司会者の面白くもないコメント、アスリートの絆的な話題の紹介――全て必要ない。リオのオリンピックだってある程度国家主義的であり、しょうもない感じなのであるが、イメージだけならまあ面白いものだった。NHKの編集と言葉によって全てが台無しになっているように我々の社会がだめになったのは、言葉の世界においてである。わたくしが恐れるのは、2020の開会式が妙に絆的な日本語の世界を押しだして、自慰的なものになることである。まさに恥さらしもいいとこだ。ゴジラ美少女フジヤマのイメージだけで遊ぶ方がまだましである。