
勉強になるなあ……

例の宮城事件の映画。昔一回見たのだが、昨日も観た。こんな暑い日に国体だなんやらと議論してクーデターの段取りからなにまで一日でやろうというのが無理なんじゃ。白黒だからなんとなくあれだったが、かなりみんな汗だくだろうが…。というわけで一番生き生きしていたのが、勝手に呼応して首相暗殺を企てて暴れていた佐々木武雄と横浜の学生たちではないか。横浜の学生は倉田百三なんかを読んでいたから、案外三島由紀夫の言う、文化(天皇)によるシビリアンコントロールが実現していた…わけはない。ともかく、「シン・ゴジラ」よりよほど我々のことがわかる映画で、情けない。
言うまでもなく問題なのは、最近の「お言葉」にせよ、「終戦の詔勅」にせよ、――「天皇もまた高齢となった場合,どのような在り方が望ましいか,天皇という立場上,現行の皇室制度に具体的に触れることは控えながら,私が個人として,これまでに考えて来たことを話したい」、あるいは「朕ハ時運ノ趨ク所堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ萬世ノ爲ニ太平ヲ開カムト欲ス」とか、――それが天皇個人の希望とか感想であるにもかかわらず、それが勝手に国民の希望とか感想になってしまうことである。結局、近衛師団をはじめ陸軍の連中も、佐々木も、これに抵抗する理屈を構築できないまま、とりあえず天皇の口をつぐもうとするので暴力的になっているだけである。三島の場合は、最後の大作『豊饒の海』との行動の関係がまあ正直な所よくわからんのが致命的にあれであった。少なくとも「文化防衛論」が学校の先生なんかによってきちんと注釈されるまで待つ必要があったのである。
待つといえば……この映画である。日本のアニメとかにも似た話題の映画はあるが……

あれ、この映画すごい……しかし、最近俳優が力振り絞って演技しなくても映画が成りたつような傾向があるような気がするのは気のせいであろうか。まあ、映画が議論や哲学に接近しても別にかまわんわけで、いつまでも暇つぶしオペラみたいな題材で人びとを惹きつけておく必要はない。
天皇の言葉にせよ、SFの理屈にせよ、我々の個々の生から、いや政治的な生からも離れている。そのことを忘れがちになるのが我々にとって深刻な問題である。