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★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

もやしもん 対 黙示録

2012-04-23 23:39:26 | 漫画など


たしか内田樹氏もどこかで言っていたが、『もやしもん』は大学漫画の傑作である。(主人公達のゼミの先生の名前が「樹」だから褒めたのかもしれない)大学漫画というのは、学園漫画とは違う。学園漫画というのは、「ああ、こういうカッコをつけてるだけの、その実教員に依存しまくりの生活を送ってる奴が、自分が日本のマジョリティとは永遠に気付かずに知識人を迫害しているのだなあ」と思わせる主人公がホレたハレたを繰り返し、卒業式で紋切り型の感慨を持って卒業してゆくものである。つまりファシストや田子作が若いから学校を通過しているだけである。大学漫画とは、その迫害を逃れた社会不適合者達の巣窟を描くものである。もう現実の大学はこんなではない。大学の教員がそもそもその巣窟の住人でなくなってきているのだから、学生が一年生から就職活動に勤しむのも無理はない。最近大学の教員の言うことをよく聞く学生が増えたような気がする。社会不適合者の言うことなら「うわっなんだこりゃ」で酒のつまみの話にもすりゃいいだけだが、案外処世に役に立つことを言うもんだからな。だから、それ以外のことはよく聞いていないだけでなく、聞いていないことを批判すると逆ギレする。そりゃそうだ、処世を妨害されたんだからな。巣窟人の使命は、このような輩を徹底的に弾圧することにある。

この漫画からも分かるように、迫害されたものたち(笑)がルサンチマンに満ちているという偏見は間違いである。ちゃんと生きてゆく場所があれば、愉しくやっているのである。むしろ、ルサンチマンが意識できないほどルサンチマンに満ちているのは、常に迫害する方なのではないか。昨日から黙示録のことを考えていたが、あれが、迫害された使徒が洞窟で怨恨で気もおかしくならんばかりに復讐を妄想したものだとは限らない。人間、勝ち組にいる時だからこそルサンチマンが生じることだってあるのである。安冨歩氏などに言わせれば、それはハラスメントの連鎖なので、勝ち組は元負け組と言うことになろうが、本当にそうであろうか。聖書学については何も知らないから何とも言えないし、まったくの妄想であるが……。ああ、それにしても黙示録はニーチェやらロレンスに題材にしてくださいと言わんばかりの極端さだ。これはちょっと扱おうとする者が感情的になってしまう。それが狙いかもしれない。『もやしもん』にはそれがない。いい漫画だ。いつのまにか社会もこんな大学みたいな世界がいいなと思ってくれりゃいいのかもしれない。天使がラッパ吹いて世界が何回も破滅しているようでは……。