白爺の独り言

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テニアン玉砕 ⑦(米軍の基地建設進む)

2006-05-17 07:28:03 | テニアン玉砕
アメリカは、占領する前から、テニアン島を長距離爆撃機(B29)の発進基地にすると決めていました。
そのため、テニアン攻撃を始める前から、海軍の建設部隊である「海蜂部隊」がテニアン基地の建設準備を始めていました。

そのため、テニアンが占領されると同時に、海蜂部隊が製糖工場付近に仮桟橋を造りました。


ブルと-ザーが砂糖キビ運搬トロッコを牽引して基地の建設を促進している

無尽蔵な珊瑚が道路や滑走路の材料として使用されました。
”月月火水木金金”は日本だけでなく、海蜂部隊も週7日の昼夜兼行で基地建設を行ないました。
港から飛行場に通じる道路も、ブロードウェイと名付けられて開通しました。

                   
                      テニアンのブロードウェイ

港の桟橋も完成し、大きな船が直接テニアン島に、接岸できるようになりました。
占領前のように、沖の本船から、ランチで荷物を運ぶことは要らなくなったので、基地の建設は急ピッチで進められました。


完成したテニアン港         
                    
                     大きな船も直接接岸して荷揚げする 

一方、島の北部には、占領後35日で一番滑走路(長さ2600m幅60m)が建設され、12月には最初のB29が降り立ちました。

その後11ヶ月でノースフィールド4本・ウエストフィールド3本合計7本のB29発進滑走路が建設されました。
舗装に使われたアスファルトやコンクリートの量は、ワシントンからボストン(東京から姫路駅)のハイウェー建設に相当するものであったそうです。 



B29の基地ノース・フィールド飛行場                                     
ノース・フィールド基地は、世界で最大・最多忙な飛行場でした。
日本への爆撃命令が出た日には、45秒毎にB29が2機ずつ翼を連ねて飛び立っていました。

                     
                    飛行場からサイパンを眺める 
 
                                                            日本に向けて飛び立ったB29は、富士山を目標にして飛んだそうです。 
そして、爆弾だけではなく、伝単(宣伝ビラ)等も散布していました。

  
                                              

日本へ出撃したB29は、大きな被害もうけないで、テニアン基地に帰着していました。


日本攻撃を終えて帰島するB29

そして翌年の1945年8月6日早朝、エノラゲイが広島に飛び立ちました。

原爆投下に飛び立つ状況は、次回お知らせします。 


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2 コメント

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あの日に向けて (ありどんだす)
2006-05-18 01:53:00
ものすごい勢いで態勢が整えられて行ったのですね。このビラ(句読点がないところがまた納得)が一般市民にどれくらいの影響を与えたのかわかりませんが、内容を信じて避難してれば、とか、この戦況下ではこの警告も無意味に近かったのかも、色々だったのかも、等いろいろ考えさせられますね。
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ブロードウェイ・・・ (ちづ)
2006-05-18 03:02:57
今の道ができているのは、こういう工事があったからなんですね。スクーターで走るのもとっても楽しかったけれど、何のための道かかんがえると、少し神妙になります・・。
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