白爺の独り言

故郷テニアン島へ帰る旅!
 古い友達と巡る秘湯の旅!
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お暇な人 寄っていって~。

テニアン玉砕 ⑤(日本軍守備隊全員玉砕)

2006-05-09 10:04:29 | テニアン玉砕
米軍が侵攻して二日目に、テニアン島守備の最高指揮を任されていた緒方大佐は戦死をしてしまった。
第一航空艦隊の角田海軍中将は、テニアン島守備の指揮任務を帯びてはいなかったが、残存兵力を集結してカロリナスの洞窟内に司令部を移して、最期抵抗を試みていた。

                     
                      カロリナス台地の洞窟


  洞窟の中は3層になっている

洞窟内は、深くて危険です。
白爺は、怖くてとても入ることが出来ないのですが、 白爺の弟と角田中将のお嬢さんが一度入りました。
写真は、そのときに写してきたものです。
3層目は鍾乳洞になっていて、目を見張るような美しさだったそうです。
遺骨は無かったが、日本の兵隊さんが履いていた、編上靴(へんじょうか)や水筒は沢山転がっていたそうです。

                     
                       一番奥の洞窟内は鍾乳洞になっている



洞窟内で何に使ったのか分からないが車の轍が残っている

      
         休息していたと思われる広場

 
   現在も残っている食器や飲料水入れ

1996年6月第一航空艦隊司令官角田中将のお嬢さんが、父の玉砕した場所まで行って
慰霊をしてきました。
白爺の弟も同行したのですが、壊れたベットも残っていたそうです。

                                                        

1944年9月30日16時30分大本営発表
(1)
大宮島(グアム島)及びテニアン島の我が部隊は、その後いずれも一兵に至るまで勇戦力闘したる後、遂に9月27日迄に全員壮烈なる戦死を遂げたるものと認む。
同方面の陸軍指揮官は陸軍中将小畑英良にして、テニアン島の第1航空艦隊司令長官は角田覚治海軍中将、陸軍部隊指揮官は陸軍大佐緒方敬志、海軍部隊指揮官は海軍大佐大家吾一なり。
(2)
両島の在住同胞亦終始軍の作戦に協力し、全員我が将兵と運命を共にせるものの如し。


 


金毘羅宮の巫女さん達がカロリナスで集収した遺骨

                    
                    バンザイ岬で慰霊の舞


テニアン生き残りの有志が主体となって建てた慰霊碑

                  
                 バンザイ岬 この断崖から日本の平和を祈って飛び込んだ





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2 コメント

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洞窟 (ちづ)
2006-05-10 00:15:26
洞窟のお話が、あちこちのHPでたくさん出てきますが、テニアンやサイパンには多いのですね。たくさんの人がそこで身を潜めていたのでしょう・・。サイパンから生還された方のお話を読みましたが、生きて帰ってきたのが奇跡だと思えました。
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遺跡が・・・・ (ありどんだす)
2006-05-09 22:04:33
こんなにたくさん残されていたのですか。この洞窟でみなさんどんな思いで身を潜めていたのでしょう。まだまだ見つけられていない遺骨もたくさんあるのでしょうね。
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