石井信平の 『オラが春』

古都鎌倉でコトにつけて記す酒・女・ブンガクのあれこれ。
「28歳、年の差結婚」が生み出す悲喜劇を軽いノリで語る。

回春の週末

2007-11-10 23:43:01 | 雑談
 昼食時、グレゴリー・ハードリーさんと有楽町の外人記者クラブで会う。10月11日の本ブログに、オラは彼の著書のことを記した。

 敗戦直前、新潟を空襲したB29の一機が墜落し、パイロット12人が死傷した。それから何が起こったか。捕まった人間と、捕まえた村人たちを徹底取材した労作だ。

 パイロットたちはアメリカ中西部の田舎から出てきた「Bampkin(カボチャ野郎)」たちだった。迎え撃ったのは越後の「イモ百姓」だったわけだ。戦争の悲劇は、田舎者同士が殺し合う理不尽にある。

 その悲劇は今も、これからも起こりうることだ、という彼の説に普遍的な新しさを感じる。今までの旧世代ジャーナリズムやアカデミズムが見落とした視点だ。

 1965年生まれの彼は今、新潟の大学でアメリカ文化を日本語で教えている。自分自身をテキサス出身の「田舎モノ」と呼ぶ。だからこそ感じ得た、新潟とテキサスの、風景や気質の共通性が取材のきっかけとなった。

 そうやって「気付いたこと」を核にして物語を紡ぐことは、ミサイル防衛網よりも意味のある、未来に向けた「安全保障」ではないか。有楽町電気ビルの高層階から、東京のビル群を見下ろしながら、オラが感じたことである。

 妻とともにクラブを辞去し、日生劇場のカフェでシガーを吸う。誕生日に頂いた、キューバ産「コヒーバ」の超高級品。

 横浜に移動して、妻の経営学教室クラスメートたちの「飲み会」に出る。今夜、本当は阿佐ヶ谷の杉並第一小学校クラス会に重なってしまった。65歳のおじさん・おばさんが集う会より、若い女性たちで華やぐ会の方を選んだ。

 回春や人生の秋の宴かな
 

昭和30年代はよかったですか

2007-11-09 22:44:46 | 雑談
 昭和30年代、日本は政府も企業も、そう得意の挙国一致で「経済成長」にまっしぐらだった。労働組合は「ベースアップ!」。それだけが「闘争」課題だった。

 まるで戦争継続の別バージョンのような、異様な時代ではないか。それを「ほのぼの」「なつかし」で彩る映画「三丁目の夕日」の”商業主義”こそ実はモンダイではないか。

 「ないか」「ないか」と畳みかけるのはいわゆる「詰問調」であるが、オラは本当は誰に向かってモノを言っているのか。それがよく判らないのである。

「三丁目」を懐かしがる

2007-11-08 21:12:12 | 雑談
 夕方、図書館に本を返却、その足で、鎌倉駅近くの「との山」で妻とヤキトリを食う。絵に描いたような「赤提灯」で、昭和30年代の雰囲気そのままだ。

 30年代と言えば、大ヒット映画「三丁目の夕日」の続編が公開されようとしている。あの頃が懐かしい、あの頃は良かった、日本に希望があった・・・。

「そうじゃない、あの頃から日本がダメになり始めたんじゃないの?」妻の説である。

 その通り! 八海山の熱燗を飲みながら、オラは思わず手を打った。何でもカネが大事で、人情が薄くなり、コミュニティが崩壊し始めたのは昭和30年代からだった。

 質素で、温かいつきあいがあった、というのは一部は本当だけど、それらは前の時代からの惰性がまだ残っていただけの話だ。だから「夕日」と言うんだよ。
 

敬礼したい気分

2007-11-07 22:55:23 | 雑談
昼過ぎ、宝島社に編集者を訪ねる。新任担当者と連載の打ち合わせ。「書き手の錬度とこだわりが文章には全部出ます。石井さんに期待しています」と言われた。「ハハーッ」と敬礼したい気分であります。

 『別冊・宝島』1487号「実録・刑務所マル秘通信」が出来あがった。担当のKさんと完成を喜び合う。

 オラはこの号に、植垣康博(元連合赤軍兵士)と戸塚宏(戸塚ヨットスクール校長)の両氏にインタビューし、刑務所体験を記事に書いている。先の「知られざる日本の特権階級」ともども、書店・コンビニでご覧ください。

 帰りは夕方のラッシュ時刻。昼食を食べてないから腹が減った。新橋あたりで一杯という手もあるが、ここは、冷酒と天ムスを買ってグリーン車に乗り込む。

 ネオンが点灯する薄暮の東京を眺めながら、「移動赤提灯」のほうがマッチベターでありんす。隣に座ったOLにお酌させたりして(嘘々)。

小沢とオレとは同期の桜

2007-11-06 21:59:37 | 雑談
小沢一郎、小泉純一郎、角川春樹、そしてこのオラは、いずれも昭和17年生まれで、今年65歳を迎えた。

 このたびの小沢・民主党代表の「踏み迷い」は、円熟することを楽しまず、なお悪あがきし続けるわが世代をも「代表」している。

 昭和17年は、真珠湾攻撃の直後で、帝国陸海軍は「勝ちいくさ」を続け、南方の戦域を「どんどん」広げていた。

 真珠湾奇襲の「勝ち」、シンガポール陥落の「勝ち」、マニラ制圧の「勝ち」は、いずれも「ニセ勝利」、実は戦争全体の巨大な敗北の入り口に過ぎなかった。

 昭和17年半ばに、フィリピンで「バターン死の行進」を引き起こした。沢山の敵国捕虜をどう扱っていいか判らない、国際条約にも無知な、近代国家としては情けない「国」であった。

 あれから65年、日本はあまり自慢できる国になっていないことに忸怩たるものあり。

 東条英機は64歳の年齢で処刑された。小沢一郎よ、焦りの気持ちは分かる。眠れぬ夜は、相寄って酒でもくみかわしたいね。

エクスタシー・イン歯医者

2007-11-05 23:33:02 | 雑談
 今朝、歯医者の予約を忘れていた。あわてて駆けつける。忘れないように、昨晩からベッドサイドに「診察券」を置いていたのになー。これもボケの一種かも。

 歯医者の診察台に座り、思いっきり背中を後ろに倒された。「はい、アーんと口を開けてください」女医さんの指図で口を開いた。

 この瞬間は、仏教でいう「涅槃」の境地である。ボケと言われようと、アホと言われようと、抜けるような開放感が体をつらぬいた。アーだ、コーだ、という一切の思案からの自由。

 生きてる実感でもあり、死ぬ準備でもあるような、不思議なスペースが歯医者の診察台だ。

 帰宅したら、ファックスが音をたてて受信している最中だった。テレビマンユニオンの事務室からで、同社の創立者のひとり、鶴野徹太郎さんが亡くなった知らせだった。

 オラより2歳若い年齢。電電公社提供、TBS「オーケストラがやって来た」アシスタント・プロデューサーで、オラの後任だった。ご冥福をお祈りする。

小沢代表の電撃発表

2007-11-04 20:09:23 | 政治
 日曜日というのに、とんでもないニュースが飛び込んできた。民主党の小沢代表が辞意表明をした。

 体調を崩した妻に代わって、スーパで買い物をしていたら、携帯が鳴った。「今、小沢一郎が記者会見中。やめるんだって」という妻からの一報だ。

 あわてて、ワンセグ携帯電話でテレビをつけた。こういう時に限って写らない。山に囲まれた鎌倉は概して電波の状態が悪い。

 帰宅して、会見のニュースを見た。何度か再放送で、会見を繰り返していた。奇妙なことに、彼が口を極めて語った「マスコミ批判」のくだりが全く再放送されない。

 「朝日、日経以外の新聞は、私が連立を切り出した、などと事実無根の誤った情報を意図的に流しました。戦時中の政府発表をオウム返しにした過ちを、マスコミは再び繰り返そうとしています」

 この大事な部分をニュースの再放送から「はずす」メディアの姑息がイヤですねー。ユーチューブでは、ばっちりその部分を確認できたけど。

 今回の小沢がいいか、ダメか。実に「どう国民に知らされたか」にかかっているのだから、マスコミの責任は重大だ。
 

落合監督の落ち度

2007-11-03 22:53:47 | 社会
 夕暮れの海を見ながら、「かたつむり」で広島風お好み焼きと赤ワイン。

 中日ドラゴンス・落合監督の、日本シリーズ最終戦での采配が、球界のみならず、全国的話題になっている。妻に、問題点を客観的に説明する。

 彼女は即座に言った。「落合監督は、セコイ、頭が悪い!」

 目の前の「勝ち」だけに走る、監督としての器の小ささで「セコイ」。そして、次の諸理由で「頭が悪い」。

 あそこで山井大介投手にパーフェクトゲームの機会を与えることの意味が分かっていない。

 彼をマウンドから降ろすことで失う「損失」に気付かない。「山井にやらせて、勝つ」のがベスト。それを計算出来なかった。

 パーフェクトゲームの宣伝価値と歴史的価値に頭が回らない。

 その程度でしか選手の価値を把握できないボス、来季、選手の「やる気」を殺いだ損失に気付かないの?

 いやはや、妻のお裁きは容赦がない。もっとも、彼女は「ドラゴンス優勝」には何の関心もない。 

後藤新平フェスティバル

2007-11-02 23:57:39 | 雑談
昼から夜まで、有楽町マリオン「生誕150年・後藤新平フェスティバル」へ。

 大正から昭和にかけて、驚くべき構想力で駆け抜けた政治家・後藤の人物に迫る講演とシンポジウム。

 第1部の講師は、御厨貴、岡田治恵、藤森照信、小林英夫、橋本五郎

 第2部の講師は、佐藤優、小倉和夫、大宅映子、塩川正十郎、粕谷一希

 佐藤一彦さんによる映像ドキュメント、そして、弁士・神田紅によるアニメ「映画演説・政治の倫理化」いずれも秀逸。

 見えてきた後藤新平の人物像は、コミュニケーションに関わる新しいこと、他人のやらないことに、ひとり果敢に挑んだ政治家だった。

「ひとり」という意味は、徒党を組まず、党派の後ろ盾を借りず、という意味である。思想家というより、経営者に近い。理念で消耗しない、めげない、プラグマディズムの人。

 その活躍ジャンルは、教育、マスメディア、鉄道、医療、司法、通貨など多岐にわたった。70歳を超えてはボーイスカウトの服装に身を固めて少年たちと相まみれ、好奇心の固まりの生涯だった。

 息子の武蔵さん、孫の章子さんも会場に見えた。壇上と会場に陣取った人々が血縁でもないのに、後藤の志を我がことのように語った。これは一体どういう事態であろうか。彼は80年も昔に亡くなった人である。

 人の世話にならぬよう
 人のお世話をするよう
 そして、報いを求めぬよう

 という後藤の「自治三則」は、佐藤優さんが語った通り「未だ達成されていない理念」だが、不思議な魅力をたたえたメッセージである。 

 終わって、佐藤一彦さん、学生二人と、妻と、八重洲地下街で食事する。

秋の夕食

2007-11-01 22:24:22 | 雑談
 夕食はオラの出番、久しぶりに厨房に立つ。鮭の白子とシラタキで煮物を作る。煮物とは、ゆるやかな時間経過がいい、音楽でいえばアダージョ、癒しの料理。

 今年最後のサンマを焼く。焼き物は「気合い」です。ひっくり返すも、火を止めるのも、気合い。出来れば外で、七輪にのせて、ウチワであおぎたい。昭和30年代、どこの家でもやっていたことが、今ではとんでもない贅沢になってしまった。

 炒め物は、牡蠣とエノキと空芯菜。にんにくにサラダオイル、最後にごま油で引き締め、香りをつける。

 おすましは、ワカメと白シメジ、茗荷を刻んで放り込む。

 全体に弦楽四重奏曲、4つの楽章みたいに出来た、秋の夜でした。