石井信平の 『オラが春』

古都鎌倉でコトにつけて記す酒・女・ブンガクのあれこれ。
「28歳、年の差結婚」が生み出す悲喜劇を軽いノリで語る。

アメリカは果たして「テロの標的にされた」のだろうか

2009-09-13 11:13:10 | 戦争
石井信平(フリージャーナリスト)


「あらゆるテロは敵であり、根絶する」という大合唱が聞こえる。しかし、第2次世界大戦の英雄的な対ナチ・レジスタンスは、相手に「テロ」で立ち向かったのではないか? あの時、あの抵抗運動が「根絶」されていたら、自分たちの歴史も成り立たないことを西欧諸国は忘れたのだろうか。


いま、テロの温床として、「イスラム原理主義」が敵視されている。しかし、そのような実体は、そもそも存在しない。かつて進化論に反対するキリスト教保守派の運動が「原理主義」と呼ばれた。それにならい、1979年のイラン革命の後、イスラムの政治運動を米国のマスコミが勝手に「原理主義」と呼び始めた。


考えてみよう、米国とは「キリスト教ファンダメンタリズム」で出発し、神政一致の国だった。清教徒とは「過激な」キリスト教の一派だった。マサチューセッツ州に最初の大学を建てたジョン・ハーバードは牧師であり、そこには唯一、神学部しかなかった。ハーバード大学とは、実はキリスト教における「タリバン」(神学生)養成学校だったのだ。


いまイスラエルで自爆テロを続ける「ハマス」は、軍事部門だけでなく、貧困救済、社会事業、病院経営を行う慈善団体でもある。「救世軍」のようなもので、本来のキリスト教精神にもつながる。


ここに歴史の皮肉がある。清潔と禁欲を旨とする清教徒を水源にしながら、やがて米国は、世俗的な「利益」を至上のものとする国に変貌していった。


テキサス州ミットランドの石油事業で富豪になったのがブッシュ家である。また、チェイニー(現副大統領)が湾岸戦争後に国防長官をやめ、ダラスの石油会社「ハリバートン社」の社長になり、どれほど巨額の報酬を得ていたかを報じた日本のマスコミはない。


アフガニスタンの北に位置するトルクメニスタンの天然ガス資源をいかにして西側に運ぶか。「アフガン空爆」とは、それを睨んで敢行されている。いずれ正副大統領は石油および軍需産業からどんなご褒美をもらうことだろう。


米国は暴力の無限連鎖の道を踏み出した。「奴らにつくか、我々につくか」で世界中がアメリカの言う通りになり、国内では「言論の自由」、「司法の公平」までかなぐり捨てようとしている。ブッシュ&チェイニーにとって、これほど望ましい状況はないだろう。


ふたりは、テロ対策を「新しい戦争」に仕立て、これを政権の支持率アップ、国民のストレスの捌け口、軍事予算の使い放題へと利用している。米国は果たして「テロの標的にされた」のだろうか? そうではない。テロは今、米国の格好の標的にされ、骨までしゃぶられているのである。

最新の画像もっと見る

post a comment

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。