ながのゆうきさんとのコメントのやり取りを通して(9月27日記事「死刑
執行拒否」参照)、「右」「左」という区分が意味を持つのか、という疑問
をより強く感じるようになりました。これまでも意識はありましたが、それ
がはっきりと形を現わした、とでも言いましょうか。
「右翼」「左翼」の語源は、フランス革命時代の議会において、議長の
右側の席を保守派が、左側の席を急進派が占めたことに由来する、と
いわれています。
日本語でも「保守」「革新」という言葉がありますが、フランス革命以来、
体制派(現状維持・伝統回帰)が「右翼」、民衆派(刷新・近代化・自由
平等主義)が「左翼」の基本概念であったと言ってよいでしょう。
「体制」「反体制」とは必ずしも一致しないようですが、いずれにせよ、
ある社会における対立軸があって、それについての相対的な対立構造
を表わすのがこの「右翼」「左翼」という言葉です。
ですから、「左翼」=「アカ」なんて図式は、全く普遍性を持たないわけ
ですし、「自分は右翼ではない。正論を述べているだけだ」なんて嘯く
人も、ご自分の思想を相対化できないお子様ぶりを露呈しているだけ、
ということになります。
尤も、日本人の一般認識として「左翼」と「共産主義」が結びついてるの
は、戦前からの思想統制の影響のみならず、共産党の過去の「功績」
への評価によるところも大きいと思います(正当かどうかは別として)。
しかし、現代において「資本主義」と「共産主義」は、もはやメジャーな
対立軸とはなりえておらず(ただしそのことは、必ずしも「共産主義」に
価値がない、ということにはなりませんが)、そのことを無視して固定化
した観念で物を言う人たちは、頭が超保守主義だと言わざるをえません。
なんて冗談はさておき、「リベラリズム」が「ブルジョア民主主義」から
「穏健左派」へ、さらに近年は「新自由主義」へと意味合いが変わって
いったり、その「新自由主義」が「改革」を叫んで、本来の革新が「守旧
派」呼ばわりされるのが今の社会です。固定化された「右翼」「左翼」
の区分には妥当性も、合理性もありません。
こういう言葉を好んで使う人は、自分と異なる考えを、ひとまとめにして
排除しようとしているように、私には感じられます。
もちろん、物事を理解する上で、共通項を見つけて分類し、名前を付ける
というプロセスも大事ですが、単なるレッテル(しかも借り物)というのは
いただけません。
「戦後思想・体制の克服」なんて言葉を口にする人も、首相をはじめ多く
見受けられますが、そういう人たちが案外、こうした「思考停止」に陥って
いるのは、皮肉なことですね。
執行拒否」参照)、「右」「左」という区分が意味を持つのか、という疑問
をより強く感じるようになりました。これまでも意識はありましたが、それ
がはっきりと形を現わした、とでも言いましょうか。
「右翼」「左翼」の語源は、フランス革命時代の議会において、議長の
右側の席を保守派が、左側の席を急進派が占めたことに由来する、と
いわれています。
日本語でも「保守」「革新」という言葉がありますが、フランス革命以来、
体制派(現状維持・伝統回帰)が「右翼」、民衆派(刷新・近代化・自由
平等主義)が「左翼」の基本概念であったと言ってよいでしょう。
「体制」「反体制」とは必ずしも一致しないようですが、いずれにせよ、
ある社会における対立軸があって、それについての相対的な対立構造
を表わすのがこの「右翼」「左翼」という言葉です。
ですから、「左翼」=「アカ」なんて図式は、全く普遍性を持たないわけ
ですし、「自分は右翼ではない。正論を述べているだけだ」なんて嘯く
人も、ご自分の思想を相対化できないお子様ぶりを露呈しているだけ、
ということになります。
尤も、日本人の一般認識として「左翼」と「共産主義」が結びついてるの
は、戦前からの思想統制の影響のみならず、共産党の過去の「功績」
への評価によるところも大きいと思います(正当かどうかは別として)。
しかし、現代において「資本主義」と「共産主義」は、もはやメジャーな
対立軸とはなりえておらず(ただしそのことは、必ずしも「共産主義」に
価値がない、ということにはなりませんが)、そのことを無視して固定化
した観念で物を言う人たちは、頭が超保守主義だと言わざるをえません。
なんて冗談はさておき、「リベラリズム」が「ブルジョア民主主義」から
「穏健左派」へ、さらに近年は「新自由主義」へと意味合いが変わって
いったり、その「新自由主義」が「改革」を叫んで、本来の革新が「守旧
派」呼ばわりされるのが今の社会です。固定化された「右翼」「左翼」
の区分には妥当性も、合理性もありません。
こういう言葉を好んで使う人は、自分と異なる考えを、ひとまとめにして
排除しようとしているように、私には感じられます。
もちろん、物事を理解する上で、共通項を見つけて分類し、名前を付ける
というプロセスも大事ですが、単なるレッテル(しかも借り物)というのは
いただけません。
「戦後思想・体制の克服」なんて言葉を口にする人も、首相をはじめ多く
見受けられますが、そういう人たちが案外、こうした「思考停止」に陥って
いるのは、皮肉なことですね。
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