Naked Heart

その時々の関心事をざっくばらんに語ります

「戦前レジーム」からの脱却

2007年08月15日 23時56分31秒 | 時事・社会
最高気温が40度を越えた所もあった、うだるような暑さの一日でした。
どのメディアも「終戦記念日」一色でしたが、小泉 前首相の靖国神社参拝で
揺れた昨年とは大違いの静かな一日でした。戦後初めて一人の閣僚も参拝
しないという歴史的快挙を阻止すべく、前言を翻して駆け込み参拝した高市
沖縄担当相なんて、見てて哀れですね。話題になっている小池防衛相と守屋
防衛次官の対立には、守屋次官が米軍普天間基地の移転問題で、名護市
へのヘリポート建設計画の修正を拒んでいることが絡んでいる、との噂も流れ
てますし、何より沖縄は「集団自決」をめぐる教科書検定問題で怒りに燃えて
いる状況だというのに、沖縄担当相だけが参拝するなんて。
私は昔から自民党をはじめ「保守」系政治家は嫌いですが、以前はもう少し
まともだったぞ、と思わずにはいられません。まあ、中曽根 元首相や、読売の
渡邉会長がまともなことを言っているように見える時代ですから・・・。

以前にもちょっと触れたことがあるのですが(2005年8月7日記事「原爆は広島
だけのこと?」
参照)、そもそも何で8月15日が「終戦記念日」なのか、という
ことについて今日は書きたいと思います。
まず「終戦」に至る歴史をざっとおさらいしましょう。

1945(昭和20)年
  2月11日 ヤルタ会談合意(米英ソ)。
  3月26日 硫黄島守備隊「玉砕」。
  5月 9日 ドイツ降伏。
  6月23日 沖縄守備隊壊滅し、「組織的戦闘」終結。
  7月26日 ポツダム宣言発表(米英中)。
  8月 6日 広島原爆投下。
  8月 9日 ソ連対日参戦。長崎原爆投下。
  8月14日 日本政府、ポツダム宣言受諾を表明。
  8月15日 「玉音放送」により国民に敗戦が知らされる。
  8月19日 関東軍、ソ連軍に降伏。
  8月30日 マッカーサー以下占領軍、厚木基地到着。
  9月 2日 東京湾上のミズーリ号で降伏文書調印。
  9月 8日 日比谷の第一生命ビルにGHQ本部を置く。

個々の詳細については、ネット検索で簡単に調べられますので、割愛します。

歴史はプロセスであって、その中のある象徴的な出来事を以って語られること
が多いのは確かですが、それが全てではないのは自明のことです。
まして、上に挙げたものだけを見て頂いてもお分かりの通り、8月15日に「戦争
が終わった」といえる歴史的根拠は薄弱です。
確かにこの日、多くの国民(併合されていた朝鮮・台湾の人たちも含む)が
敗戦を知り、武装解除も進められました。しかし一方で、この日以降も沖縄や
中国大陸や樺太・千島で、「戦争」は続いていました。
法的および国際的には、8月14日か9月2日を一つの区切りとするのが妥当な
所かと思います。

私個人の考えとしましては、8月15日を「終戦記念日」とするのは、昭和天皇
の「御聖断」によって戦争が終結したという天皇中心史観にほかなりません。
当時の日本の最高統治者・大元帥であった天皇自らが国民に語りかける、と
いうことの意義や、国民感情を考慮したとしても、「歴史的帰結としての敗戦」
を「天皇による終戦」に摩り替えるのが8月15日です。
ですから、単に「終戦」を「敗戦」と言い換えたところで、「8月15日」の意味を
問わないならば、依然として天皇中心史観=「戦前レジーム」に囚われたまま
だと言えるでしょう。
「8月15日」にこだわる人々(例えばこの日に靖国参拝したがる人たちなど)は
まさに「戦前レジーム」の体現者・擁護者ですが、せめてそれを批判する側は
「戦前レジーム」から脱却したいものです。

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