社会不安障害:SAD、ボランティアとセカンドライフ

SADで会社を休職したが、一年で復帰し、無事定年を務めて、その後の生活とボランティアについて気ままに掲載中

オヤジの突然の死

2013-04-11 20:35:04 | その他健康

私の実の母親は、私が高校3の春休みに亡くなった。そしてオヤジには、再婚の新しい嫁さんができた。それから長い間、それこそ新しい人生をオヤジは新しい嫁さんと暮らしてきた。それこそ私の知らない二人の生活。

田舎で、山芋(自然薯)や筍(タケノコ)等作って、毎年送ってくれていた。

昨年の末に奥様のお母さんが、ICU(集中治療室)に運ばれる事件が発生した。約一ヶ月の後に無事に病院を退院する事ができた。お母さんは国の難病指定の病気だった。がこの時の直接の原因は喉をつまらせての肺炎だった。もちろん病気で、食べる事や飲むという当たり前且つ基本的な生きる為の機能がかなり弱っていたが。

オヤジも同様に、ここ数年、結核や癌の一種多発性骨髄腫を患っていた。放射線治療や抗癌剤を使って癌の進行を抑える事もやっていたようだ。しかし歳なので、継続的な且つ強力な治療を行う事はできなかったが、癌の進行はそれ程ではなかったようだ。しかし抗癌剤による治療はかなり苦しかったようだ。

昨年のお母さんの事もあり、心配になった私は、今年の3月に奥様と田舎に帰った。奥様が「親父さんに会いに行こうよ。絶対行こうよ!」と強く押したからだ。この時には、一緒にオヤジとタケノコ掘りをしたり、山芋(自然薯)を堀に行った。従ってこの癌によってすぐどうこうなる事は無いだろうと思っていた。

 

そして、この土曜日に、孫の予防接種に息子の嫁さんを連れて行っての帰り、突然電話が入った。オヤジが危篤だと。まさか、と思ったが、様子を聞くとどうも脳死の状態らしい。

取るものも取り敢えず、日曜日に新幹線に飛び乗り、オヤジが担ぎ込まれた田舎の病院に向かった。

病院で、先に駆けつけていた兄から事情を聞いた。痰に喉をつまらせて、脳死の状態との事。人工呼吸器をつけているが、病院についた時には脳は死んでおり、心肺も停止していたらしい。従って意識が戻る事や治る事などは万に一の可能性も無い。兄たちは、人工呼吸器を外してくれと先生にお願いしたが、それは許されなかったようだ。

尿がほとんど出ていないので尿毒が体に周り、死に至るのが先か、血圧が下がって心配停止と成るのが先かいずれにしてもここ数日の勝負だった。

月曜日、主治医の先生と話した。血圧が50と下がり、昇圧剤を投与してやっともたせているとの事。再度もう延命措置はやめて欲しい旨を伝えた。そうこれはもはや延命措置などではないからだ。

通常、窒息してから5分から10分で脳死に至るが、若い人なら脳死だけで他の臓器はその後も長い間生きているらしい。しかしオヤジの場合は、癌の為、その他の臓器ももはや健康ではなかった。

先生は人工呼吸器は外せないが、昇圧剤の投与を少しずつやめる事にしましょう!ICUと話してみますと言う事になった。月曜日の午後一の事だった。

そして兄弟がICUに揃い、オヤジを見守る中、心拍数がアット言う間にす~とオチて行き、0になるのを見届けた。

あまりにもあっけない最後。しかし先生から、喉をつまらせた数分ぐらいの苦しみで脳死になっていますので、あまり苦しんではいないでしょうと言ってもらえた。それが救いだった。

一般の男性の平均寿命より長く生きる事ができた。今年で米寿のお祝いをしようと兄と計画していた矢先だったが、その兄が、先に坊さんを呼ぶ事になったと思わず苦笑いした。

私達兄弟は、オヤジの死に関して、一人も悲しんではいない。十分人生を楽しんだと認識している。オヤジはやりたいように生きた。そしてもう十分だろうと。何をわれわれが悲しむ事があるだろうと。二人の嫁さんを貰い二つの人生を生きられたのだから・・・。

私の奥さんの感はあったようだ。お母さんの昨年末の事件をきっかけに今年の3月に帰郷していてよかったと本当に思った。そしてその時は今回の事は全く予想できなかった。

結果は、お年寄りが無くなる原因としてよく聞く「痰をのどに詰まらせて窒息する」と言う結果となった。お餅なら本人も嫁さんも注意したと思うが・・・。

今度は奥様のお母様が心配だ。心配だ。同じように一人になったオヤジの嫁さんも心配だ。

しかしいくら私が心配しても、どうにもならない。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿