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社会不安障害:SAD、ボランティアとセカンドライフ

SADで会社を休職したが、一年で復帰し、無事定年を務めて、その後の生活とボランティアについて気ままに掲載中

16年ぶりの上海合唱団の生徒との再会

2015-03-16 11:41:49 | 日記

以前、グローバル化について思うこと(当家で受けたホームスティ)と言う記事で、当家で受けたホームスティの事を書いた。私の会社、娘の合唱団の関係、高校の関係、当市の関係等、1995年から約10年に渡り、ホームスティを受け入れて来た。子供たちだけではなく、大人の先生も多かった。

さて、この中に、中国上海の少年少女合唱団の男子生徒がいた。1999年当時、小学生の高学年だったはずだ。この年の2年前に上海の少年少女合唱団との交流を開始して、日本への来日が2回目だった。最初は女生徒をホームスティさせたが、この年は奥様の要望で男子生徒二人にした。その内の一人の子が、バイオリンも弾いていたかなり裕福な子供だったと記憶している。その年の夏に今度は、上海で娘の少年少女合唱団が公演した際に、私も同行して、上海でご両親とお会いした。

その後は会う機会もなく、忘れていた。

一昨年の正月に、突然年賀状が届いた。中国からではなく、日本の観光地からだった。どうも日本の会社に就職したらしく、しかも大阪に住んでいるとの事で、その内に会いたいとの旨、記載されていた。しかしお互いに忙しく、なかなかその後も連絡がつかず、日数だけが過ぎて行った。

今年も年賀状が届いた。両親が上海から来日するのでぜひ両親を連れて会いたいと。

この日曜日に無事、当家にご両親を連れて会いにやってきた。16年ぶりだった。駅に車で迎えに行ったが、再会した瞬間すぐ彼だと分かった。まるで、当時の小学生をそのまま大きくしたように殆ど変っていなかった。

ケーキを食べながら、お茶を飲み、約3時間程、彼を通訳にいろいろな話をした。

ご両親が、1999年当時に上海で購入したマンションには、自分達は住んでおらず、賃貸として貸しているらしい。当時母親が、食堂を経営していたが、今はもうやめており、このマンションとは別に、上海の西側にある湖のそばに別の家をもっているらしいとの事。父親は、55歳で定年退職して今は何もしていない。従って、旧正月から日本に来て、3カ月ほど彼の社宅に滞在しているとの事。

昔も裕福そうだと思っていたが、どうやらそれは母親の方だという事がわかった。彼が市内に購入したマンションの頭金(700万円)を出してやったようだ。そして会社で持株を月5万円給与天引きで入っている話も聞いた。当社と同じで会社が10%をカバーしてくれているので、実際は毎月55000円で自社株を購入している事になる。

神戸の新築マンションも購入したかったが、2重ローンが組めないので、残念だという話も聞いた。

いずれにしても素晴らしい。今時の日本の若者にはこれだけを実行できる方がいるだろうか?凄いと感心してしまった。

あっと言う間に時間が来て、お別れとなった。何と彼は明日から東京に赴任するらしい。しかも東京に常駐と言うより、実際はシンガポールとアラブの国らしい。会社のプロジェクトの為に全力を挙げるとの事で、また半年ぐらいしたら大阪に帰ってくるので会いたいと言い残して帰って行った。

母親もぜひ上海に来てくれと言っていた。

私はこれには何とも答えなかった。PM2.5がなくなれば良いがと思いながら、口にする事はしなかった。

また彼が、大阪に帰ってきたら、のんびり酒でも飲みながら話しようと思った。


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