社会不安障害:SAD、ボランティアとセカンドライフ

SADで会社を休職したが、一年で復帰し、無事定年を務めて、その後の生活とボランティアについて気ままに掲載中

また部下や後輩を見捨てる事になりそうだ。それはトップを信じる事ができなくなったからだ。

2012-12-11 23:55:41 | 会社の仕事

私は、過去3回部下や仲間を見捨てた事がある。最初は、一回目の転職の時だ。大学を卒業して、最初の会社だった。当時のベンチャーの走りで割りと有名な会社だった。20代ながら既に私は課長になっており、課の中に3つの係を持ち、部下が12人いた。会社が急激に成長する中で、余りにも忙しく、それこそ休みは月一回しか、なかった。残業代もなく管理職手当もほとんどなかった。それでも、会社や経営トップを信じた。急激な成長の中で、トップは私の直属の上司に中途採用の外部からの人材を登用した。他にも多くの外部からの部長クラスが採用された。

なぜ生え抜きの我々を信じないのだろうかと思いながら・・・。悔しかった。しかしそれでも信じた。若かった我々では社長の期待には答えられないのだろうと思ったからだ。私の上司も含めて外部から採用された部長クラスは、実際には何も役に立たなかった。悲しいくらいそして悔しいぐらい役に立たなかった。私の支援をする事さえできなかった。私は相談する事もできなかった。しても無駄だった。上司は「申し訳ない」と言ったが・・・。全ての責任は私が取った。取らされた。それでも信じた。会社の未来を!そして社長を・・・。

ベンチャーの成長に陰りが見えた時に、そして信頼は消えた。会社ではなく、社長への信頼が消えた。もはや信じられなかった。そして私は部下たちを見捨てた。しかし部下たちや会社の同僚達の多くは私を暖かく送ってくれた。盛大な歓迎会を開いて。私は涙が出た。

2つ目の会社では、務めて2年で、転職した。今度は社長に問題があったわけではない。会社に問題があった訳ではない。私が友人から誘われて、次のステップに進む夢を見たかったからだ。退職する旨を伝えた時に、社長は、凄まじい怒りで私を非難された。「私が君に何かしたのか?何か問題だったのか?私はこの会社を君についで貰おうと思っていたのに・・・」と。私はただひたすら謝った「私の自分勝手で、申し訳ありません。次のステップに進みたい」と。

そして社長は私を許してくれた。そしてまた暖かく会社で送別会をしてくれた。また私は涙した。しかし私が社長や仲間を見捨てた事は確かだ。

そして5年前、私が病気で、会社を休んで自宅休養に入る事になった時に、当時の上司でもある後輩や部下たちをまた見捨てた。最もこの時は、上司が私に「中途半端な事はやめて下さい!」と言われ、私も医者に相談して、休職と言う手段を取らざるを得なかったからだが・・・。私も病気を治すのに必死だった。このSAD(社会不安障害)と言う病気に立ち向かわなければならなかったからだ。

休職に入る直前に上司が、「翌週の会議に、何とか参加して貰えないでしょうか?」と私に懇願された。しかし私は断った。「それはできません」と。上司は「私を見捨てるのですか?」と言った。私は「そうですね!結果的にそうなりますね!でもそれをあなたが望んだのでしょ!」と言った。

私はまた、見捨てた。しかし部下や仲間は私に「会社の事は気にせず、療養して下さい!」と明るく送り出してくれた。私はまた涙した。そして上司は色々あったようだが、私の仕事をカバーしてくれた様だ。その結果がどうあれ私は何もいう権利はないし、言う気もない。そう実際は私が休職した以降、その事業はボロボロの状況になったようだが・・・。

サラリーマンである以上、上司を選ぶ権利はない。小さい会社の場合は、上司がどうと言うことより、経営トップがどういう人となりか?信頼できるか?夢があるか?ついていけるべき人か?これが一番重要だ。大企業の場合は、経営トップは逆に天上人の為、直属の上司や部門長がどうか?これが大きな意味を持つ。

休職から復帰して、部門長を見る。そして出向して、更に部門長と出向先の社長を改めて見る。部門は5年連続赤。そして一回も予算を守れていない。毎年嘘をついてきた事になる。今では部門も部門長も会社からは信用されていない。そして当社の社長。私が出向して3年9ヶ月になる。こちらは、嘘つきではないが、独裁者だ。自分の好き嫌いと思いつきと権力だけで、社員を動かしている。そして全て責任はとらない。とり方も知らないし、全て逃げる。堂々と逃げる。

嫌いな人材は、会社にとって必要と思われても、切る人事を行う。社員の海外出張や交際接待は全て社長決済。ご自分は好き放題。海外出張の目的を勝手に作り、部下を通訳にし放題。会議を支店開催にしてゴルフ・・・。社員の批判と言うか罵倒は、えげつなく、会議でも発言する。

昨日、たまたま、私は風邪で会社を休んだ。熱があり、もうろうとした中で、会社に休みの連絡を入れるのが遅くなった。どうも管理職会議で、「あいつは、欠勤だ!だから元親会社の部門の人間はなっていない」と言うような事を昨日管理職会議で話されたようだ。

というのを、後輩の課長が申し訳なさそうに、今日話してくれた。私が、逆に激怒するのを恐れたのか、それとも社長がなぜそういう事を言ったのかもう分からないと言う感じで。私は「社長がそういう事を言ったのか!申し訳ない」とその課長に謝った。まあ~私は、最早これぐらいでは、怒る気力も無いし、勝手に欠勤にすれば良いと思った。首だと言わなかったからまだましなのだろう。いやそうではない。首だと言ってくれた方が、すっきりする。しかしそれを言うほどの度胸も権利も無い。なさけない。私がいる場所で正々堂々と言ってくれる事を今度は期待しよう。

社長は、今まで知らない所(認識されない所)でおそらくいろんな方が助けてくれたはずだ。私もそうだった。トラブルがあっても私が全て片付けた。知らない内に。そう実際の業務を社長や片腕の企画部長は知らないからだ。従って、説明する気も起きなかった。今までは・・・。

なぜ上記で、私が部下たちを見捨てた話をしたか?それは、またどうも見捨てる事になりそうだからだ。当社の社長は、仕事をする上で、信頼も信用もする事ができない。もはやと言うか多くの社員が既に諦めている様に見える。会社にビジョンはない。それは社長にビジョンがないからだ。そして、親会社にもビジョンがない。それは親会社の部門長にもビジョンがないからだ。そしてそれをサポートする企画部門にもビジョンがないからだ。もっとも既に頭がこわれていて、ビジョンやまともな思考はできなくなっている。ノイローゼにならないだけましだろう。ノイローゼにならない為に、その問題を自分達で解決する能力もなければ、ヤル気も無い。結果、同じ部門の仲間のはずの営業部門や子会社にその問題を振る。そう仲間を攻撃する。そして責任のなすりあい。

振り返ると当社の社員は親会社を信用してはいない(と思われる)。そして社長は社員を信用していない。社長が社員を信用していなければ、社員も社長を信用するはずはない。言う事とやる事は矛盾だらけ。「正直者がバカを見ない会社にしたい」と云うておきながら、正直者をどんどん切っている(登用しない)様に見える。自分は海外出張し放題。社員は子飼いのみ厚いが、それもいずれ裏切られるだろう。

私は、今年の3月末に一旦当社を辞職する決意をした。その決意で、当社の人事つまり社長と当時の上司の無知な組織変更にストップを掛けた。そして4月から7月まで部下の女性をカバーした。そして7月また爆弾人事が発令された。今度は親会社からだった。その部下の女性まで、とられた。と言うか社長がまた好き嫌いで転籍させた。折角3年前に私と社長で当社に引っ張った女性を。

この馬鹿社長が・・・と思ったが、もう既に言う気はなかった。そして元部下の女性を戻して貰えた。その交換条件で。これらのどさくさで、今年を何とか乗り越えられた。

話は変わるが、この12月で私の所の大先輩は72歳となられる。親会社の生産(計画と調整)をイッテに引き受けてこられた。毎年、大先輩の契約が問題となる。しかし昨年からもう親会社からの出向ではなく、当社のアルバイト社員の契約だ。つまり社長の采配で、どうにでもなると思うが、昨年本社の人事部から言われた事で、今回は大先輩を切る判断の様だ。親会社から色々言われるのが嫌なのだろう。

そして、先日決定した。12月契約を3月まで延長して、引継ぎをする事になった。毎年、当社に出向して私が悩んでいた事だが、もう後はない。大先輩の仕事を引き継がなければならない。3月までに。私が大先輩の仕事を受け継ぐしか今の所は手がない。そしてそれを受け継いでも私は、もう定年まで仕事する意欲は失せている。また皆を見捨てる事になるのだろうか?人生最後の仕事で???そして皆は私をどう思うだろうか???

今回の記事はどうも愚痴に近い。と言うか愚痴そのものだ。しかしサラリーマンなら何らかの形で愚痴を吐かないとおかしくなる。しかし私の場合は、愚痴と言うより、結果、誰かが私の背中を押してくれるのを待っているだけだ。


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