社会不安障害:SAD、ボランティアとセカンドライフ

SADで会社を休職したが、一年で復帰し、無事定年を務めて、その後の生活とボランティアについて気ままに掲載中

朝日新聞「子供の斜視」

2016-05-16 23:40:31 | 日記

先日の朝日新聞の記事「子供の斜視」がふと目についた。5月11日水曜日の生活30ページの記事だ。この記事の内容について別にとやかく言うつもりはない。「斜視」とはどういう病気かと言う意味で言えばおそらく正しいのだろう。

しかし、「斜視」と言う病気で何が普通の人を違うのだろうか?と言う意味で言えば、それは「斜視」と言う病気を経験した者でしかわからないと思うからだ。

 

実は私は、この「斜視」だ。ものごころついた時からおそらく「斜視」だったと思う。今思えばその認識はないが……

しかし、両親は認識していたし、私の為におそらく、かなりのお金とその努力をしてくれたと思う。小学1年か2年の時に目の手術をした。

 

その怖さは今でも何んとなく覚えている。目の手術。麻酔をかけられても目の前の内容が見えているのが……

 

結論から言えば、両親の努力にもかかわらず、私の「斜視」は治らなかった。

 

「斜視」と言う病気で何がどうなるのか?

人間の目は、二つある。そして二つの目が、同時に意識することなく、同じ物を見る事で、その対象物を正しく認識する事になる。距離や大きさ等……

それが正しく機能しない「斜視」ならどうなるか?実は大半の場合、いやふつうならおそらくなんの問題もない。「斜視」と言う病気など他の多くのそれより遥かに大きな病気(障害)の方に比べれたら、何の問題もないに等しいと思う。私が、小さい頃から、今までで「斜視」と言う病気(なおる事はない)で、困った事(困る事かどうかはあくまで本人の主観次第だろうが…)は

  1. お互いに、目を見て話をすると、相手の人が、私が何処を見ているかわからなくて、キョロキョロしてしまう!
    実はこれが一番困った。ほぼ半分の人が、そうだった。普通の人は、相手が、右も左の目も相手の目(顔)を見ているのに、「斜視」の私の場合はそうではないからだ。私の場合は、意識して見る目の反対側は、コントロール不能となる。つまり、右で見たら、左の眼は何処を見ているかは分からない。事になる。
    そして、この時に右目と左目の方向を気にする方がいると、上記の戸惑いが発生する事になる。
    これも、片目を覆って(つぶって)会話すれば、どうと言う事ではないのかも知れない。
    「斜視」とは、右目で見る、左目で見ると言う事を意識してコントロールできると言う飛んでもない能力ではあるが、そのイメージを多くの人に言うと、それ何?分からない?と言う事になる。
    いずれにしても、もうなおる事はない。
  2. 3D等の左右の目の視野角を利用した機器は、全て無意味
    私が、小さい頃からあった学習雑誌の付録に偏光メガネ(右と左で赤と青のメガネ)を掛けて、雑誌を見ると立体的に見える(はず)の物が多くあった。
    そして、最近では(あまり最近ではないが)3DのTVで専用のメガネを見ると立体的に見えるものが販売されているし、実際には映画館でも同じような仕組みのものが上映されている。
    が、これらは、全て無意味だった。
    私は小さい時から、何でこんなものがあるのだろうか?と思っていたが、それはそうではなくて私が「斜視」と言う病気だった為に、この意味を理解する事ができなかったと気づいたのはズット後の事だった。

世の中には、私より遥かに多くの障害を持っている方がいる。私の「斜視」と言う病気が生活する上で、或いは今までの人生の中で、障害になったかと言えば殆どない。しかし「斜視」と言う病気がある事だけは認識しても貰いたいと思う。

 

そう言う意味で、朝日新聞の5月11日水曜日の生活30ページの記事は大きく私の心をとらえた。


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