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竹内しげやす 市政チャレンジ日記

新米議員から四期目を向えて市政にチャレンジする奮戦記。
一歩一歩目標に向け前進する日々の行動を日記風に。

戊辰戦争 其の五: 宇都宮城の戦い

2019年05月06日 | 日本の歴史
令和元年5月6日(月)
お早うございます。

今日は「戊辰戦争 其の五: 宇都宮城の戦い」を掲載いたします。
<過去の掲載>
戊辰戦争 其の一:鳥羽・伏見の戦い 2015年09月26日
戊辰戦争 其の二:梁田戦争     2016年01月04日
戊辰戦争 其の三: 甲州勝沼の戦い  2017年01月06日
戊辰戦争 其の四: 上野戦争 2018年07月04日

宇都宮城の戦い(うつのみやじょうのたたかい)は、戊辰戦争の戦闘の1つ。
慶応4年4月19日と23日(旧暦。新暦は1868年5月11日、15日)、現在の栃木県宇都宮市にある下野宇都宮城で2度攻城戦が行われた。

宇都宮城古絵図

 宇都宮藩兵をはじめ野州世直しを鎮圧するために武蔵板橋から宇都宮に派兵された東山道総督府軍を中心とする新政府軍と、下総市川の国府台から次期戦闘地日光廟へ向けて行軍中の伝習隊を中心とする旧幕府軍の間で起きた戦役。
この戦いの結果、宇都宮城二ノ丸御殿や三ノ丸の藩士邸宅、二荒山神社をはじめ、城下の建造物の多くが焼失した。

復元富士見櫓

 江戸城は開城したものの旧幕府方残党勢力は徳川家の聖地である日光廟に篭って兵を募り、そこで新政府軍・約700人と戦うつもりで大挙して江戸を脱走、下野国日光山を目指していた。
一方、時を同じくして当時下野国で起きていた世直し一揆を鎮圧するために東山道総督府が下野国宇都宮に派遣していた下野鎮撫・香川敬三(総督府大軍監)は、手勢を引き連れ日光道中を北上中、武蔵国粕壁で下総国流山に新撰組が潜んでいる噂を聞き有馬藤太を派遣して近藤勇を捕縛した。
近藤は板橋に送られたが、香川はそのまま行軍を続け宇都宮に駐屯した。
世直しが沈静した直後の4月12日、大鳥圭介は伝習隊、幕府歩兵第七連隊、回天隊、新撰組など総勢2,000人の軍隊を引き連れて下総国市川を日光に向けて出発、途中松戸小金宿から2手に分かれ、香川の駐屯する宇都宮城の挟撃に出立した。これを聞いた宇都宮の香川敬三は、一部部隊を引き連れてこれを小山で迎え撃った。兵数と装備で勝る旧幕府軍はこれに勝利、4月19日には宇都宮で旧幕府軍と新政府軍勢力が激突した。
翌日には旧幕府軍が宇都宮城を占領するも、宇都宮から一時退却し東山道総督府軍の援軍と合流、大山巌や伊地知正治が統率する新政府軍に奪い返され、もともと目指していた聖地日光での決戦に備えるべく退却した。

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