しばやんの日々 (旧BLOGariの記事とコメントを中心に)

50歳を過ぎたあたりからわが国の歴史や文化に興味を覚えるようになり、調べたことをブログに書くようになりました。

秀吉はなぜ「伴天連追放令」を出したのか~~その2

2011年02月09日 | 大航海時代の西洋と日本

前回は秀吉が伴天連追放令を出した経緯を、イエズス会宣教師のルイス・フロイスの記録から纏めてみた。では、日本側の記録ではどうなっているのか。

秀吉の側近に大村由己(おおむらゆうこ)という人物がいる。この人物は以前にこのブログで、天神祭のことを書いた時に、大阪天神宮の神宮寺の別当であったと紹介したことがある。
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-18.html

この人物は豊臣秀吉に近侍して秀吉の軍記などをいくつか残しているが、秀吉の九州平定の時にも同行して「九州御動座記」という記録を残しており、秀吉が「伴天連追放令」を出した経緯が短い文章にまとめられている。それには、

「今度伴天連等能き時分と思候て、種々様々宝物を山と積、…日本人を数百男女によらず、黒船へ買取、手足に鎖を付け、船底へ追入れ、地獄の呵責にもすぐれ、…今世より畜生道の有様、目前之様に相聞候。…右之一宗御許容あらば、忽日本外道之法に成る可き事、案の中に候。然らば仏法も王法も、相捨つる可き事を歎思召され、忝も大慈、大悲の御思慮を廻らされて候て、即伴天連の坊主、本朝追払之由仰出候。」



手足に鎖を付け、船底に追い入れるような奴隷の扱い方は、黒人奴隷の場合と全く同じである。秀吉はこのような状況が日本を「外道の法」に陥れることを歎き、伴天連を追放することを決断したということになる。

日本人奴隷はどのような扱い方をされたのか。今度は西洋人の記述を見てみよう。 徳富蘇峰の「近世日本国民史」にパゼー「日本キリスト教史」という本の一部が紹介されている。



「葡萄牙(ポルトガル)の商人は勿論、其の水夫、厨奴(ちゅうど)等の賤しき者迄も、日本人を奴隷として買収し、携へ去つた。而(しか)して其の奴隷の多くは、船中にて死した。 そは彼等を無闇に積み重ね、極めて混濁なる裡(うち)に篭居せしめ、而して其の持主等が、一たび病に罹るや――持主の中には、葡萄牙(ポルトガル)人に使役せらるる黒奴も少なくなかつた――此等の奴隷には、一切頓着なく、口を糊する食料さへも、與へざることがしばしばあつた爲である。此の水夫等は、彼らが買収したる日本の少女と、放蕩の生活をなし、人前にて其の醜悪の行ひを逞しうして、敢て憚かる所なく、其の澳門(マカオ)歸航(帰航)の船中には、少女等を自個の船室に連れ込む者さへあつた。」

なんと、日本人の一部は奴隷に買われていたケースもあり、水夫らの性奴隷としても買われていたのだ。

なぜ、ポルトガル人が大量の奴隷を買ったか。これは前々回に紹介した中隅哲郎さんの「ブラジル学入門」がわかりやすい。

「大航海時代とそれに続く植民地進出時代のポルトガルの泣きどころが、人口の少なさにある…。少ない人間でいかに海外の植民地を維持し、収奪するかはポルトガル王室の直面する歴史的命題であった。そのため、囚人だろうが捕虜だろうが、どんどん海外に送った。ところが、送った人間のほとんどすべては男だった…。
海外進出に武力はつきものだが、ポルトガルは兵隊の数も足りなかった。そのため、現地では傭兵を募集した。アジア各地では日本人の傭兵が多かった。日本人は勇猛果敢で強かったから、傭兵には最適であったのである。」(同書p.163)と記されている。

確かにポルトガルの広さは日本の4分の1程度で、人口は当時100万人程度だったと言われている。そんな小さな国が、1494年にスペインとトルデシリャス条約を結んで、ヨーロッパ以外の世界の二分割を協定し、ポルトガルは東回りに、スペインは西回りに征服の途につくのだが、スペインの一割程度の人口しかないポルトガルが世界の半分を征服するためには、よほど大量の奴隷が必要だったということだろう。

次に日本人が奴隷として売られた時期はいつ頃なのか。

岡本良知さんの「16世紀日欧交通史の研究」という本には、ポルトガル側の資料では1555年11月のマカオ発のパードレ・カルネイロの手紙の中に、大きな利潤と女奴隷を目当てにするポルトガル商人の手で、多くの日本人がマカオに輸入されていると書かれていることが紹介されているそうだ。中国のマカオといえば、ポルトガルの日本貿易の拠点であり、日本貿易の初期の段階から日本人が奴隷として売られていたことになる。1555年は「伴天連追放令」の32年も前の話である。

また、日本イエズス会からの要請を受けてポルトガル国王は何度も「日本人奴隷取引禁止令」を出しているが、東南アジアに暮らすポルトガル人は、国王の禁令はわれわれに致命的な打撃を与えると抗議し、奴隷を買ったのは善意の契約であり、正義にも神の掟にも人界の法則にも違反しないと主張し、この勅令は無視されたそうだ。
しかし、そのような奴隷商人に輸出許可を与えていたのもイエズス会であり、もともとイエズス会が奴隷輸出禁止にどれだけ尽力したかはかなり疑問である。むしろ積極的に関与した可能性がある。
ネットでいろいろ調べると、奴隷貿易に熱心であった宣教師の名前が出てくる。たとえばアルメイダは大友宗麟に医薬品を与え、大分に病院を作ったイエズス会の宣教師だが、奴隷貿易を仲介し、日本に火薬を売り込み、海外に日本女性を売り込んだ人物と書かれている。


<ポルトガル国立小美術館/日本の桃山時代の「南蛮屏風」…黒人奴隷が描かれている> 

当時のキリスト教の考え方では、キリスト教を広めるために、異教徒を虐殺することも奴隷にして売買することも神の意志に叶った行為と考えられており、1455年にローマ教皇ニコラウス5世が勅書により奴隷貿易を認め、さらに教皇アレキサンドル6世がこれに追随して神学的に奴隷制度を容認したことから、イエズス会の海外布教戦略が展開していくことになるのだ。イエズス会が、教皇が認めた奴隷貿易を容易に手放すことは考えにくいのではないか。
そもそもキリスト教の「聖書」レビ記25章には、異教徒を「奴隷として買う」ことも「永遠に奴隷として働かせることもできる」と書かれているが、このような考え方で布教されては、他の宗教を奉ずる国にとっては社会も文化も破壊され若い世代の多くが連れ去られてしまって、甚だ迷惑な話である。

奴隷を買う側の事情は何となくわかったが、しかし売る側の日本の事情はどうなっているのだろう。どういう経緯で大量の日本人が九州から奴隷船に乗せられたのか。
外国人により拉致されたのか、貧しい日本人が家族を売り飛ばしたのか、あるいは戦国大名が捕虜を売ったのか、住民を拉致して売ったのか。また、何のためにポルトガル人に売却したのか。

そのことを書きだすとまた長くなるので、日本側の事情は次回に記すことにするが、平和な時代しか知らない我々には到底想像もできないような戦国時代の凄まじさが見えてくるのだ。

<つづく>
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BLOGariコメント

キリスト教の独善的な世界観と、異教徒なら殺しても奴隷にしてもかまわないという考え方は、十字軍以来なんら変わってはいないようですね。

 この時代は十字軍での東方侵略が破綻し、イスラム勢力(トルコ)にシルクロードを押さえられた欧州のキリスト教国が、いわゆる「大航海時代」を経て、世界に植民地支配を行った時期なのでしょう。

 宣教師はまさにその先兵。しばやんさんんがレポートされているように異教徒は人間扱いしていません。

 このあたりも日本史できちんと教えないといけないと思いました。そうでなければ秀吉は無謀な侵略者にすぎないからです。
 
 
仰る通りで、私も秀吉は無謀な侵略者で、キリスト教を弾圧した程度のことしか学んだ記憶がないのです。しかし、いろいろ調べているうちに、秀吉のやったことは間違っていないと確信するようになりました。

戦後GHQが8000冊近い書物を本屋の書棚から撤去させ焚書にしましたが、西洋にとって都合の悪いことが書かれた書物は、たとえ事実を丹念に調べたものであってもその時に焚書処分になっているようです。それ以来、西洋の奴隷制を語ることが日本ではタブーのようになってしまい、史料となる書物もほとんど目にすることがありません。

焚書の目的は、西洋社会が善であり、日本軍が悪かったということを日本人に洗脳して、占領軍支配をやりやすくするという意図が少なからずあったのではなかったかと考えています。
 
 
>焚書の目的は、西洋社会が善であり、日本軍が悪かったということを日本人に洗脳して、占領軍支配をやりやすくするという意図が少なからずあったのではなかったかと考えています。

 まさにそうではないでしょうか。

 アメリカや西欧諸国(キリスト教国)は、エジプト騒乱をどう落とし前をつけるつもりなのでしょう。

 ムバラクの強権独裁体制を手厚い経済支援と軍事支援で30年間も支えたのですから。イスラエルの存続と、中東域での利権の維持そのものでした。

 アラビアのロレンスのいい加減さも身勝手さも同様です。

 秀吉の時代のキリスト教徒はより野蛮で戦闘的でした。中南米やアジアの当時の過酷な植民地支配を少しみればわかります。

 アメリカが「民主主義を定着させる」と、イラクやアフガニスタンで定着できないのは、己の身勝手さを棚に上げて押し付けるからで、当時も今も変りません。

 アメリカが「民主主義国で素晴らしい国」なんて思い込んでいるのは、世界で人好しの日本人だけかもしれませんね。
 
 
戦後GHQは新聞の徹底的な検閲を行い、都合の悪い記事を削除して、日本人をまず洗脳に必要な「情報遮断」の状態に置き、さらに焚書を敢行し、「真相箱」のようなアメリカを擁護し日本軍部を徹底批判する番組を公共の電波で垂れ流して、日本人はいつのまにか、「日本が悪かった」と洗脳されてしまい、そのために米国、中国やロシア、韓国・北朝鮮から日本はいつまでもタカられている存在になってしまっています。

教科書的、マスコミ的な歴史観は占領軍にとって都合のよい歴史に過ぎず、これではこの洗脳が解かれることがないような気がします。まずはこのような歴史観や価値観のおかしなところに気付き、さらに真実を追究することが必要で、真実を知ることによってのみ、他国の情報操作を受けずに、日本は対等の立場で議論し交渉できる立場に立てるのだと思います。

日本人奴隷のことを日本人がもっと知ることも、洗脳を解くためには大切なことだと思っています。 




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