岩本寺と高岡神社を見た後、四万十川上流を走る。
四万十川は全長が196kmで四国では最も長い川である。
また柿田川、長良川とともに日本の三大清流と呼ばれ、日本の秘境100選にも選ばれている。また、「日本最後の清流」等と呼ばれることも多い。
こんなに有名な「四万十川」という名前は昔から変わらないとばかり思っていたが、この名前がこの川の正式名称になったのは意外と最近であることを知って驚いた。
例えば宝永4年(1708)の「土佐物語」という本には「四万十川 わたりがわ」と記されているそうで、昔はこの川を「わたりがわ」とよく呼ばれていたらしい。「四万渡川」と書かれた事例もあり、それが略されて「渡川(わたりがわ)」の名称が生まれたものと思われるが、旧河川法では昭和3年に「渡川」をこの川の法律上の正式名称に採用したそうだ。昭和39年の新河川法でも名前をそのままにしている。ということは平成6年7月に「四万十川」と改名されるまでは「わたりがわ」がこの川の正式な名前であったのだ。
岩本寺のある旧窪川町あたりは四万十川の上流にあたるのだが、意外と海にも近い。窪川駅から海までは直線で10km程度しか離れておらず、四万十町の興津海水浴場は白くキメの細かい砂浜が東西2kmにも及ぶ遠浅の海水浴場で、平成18年に環境省が「日本の快水浴場100選」に認定している。上の写真は興津峠から見た興津海水浴場だ。
また四万十町には樹齢700年のヒロハチシャの木という国指定の天然記念物の大木がある。
植物知識の乏しい私には初めて聞く名前であったが、この木は九州以南の低地にみられるが、この四万十町の木が最北端のものだそうだ。風害で主幹に大きな空洞が出来ているが、手厚く保護されており、よく繁茂している。
ところで四万十川には「沈下橋(ちんかばし)」と呼ばれる橋がいくつも架かっている。 「沈下橋」とは、河川敷と同程度の高さに架けられるために、水位の低い時は橋として使えるが、増水時にはこの橋は水面下に沈んでしまう橋のことである。
もし増水時に流木などが橋にひっかかると橋が流されたり、川がせき止められて洪水の原因になったりするので、水の抵抗が小さいように橋に欄干がないというのは合理的だし、もし橋が流されても建築コストは余りかけなくて済むように出来ている。
上の写真は四万十川の最も上流にある一斗俵(いっとひょう)沈下橋で、四万十川にかかる現存の沈下橋の中では最も古く(昭和10年築)、国の登録文化財に指定されている。
一斗俵沈下橋を渡ってみたが、幅は2.5mとかなり狭い橋だった。自転車で渡れないこともなさそうだが、バランスを失うと簡単に川に転落してしまいそうだ。
Wikipediaによると1999年の高知県の調査で、全国各地の一級河川にこのような沈下橋が410箇所あり、そのうち高知県に69箇所と一番多く存在し、ついで大分県(68箇所)、徳島県(56箇所)、宮崎県(42箇所)の順だそうだ。四万十川にはこのような沈下橋が47箇所かかっているそうで、高知県の沈下橋の約7割は四万十川にかかっていることになる。
車のない時代は、大半の橋がこのような橋だったのだろう。美しい里山と美しい四万十川に沈下橋はよく調和して、日本の原風景を見ているような気分になる。このような風景を是非後世に残してほしいものである。
一斗俵沈下橋あたりは田園風景が広がり、仁井田米に代表される県内有数の穀倉地帯でもあるが、開墾の歴史は洪水と灌漑の歴史でもある。明治23年の四万十川の洪水のあと、野村成満翁がこれ以上農民に負担を課すことは忍びないとして、田畑を売却し私財を投じて手掘りで完成させた法師の越山水路トンネルは約100年間この地域を洪水から守り、水田に水を送り続け、農地の拡大に寄与したそうだ。
平成16年に国の補助を受けて野村翁が掘ったトンネルの横に新しいトンネルが完成し、野村翁の偉業をたたえる碑が建てられている。
四万十川上流をさらに進むと、松葉川温泉という温泉がありそこで宿泊。
ホテルは四万十川源流の日野地川沿いに建てられている。
ここまで来ると、本当に静かで、素晴らしい山の景色を見て川のせせらぎや鳥のさえずりを聞きながらゆったり入る露天風呂は最高の気分だった。有名観光地の豪華な施設とは違うが、こんな山奥に来ればこのような施設の方が心も体も癒されて良い。
泉質も良く、料理もおいしく、親戚と一緒に飲んだお酒もおいしくて大満足の一日だった。
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