前回は、御香宮神社と大倉記念館のことを書いたが、この日はそれから寺田屋を見た後、「一休さん」で有名な「一休寺」に向かった。
とんち話で有名な「一休さん」はテレビアニメにもなって日本人なら誰でも知っていると思うのだが、その「一休さん」こと一休宗純禅師が晩年を過ごした「一休寺」というお寺が京都府京田辺市にあることを知ったのはつい最近のことである。友人からも勧められていて、ずっと前から行ってみたいと思っていたので、今回伏見の名所を廻ってから一休寺に行くコースを組んだ次第である。
寺田屋近辺から一休寺まで15kmくらいで、35分くらいで一休寺に着いた。
一休寺は、鎌倉時代の正応年間(1288-1293年)に開かれた妙勝寺が前身で、この寺が元弘年間(1331-1334)に兵火にあって衰退したのを、一休禅師が康正2年(1456)に草庵を結んで中興して「酬恩庵」と号し、その後、一休禅師は88歳で亡くなるまでここで過ごしたそうである。
上の画像は「都名所図会」巻之五にある「酬恩庵」の図会である。(名所図会では「妙勝禅寺」と書かれているが本文に「酬恩庵と号す」と付記されている。今は「一休さん」が有名になり過ぎて「一休寺」と呼ばれてはいるがこれは通称で、正式名称は「酬恩庵」である。)
門をくぐると参道は非常にきれいに手入れがされていて気持ちが良い。残暑が厳しい日ではあったが、木々の緑が日差しを遮って心持ち涼しく感じられた。秋の紅葉の時期はきっと美しいだろう。
参道を右に曲がると一休禅師の御墓がある。お墓といってもちょっしたお堂であるが、この門には菊の御紋が彫られている。門の左に建てられた木の立札は宮内庁のもので「後小松天皇皇子 宗純王墓」と書かれていた。
はじめは、別のお墓が二つあるのかと思ってあまり深く考えず先に進んでしまったが、良く考えるとお寺に宮内庁の立札があるのは違和感がある。自宅に帰ってから調べて驚いた。一休和尚は第100代後小松天皇の落胤だったという説が有力なのだそうだ。
一休寺のパンフレットには小さく「禅師は人皇百代後小松天皇の皇子であるので御廟所は宮内庁の管轄である」と書いてあるのに気がついたのは家に帰ってからだが、自宅で一休寺のホームページを辿っていくと、一休禅師の墓の説明の部分で、「一休さんは、1394年(応永元年)正月元旦に、後小松天皇と、宮仕えしていた日野中納言の娘照子姫との間に生まれました。」と書いてある。
http://www.ikkyuji.org/keidai_annai/ikkyu_haka/ikkyu_haka.html
Wikipediaによると、東坊城和長の「和長卿記」という本の明応3年(1494)8月1日の条に、「秘伝に云う、一休和尚は後小松院の落胤の皇子なり。世に之を知る人無し」と書かれているほか、「一休和尚行実」「東海一休和尚年譜」などの伝記類においても、出自を後小松庶子としていることなどが書かれている。但し、母親については諸説があるようだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E4%BC%91%E5%AE%97%E7%B4%94
中に入ると方丈を囲んで見事な枯山水庭園が広がる。この庭は松花堂弁当で名高い松花堂昭乗と佐川田喜六、石川丈山の三氏合作と言われている。上の画像は方丈から眺めた南庭で、白砂が鮮やかで美しい。庭から屋根が見えるお堂が一休禅師の御廟所である。
この画像は方丈で重要文化財に指定されている。中に一休禅師の木造(重要文化財)が安置されている。
上の画像は方丈から眺めた北庭で枯滝落水の様子を表現したものだそうだ。
方丈を出て本堂に進む。入母屋造の桧皮葺でこれも重要文化財に指定されている。
内部には釈迦如来、文殊菩薩、普賢菩薩を祀っているとのことだが、あまりよく見えなかった。
すぐ近くに宝物殿があり、重要文化財の「一休禅師頂相」や、一休禅師の墨跡やゆかりの品が展示されている。
平日であったこともあると思うが観光客は少なく、古刹と素晴らしい庭の景色をほとんど独占出来て大満足だった。
ところで、一休禅師は77歳の時に森(しん)という若い女性と恋に落ちる。彼女は生まれつきの盲目で、身寄りもなく謡を歌って金品を貰って生活する日々を過ごしていたのを一休禅師は哀れに思い、庵に連れて帰るのだがやがてそれが愛情に変わっていく。
一休禅師が森女との愛欲にまみれた生活を隠さずに漢詩で書いた「狂雲集」という詩集があり、次の「里山のフクロウ」というサイトでいくつか現代語訳が紹介されているが、かなりエロチックな内容に誰しも驚いてしまうだろう。
http://minoma.moe-nifty.com/hope/2010/09/---ebc9.html
一休寺を後にして、昼食を予約した農園・杉・五兵衛に向かう。ここは、農園で育てた無農薬野菜や地鶏を料理して出す農園料理が売りだ。次のURLが杉・五兵衛のHPである。
http://www.sugigohei.com/
昼食を予約したのはここの本館の農園会席料理で、価格はやや高い気がするがこんなに静かで落ち着ける場所で、新鮮な食材の手作り料理が頂けるのは価値がある。
私が家内と案内された部屋はこんな部屋なのだが、とても落ち着けて、ゆっくりおいしい食事を楽しむ事が出来た。
おつまみ、前菜、メインディッシュ、手作り豆腐、炊き込みご飯と吸い物、デザートの順に運ばれてくるが、下の写真はメインディッシュである。
右上の黄色い花は「花オクラ」というもので、花びらが食用になっている珍しい植物だ。私は生のままで頂いたが、花びらにほのかな甘みが感じられた。
野菜中心のメニューなのだが、充分おなか一杯になって大満足だ。
最後のデザートは自家製の巨蜂と柿のシャーベットとその上に自家製のアイスクリーム。どれもとてもおいしかった。
この施設は本館以外に、テラスハウスやパン工房や売店がありそこでも食事をすることが可能だ。 また売店では、農園で作られた野菜や果物、ジュースやジャムや菓子類やパンなどを買うことが出来る。
農薬や化学肥料を使わず、残飯を餌にしてロバや鶏を買い、糞は畑の肥料にする自然循環農法を営んでおられる。園内で動物と遊ぶこともできるし果物や野菜を収穫するイベントも行われているようだ。広さは5haで甲子園球場の敷地くらいの広さはあり、散策しても楽しそうだ。
自宅に帰っていろいろ調べると、昨年の7月18日付の「日経プラスワン」の「何でもランキング 夏休みに行きたい農園レストラン」で、この農園・杉・五兵衛が大阪で唯一全国ベスト10(第9位)に入っていたそうだ。近畿圏では和歌山であと1件入っていたようだが、大都市近郊でこんなに広い農園が残っていたこと自体が奇跡のように思える。
この杉・五兵衛の園主がHPで書いていることが良い。
「農耕とは自ら種を播き、耕し、育てそしてそれを食した。その育てるという過程におのずと教育が生まれ、花が咲き実がつくことにより情操が生まれる。さらに収穫したものをいかに蓄え活かし食するかという中に文化が芽ばえる。
農業という産業に分化してからは、いかに多くの金銭を得るかとする事ばかりに重点が置かれ、農の楽しみがなくなり教育や文化迄もが衰退してしまっている。」
そして、農園の経営とは「農業として潤し、かつ教育、情操、安らぎ、文化をも含み、経済の奴隷にならず大地に働く誇りを持った営みと考えます。」と、実に立派な経営者だ。この考え方が農業従事者に浸透していたら、こんなに日本の農業が衰退することはなかっただろう。
しかしどんなにいいお店でも、お客様が来店されてお金を落としてくれなければ生き延びることができない。これからも杉・五兵衛に時々足を運んで応援することにしたい。
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BLOGariコメント
一休寺は、子供達の大学受験の時に、比較的近かくに住んでいましたので、良くお参りに訪ねました。
懐かしいです。
京田辺市は今年は全国で一番暑い日が2日連続したりしましたが、一休寺に行った時は暑いのを覚悟して行ったのですが、木々の緑が太陽を遮り、また土壁の伽藍の中は涼しくて快適でした。
ブログの記事にはなりませんが、また秋にでも行ってみたいと思います。
私も、京都府下や大阪、兵庫の古いお寺や神社は知らないところがいっぱいありますので、もしこの辺りでお勧めの所があれば御教示頂くと幸いです。