しばやんの日々 (旧BLOGariの記事とコメントを中心に)

50歳を過ぎたあたりからわが国の歴史や文化に興味を覚えるようになり、調べたことをブログに書くようになりました。

厳島神社と「雛めぐり」

2010年02月28日 | 広島歴史散策

昨年の春、桜の咲くころに宮島に旅行した。



鮮やかな朱色の鳥居や厳島神社の建物が青い海の色に映えて、あちこちで咲く桜の花がまた美しくて絵になる景色がいっぱいで、何枚も写真を撮った。

平清盛が厳島神社に平家納経を奉納したことからわかるように、この宮島も明治になる前は神仏習合の地であり、大聖院という寺院が宮島全体の僧を束ね、厳島神社の祭祀をつかさどってきた経緯にある。
ところが明治初期の廃仏毀釈で7つの寺院を残してすべての寺院を廃寺にし、厳島神社にあった厳島弁財天や千畳閣にあった釈迦如来坐像などを大願寺に移し、仏像や仏具がなくなった千畳閣は豊国神社の建物になったのだが、宮島ではあまり激しい破壊活動は起こらず、比較的古いものが残されているとのことだ。



上の写真は千畳閣の内部だが、この祠があるあたりに本尊の釈迦如来座像があったのだろうか。



上の写真は大願寺で、お寺であるのに狛犬があるのが面白い。厳島弁財天や千畳閣の仏像はここに移されたとのことであるが、今回は、廃仏毀釈の話題はこれくらいにしておこう。

厳島神社の参拝を終えて古い街並みを歩いているとたまたま「雛めぐり」というイベントが宮島民俗博物館ほか何か所かで行われていて、時間がなかったので2か所だけ訪問したが、江戸時代から伝わる立派な雛人形をいくつも見ることができた。

もうすぐひな祭り(桃の節句)の日なのだが、太陽暦ではこの日に桃が咲くことはない。旧暦の3月3日は太陽暦の4月初めにあたり、この時期ならば「桃の節句」という言葉が良く理解できる。
宮島では毎年旧暦の桃の節句前の10日間(3/25~4/3)に、この「雛めぐり」を行っているようである。宮島には古い雛人形を持つ家が何件もあって、毎年展示される人形が変わるそうである。今年のパンフレットが次のサイトに出ている。
http://www.miyajima.or.jp/new/wp-content/uploads/2010/02/e38381e383a9e382b7e8a1a81.pdf 




上の写真はある旧家で展示されていたものだが、手前の円卓に並べられているものが大正時代のもの。奥の7段のものが昭和時代でその左右の雛人形は江戸時代のものだそうだ。
良く見ると、お内裏様とお雛様の左右の位置が時代によって変わっているのに気がつく。

古来の日本の考え方では、「左」が上位を意味しており、宮中においては天皇と皇后との左右の位置は左(向かって右)が天皇と決まっていたので、雛人形も向って右に男雛を置くならわしであったそうだ。 ところが、西洋では国王と王妃との左右は逆であったため、日本もそれに合わせようという考え方となり、大正天皇の即位以降は天皇と皇后との位置が変更になったそうだ。それに伴い人形の位置も次第に変わっていったということらしい。



上の写真も江戸時代のもので、かなり豪華なものである。建物には「紫宸殿」とかかれた扁額が掛けられている。

「節句」というのは、伝統的な年中行事を行う季節の節目になる日で、年に五回行われるので「五節句」と呼ばれる。(人日(七草)1/7、上巳(桃の節句)3/3、端午(菖蒲の節句) 5/5、七夕7/7、重陽(菊の節句)9/9)

節句の伝統行事は古代中国から日本に伝わったとされるがで、ひな祭りは三月の最初の巳の日に行われていた上巳節(じょうしせつ)と室町時代の貴族女性の人形遊びである「ひないまつり」が合わさって、原型ができたといわれ、安土桃山時代に貴族から武家社会に伝わり、さらに江戸時代には庶民の間に広まったそうだ。
中国では桃の木は、悪魔を払う神聖な木と考えられており、桃の花を飾ることは子供の無病息災を祈ることとつながっているとのことだ。

子供の頃には雛人形は京都の実家でも毎年飾っていたし、友人の家でも雛人形を部屋に飾っている家を良く見かけたが今ではどうなのだろうか。
昔は、雛人形をあまり長く飾ると女の子の婚期が遅れると考えられて、節句が過ぎるとすぐに片づけていたが、昔はこんな伝統を守って子供と一緒に人形を並べながら、子供を思う親の気持ちを伝え、子供は自分を思う親の気持ちを知り、将来はよき伴侶を早く見つけて幸せに生きることを幼いながらも考える機会を持ちえたのだと思う。

言葉だけではなかなか伝えられないものを、このような家庭の行事を通して小さい子供に伝えていく日本の伝統や風習は本当に素晴らしいと思うのだが、最近の日本人はこのような昔のやり方をあまりに軽視してはいないだろうか。親がいくら子供にお金を使って物を買い与えても、肝心なことが子供に伝えられなければ意味がない。
伝統や風習には様々な先人の様々な英知が詰まっており、長い年月をかけて検証された成功体験があるからこそ、これだけ長く続いているのだということを、振り返るべき時に来ているような気がする。
********************************************************************************

読んで頂いてありがとうございます。よろしければ、こちらをどれかクリックしていただくと大変励みになります。
     ↓ ↓         ↓ ↓       

      にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ